新しき聖女の伝説③
「せめて雨が降ってくれたらいいんだけどな」
「雨、ですか?」
「ああ。ここ二か月は降っていない。元から雨が少ない土地で、その影響もあって作物が育ちにくいんだよ」
「今年は特に雨が少なかったです。例年の半分か、それ以下でしょうか」
シオンが補足説明をしてくれた。
降雨量にもばらつきがあり、春から夏にかけて育てていた作物は、例年よりもぐんと収穫量が減ってしまったらしい。
続けてアクト様が言う。
「本当は農地をもっと広げたいんだが、畑として使えそうな土地はここだけだ。だから今は、冬場でも育つ作物を植えている最中なんだ」
「雨……」
畑の土を見つめる。
乾燥して、サラサラした質の土だ。
二人が言うように、もうずいぶんと水が流れていないのだろう。
この質の土をいくら耕して種をまいても、大した収穫は期待できない。
私でも、それくらいのことはわかってしまう。
「雨が降らなかったのはこの周辺だけでしょうか?」
「いいや、たぶん山のほうも含めてだろうな。川に流れる水の量も減っているんだ。そのせいで生活に使う水も不足しているよ」
「やはりそうなのですね……」
水は作物を育てるだけじゃない。
人々の生活において、水は一番といってもいいほどに重要な資源だ。
下水として利用や、飲み水など。
深刻な水不足に陥れば、人々の生活は立ち行かなくなる。
体調を悪くする人も増えるだろう。
特にお年寄りは、体温調節が苦手になり、水を飲まず脱水症状を起こすことがある。
たかが脱水と侮ってはいけない。
場合によっては命の危険すらある状態だ。
「食べ物よりも、水不足のほうがなんとかしないといけないですね」
「ああ、俺もそう思う。今は他国から飲み水を輸入しているよ」
「量はあるのですか?」
「一応はな。ただ値段もそこまで安くない。この状況がずっと続くと、国としては厳しいな」
「売れるとわかると値段を上げるのは……少し意地悪ですね」
「そういうな、シオン。彼らも商売なんだ」
需要と供給に則って市場の価格は変化する。
この世界でも、商売とはそういうものだった。
シオンが意地悪という気持ちもわかるし、売れるなら多少値段を上げることも、商売ならば責められる行為ではない。
ましてやこの国と関わりのない人たちにとっては……。
「せめて一度でもいいから、雨が降ってほしいな。そうすれば多少は……」
「……わかりました。雨が降るように、祈りを捧げてみましょう」
「え?」
「イリアス様?」
二人は驚いて目を大きく開き、私のことを見つめる。
アクト様が続けて尋ねる。
「聖女の力で、雨を降らせるのか?」
「そんなことが可能なのですか?」
「ハッキリと、できるとは言えません。私も試したことがありませんので……ただ、祈りによって起こせる奇跡は一つではありません」
聖女の力は、祈りを捧げて奇跡を起こす。
奇跡を起こすのは私じゃない。
祈りを、願いを聞き届けた神様が、必要だと感じてくださったときに起こる。
だから怪我の治療や、病の治癒だけが奇跡じゃない。
今まで必要なかったし、個人の願いを超えるような祈りは試したことがない。
「試す価値はあると思います。何より、皆様の願いが本物なら……きっと主にも届くはずです」
神様はいつも、私たちのことを見守っている。
空から?
違う。
私の目と耳、感覚は神様にも共有される。
聖女とは神様の代行者であり、人々と神様を繋げるための依代でもある。
主よ、見ていますか?
ここに、心から雨を望む者たちがいます。
その理由は決して卑しいものではなく、生きるために必要だからです。
だからどうか、お力を貸してください。
「皆さんをここに集めてくださいませんか? 一緒に祈ってほしいのです」
「わかった。すぐに声をかけよう」
「私もお手伝いします」
「ありがとうございます」
私一人の願いでは足りない。
皆の力も必要だ。
本当に雨を望んでいるのは、私ではなく彼らだろう。
アクト様とシオンが人々に声をかけて、働いていた人たちが集まってくる。
近くで見るとやっぱり、お年寄りが多かった。
集まってくれた人々が、私を見つけて首を傾げる。
「聖女様? こんなところに、どうされたのです?」
「お仕事中にすみません。どうか、皆様のお力を貸していただきたいのです」
「はぁ? 何をすればよろしいのです?」
「私と共に、祈りを捧げてほしいのです。雨が降るように」
「雨が……」
人々の驚きが広がって、彼らは互いの顔を見て確かめる。
捕捉するように、アクト様が説明する。
「皆、彼女と一緒に祈ってほしい。もしかしたら……奇跡が起こせるかもしれない。そのためには、皆の協力が必要なんだ」
「アクト陛下……雨が降るのですか?」
「わからない。ただ、俺は彼女を信じたい。彼女ができると思ったなら、俺も一緒に祈ろうと思う。雨が降ってほしい。その気持ちは、皆も同じだろう?」
「ええ、もちろんです。雨が降らないことには、いくら耕し種をまいても……」
「ああ、そうだな。皆の頑張りが報われてほしい。その気持ちも一緒に、祈ろう」
アクト様が胸の前で手を合わせる。
それをまねるように、集まった人たちも胸の前で手を組み、中には膝を突いて天に希うような姿勢をとる人もいた。
すでに伝わってくる。
彼らの想いが、本気の祈りが。
「ありがとうございます」
私も祈ろう。
彼ら彼女らの祈りが伝わるように。
「主よ、ここに願いを、雨を求める者たちがいます。彼らの願いを、どうかお聞きください」
私は願い、天を見上げる。
神様は天にいるイメージがあるから、より正確に神様を感じるために、上を見上げているだけだ。
実際は私の中に、聖女の力が神様と繋がっている。
呼びかけるんだ。
私の眼を通して、神様は見てくれている。
苦しんでいる人がいることを。
貧しさに負けず、必死に生きようとしている人が、ここにいることを。
「どうか……雨を……」
「神様……」
人々の祈りが、私の中に流れ込んでくる。
伝わっているはずだ。
届いているはずだ。
けれど……。
「……」
奇跡が起こらない。
まだ足りないのだろうか?
これだけ祈っているのに、苦しんでいるのに、主には響かないのだろうか?
あるいは世界に働きかけるような現象だから、奇跡を起こすだけの力が足りないのかもしれない。
できないのか?
私には、彼らを助けることが……。
「主よ……」
悔しい。
悔しくて、涙がにじむ。
こんなにも悔しいのは、生まれて初めてかもしれない。
本心から彼らの力になりたいのに、何もできない無力さを味わう。
「イリアス……」
「申し訳ありません。私は……」
「――まだだ。もっと祈ろう。届くはずだ。俺たちの想いが」
「アクト様……」
私の手に、アクト様が手を重ねた。






