蘇我鞍作はなんとか悪評を防ぎたい
中大兄皇子や中臣鎌子と仲良くしつつ、古人大兄皇子や軽皇子から疑いの目を向けられる日々を送る俺。
えー。だって古人大兄皇子、人は悪くないけど目は悪いし覇気もないからこの時代生き残れなさそうなのですもの。けど本当に人はいいからどうにかして生き残らせたい気はする。
そうこうするうちに宝女王の夫、舒明天皇が亡くなった。ということは今は西暦641年ということになる。乙巳の変まで後4年だぜ。
舒明天皇の後をどうするか、ということで諸氏が紛糾した。まぁこの時代天皇(この時代の呼び方だと大王ね)はだいたい30代にならないと即位できなかったから、この時点で若い中大兄皇子(と当然弟の大海人皇子も)は候補から除外されるのだ。
そうなると候補としては舒明天皇(元の名前は田村皇子)と推古天皇の後継の際も議論になった山背大兄王と我等蘇我家が推している古人大兄皇子(年齢ギリギリぐらいの若さだが)が最も有力な候補になる。軽皇子はこの場合『皇后の弟』なんで継承権は低い。
特に先代のときにも候補になった山背大兄王は有力そうに見えるのだけど、山背大兄王の系統、実は聖徳太子(厩戸皇子)の父の用明天皇って傍系扱いに近い。
それと山背大兄王自体がその父厩戸皇子の本拠斑鳩に居座って独立勢力のように振る舞っているのもあって扱いにくいところがあった。
それもあって先代のとき俺の父蘇我毛人は…諸方面調整の上で舒明天皇(田村皇子)を選んだのであった。
さて、やっぱり次の大王をどうするかは揉めた。前回後継から外れた山背大兄王は自分こそが次の大王と言い出したのだ。
自分が外されたときに『若すぎる』と言われたので、今度は古人大兄皇子が『若すぎる』と言い出したのだ。
俺はそもそも会議というものが嫌いだったので、喧々諤々と言い合うところをボーッと眺めていた。
なんか暇だったので宝女王のおっぱいを思い出す。うーん。中大兄皇子への遠慮もあるし流石に旦那さん亡くなった後だから最近行ってないなぁ。とか考えつつ、思わずぼそっと
「宝女王…。」
とつぶやいてしまった。
それを聞いた親父が突然
「それだ!!」
と俺を指差して叫ぶ。え?
「ここは宝女王様に大王になってもらおう。なに額田部皇女の先例もあることだし。」
あ、推古天皇か。
呆然とする山背大兄王。いきなり会議はまとまりだし、あれよあれよという間に宝女王を大王とすることで話はまとまってしまった。
その一方で俺は中大兄皇子と軽皇子の目が鋭く輝くのを見た。
…あ、この人達元々は単なる皇后の親族的な皇位から遠目の皇族だったのが、いきなり天皇の息子と弟になって皇位継承順位が一気に上がってしまったのだ。やばかったかも。
と言っても粛々と宝女王様の即位は進み、後で言う皇極天皇になられた。
俺は宝女王を推したのが父に妙に評価されて政治の実務を取る羽目になり、百済やら新羅との折衝などもさせられるようになった。
翌年になって…てこのVRゲーム時間経過長すぎないか?と思いつつ父が独断で大紫の冠と大臣を譲ると言い出したので、全力で俺は阻止することにした。
だって独断で譲ったのが蘇我氏の専横とか後で書かれるネタだもの。
俺は大王の寝所に足繁く通った。中大兄皇子も流石に屋敷を構えるようになっていたので、ウォッチングされるのはニマニマしている大海人皇子だけだ。俺は夜のお仕事を頑張りつつ宝女王に土下座して、なんとか体裁を整えて正式に朝廷から大紫の冠と正式に大臣に任命された。
正式にやったので時間も費用もかかって父にはえらく渋い顔をされたが、まぁこれで歴史の悪評を一つ消すことに成功したぜ、と悦に浸る俺だった。
しかしここに来て山背大兄王が謀反を企んでいる、と石川麻呂から報告があった。
やばーい。しかし山背大兄王、無実の罪じゃなかったのかよ。と思いつつ相談に赴くと、皆はすでに山背大兄王を殺る気で満々である。
「えー。殺すまでは行かなくても反省させればいいのでは?」
と俺が言い出したのに対して石川麻呂は
「なにを鞍作殿は気弱なことを言っているのだ。サッカーばかりやっているから頭の栄養が変なところに行っているのか。山背大兄王が斑鳩で兵を挙げて飛鳥川を遮断しようとしているのは間違いござらん。処すべし!」
処すべし!と場が盛り上がっている。俺はその後ろで腕を組んで頷いている軽皇子を見逃さなかった。煽っているのはあんたが裏に居るのかい!
しかしここでそれを問い詰めても無駄であろう。
俺は斑鳩攻めの日取りが決まると、それに先行して馬を飛ばして斑鳩宮に向かった。
「山背大兄王様!開門!蘇我鞍作でござる!」
とか時代設定を間違えたセリフを言いつつ、どう見ても怪訝な目をした山背大兄王に出迎えられる。
「…というわけでこのままでは一族討ち死にでござる。」
「なぜ鞍作殿がそれを知らせに。」
そりゃそうだ。山背大兄王は史実でも蘇我鞍作の邪魔者扱いだったもの。
「それはですな。聖徳法皇様のご子息であられる山背大兄王様の血が絶えては聖徳法皇様に申し訳が立たないからなのであります!」
と俺は言い出した。聖徳太子はこの時代、すでに神格化されていた。その息子を殺した責任で入鹿の評判は最悪になったのだ。だからそのためには死なせない、とは流石に言えないからとにかく説得する。
「でも鞍作殿が我を救うと言っても他のものが聞くまい。」
「そこにはわれに考えが…」
…数日して、斑鳩宮には蘇我石川麻呂率いる大軍が現れた。うん。これは古臭いから今度の件が片付いたらなんか考えよう。
それを俺は斑鳩宮の門の前に立って出迎える。
「石川麻呂、しばし待て。」
「鞍作殿、それはどういうことだ。」
「こういうことだ。」
と言って一人の人を門から出した。
「これは山背大兄王様…その頭は?」
そう、山背大兄王は頭を剃り上げて僧体となっていたのである。
「山背大兄王様は出家なさり、聖徳法皇様の菩提と天下泰平を祈る生活に入られることになった。よって謀反の心配はない!山背様は斑鳩寺に入り、仏法に専念なされる。」
「しかしこの斑鳩はどうするので?」
「そこは秦河勝に兵を任せて駐屯させよう。」
「秦河勝ならば間違いはないと思いますが…」
こうして俺は山背大兄王を出家させることで政界から引退させ、誅殺することを防いだのだ。これで山背大兄王殺しの悪名も回避したぜ。
しかし山背大兄王を討つのに軽皇子が背後に居るのが気になった。乙巳の変を止めるのはまだ難しいのかもしれない。そこは中臣鎌子君とよく相談してみよう。
ちなみに山背大兄王はガッツリ出家してくれたのでその後も無事だったのだが…
「鞍作くん!斑鳩寺を更に立派にするのを思いついたのだよ!この建物をだな…」
とか
「鞍作くん!仏法を広めるために各国にも寺を増やそうと思うのだがな!」
とかやたらに寺の作事を願い出てくるようになり、はてには大仏を建立したいとかいいだして俺の頭を悩ませるようになったのであった。




