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その後

これにて完結です!ありがとうございました。

俺は遂に白村江の戦いで圧勝するという偉業(自分で言うか俺)を成し遂げた。


史実で何十年も前に死んでしまっている蘇我鞍作が朝鮮で唐軍を打ち破るなんてもはや目を覆わんばかりの歴史無視の展開である。


よって後の話はもはや蛇足である。


白村江の戦いに勝ち、旧百済の首都、熊津都督府を落とした俺たちだったが、百済の王太子扶余隆は唐に退き、日本から密航した王子扶余豊璋は高句麗に逃げてしまった。


 そこで俺たちは日本に残っていたもうひとりの王子、扶余善光を呼び寄せた。

唐の傀儡と化していた隆や悪い意味でお坊ちゃま然としていた豊璋と違い、

善光は理性的・知性的な人間で迎い入れた百済再興軍の鬼室福信などは


「最初から殿下を旗頭として迎え入れれば良かった。」


 と泣いて喜んだほどである。


 しかし俺は善光を王とした単純な百済の独立の復活は認めず、『日本天皇の冊封国』としての再建と、日本府を置くことを認めさせた。まあやらかさないように、との監視と大使館代わりだな。


 そうこうしている内に高句麗を攻めていた唐の総大将蘇定方が軍を返して来たため、俺達は北方に攻めよって漢山城によった。


 そこに攻め寄ってきた唐の軍勢に対して俺は


「ここはサパタ攻城戦のクシャナ殿下の戦術だな。」


 と城に引き上げておいた大砲からの猛烈な射撃で唐の前衛を突き崩すと、騎馬武者隊を出撃させ、灯具へ突撃させて壊乱させた。


 蘇定方はこらえて陣を立て直し、こちらに反撃してきたが、後退すると見せかけてパルティアンショットで散々に弓で攻撃した上に、大鎧の侍には唐の軍勢の弓があたっても損害がほとんどなく、散々に打ち破ったのであった。


 城攻めを一旦諦めて海沿いに後退した唐軍に対して今度は艦砲射撃で被害を与えた。唐の軍船はすでに焼き払っていたため、海に脱出できなかった蘇定方は一旦体制の立て直しのため転進することにしたが…その方向は高句麗の領内を突っ切るしかなかった。


 当然高句麗は猛烈に唐軍に反撃し、双方で激しい戦いが繰り広げられた。高句麗は精強とはいえ、蘇定方も名将である。多大な損害を受けつつも唐への脱出に成功したのであった。


 俺たちはその状況を受けて新羅に直ちに使者を送り、日本への降伏はせずとも唐に対して中立でいることを約束させた。


 その間に神武級艦隊が輸送艦として大量の硝石(とすぐ使えるように火薬)と兵員を届けた。硝石丘は飛鳥京などでも広く構築されるようになっていて、この頃には大量の硝石を備蓄していたのである。


 兵と弾薬を十分に補給した俺達は、百済の自治を鬼室福信と新百済王善光に任せて高句麗に攻め入った。高句麗の先の王、淵蓋蘇文は勇敢な大王であったが、息子たちは内紛を起こして国力が疲弊しており、更に繰り返される唐の侵攻と今回の蘇定方の撤退戦で高句麗の国内はズタズタになっていた。


 そのため日本軍はすぐに平壌を落城させ、そのまま兵を遼東半島まで進めたのであった。


 一方で先の話に出てきた喫水の浅い大砲搭載艦を覚えているだろうか?

実はこれは所謂モニター艦なのであった。浅い海や川でも進むところができ、そこから砲撃を加えることができるのである。いわば川に突然放題が出現したような物だ。その代わり外洋で海戦などは

安定しないし、防御も薄いから難しい。


 俺たちはモニター艦を唐の南、黄河や揚子江流域に送り込み、そこからさんざんに砲撃をした。特に隋の建設した大運河の出口、天津と杭州には入念に攻撃を加え続けたのである。


 それに対して唐は黙って座っていたのではない。もちろん軍を動かして迎撃しようとする。足の遅いモニター艦を大軍で攻撃しようとするが、そうすると今度は快速の孝徳丸シリーズが現れて砲撃を加え、その間にもモニターが逃げる、という繰り返しを行った。唐はまだ……ていうか砲撃を主体にする軍隊なんて

500年は早いからこちらがアウトレンジで攻撃し放題である。


 唐は攻撃に対抗するために大運河沿いに南北に兵を右往左往させ、貼り付けなければならなくなり、結果的に大運河をまともに運用することが難しくなってきたのであった。


 …実はこれ、まるっきりイギリスがやったアヘン戦争の戦略そのまんま、である。


 その間に高句麗を降伏に追い込んだ俺達は高句麗の王族は命は取らずとも存続は認めず、そのまま直轄領とする方針を示した。こうして百済と新羅には『自治を認められただけマシ。今のうちはおとなしくしておこう。』と思わさせたのだ。


 高句麗からは主に武田の赤備え…じゃなくてほぼ蒙古騎馬軍団となった軍団を主力として、高句麗の北方靺鞨や東方の契丹を従え、東突厥に攻め入って領土を割譲させて屈服させた。これで北方の騎馬民族の

大部分が俺達の配下となったのだ。


 ここに至って唐は遂に皇帝高宗自ら20万の軍勢を率いて山海関に着陣し、日本を打ち破る威勢を示したのであった。それに対して我軍も主力を動員して睨み合うことになった。唐は難攻不落の山海関を

頼りに我が軍勢を迎え撃ち、疲弊したところに打って出る算段である。


 しかし山海関、後の明の時代の石造りなら良かった。この時代の中国の城壁は日干し煉瓦である。


 …唐の将兵の前に並べられたのは日本の大砲であった。そして『三発撃てればいいやぁ』と作ったウルバン砲…じゃないけど攻城砲『国崩し』であえなく城壁は崩壊し(本当に石積みでなかったので。)こちらの射程にまさる長弓で守備兵を削られ、世界有数と言ってよい蛮族な「侍」共の乱入で唐軍は崩壊した。その結果高宗と皇太子李弘、そして李賢李顕の幼い両皇子を捕らえてしまったのである。なんでも蛮族と侮っていて勝ち戦を見せよう、ということで雁首並べて出陣されていたらしい。


 こうして山海関を抜いた日本軍は天津も抑えてついに大運河の支配を完全に握った。これで中国大陸の

物流はほぼ我々の支配下にあるようなものである。


 ここにおいて、上皇、宝女王を華北の地に迎え、今の北京の地に俺たちは新たなる都を築いた。北京や元の名前の大都ではしゃっきりしない…と悩む俺に宝女王が付けられた名前は『聖都』だった。おい。


 上皇様はここに古人大兄皇子と共に玉座に登り、古人大兄皇子はこの地の王に封じられた。そして国号を『シュウ』…じゃなかった『周』としたのである。


 …これは本人に選ばせたのだが、俺があまりにも古人大兄皇子のことをその見栄えから『シュウ』と読んでしまっていたために、御本人が馴染んでしまっていてこの際だから国号としよう、としたらしい。

 

 『周』は史実ではこの10年後ぐらいに則天武后が開く王朝の名前である。大体場所だって全然周が本来あった場所でないのだ。そこを古人大兄皇子が先に使ってしまったのだ。これどうするのよ、と思ったが、まあどうせ俺達蛮族だし周が元々地名だなんてわからないあるよ、とすっとぼけることにした。


こうして華北をほぼ抑えた現状で俺は攻勢限界と判断した。これ以上は(すでになっている気もするが)泥沼である。山東半島まで抑えて渤海をすでに内海に取り込んですらいる状況なのだ。

火薬の製造だって限界があるし、自慢の騎馬軍団だってこれから先も唐の数十万はいる軍勢と戦い続けるのは

正直きつい。俺もそろそろいいジジイなのだ。そろそろここらで利益確定と守りを固めておきたい。


 俺は唐との落とし所を求めて北方を荒らし回っている(そろそろ突厥を滅ぼしそうだ)赤備えではなく、純白の鎧に身を固めた兵を引き連れて自らは漆黒の鎧兜に身を固めて、皇帝と皇太子が捕虜となり

今や唐の最高責任者となった武則天との会談に臨むことにしたのであった。


 函谷関の東側にその会談場は設けられた。則天武后は相変わらず美しい姿で現れた。俺の指定したとおり残された皇子の内もっとも年長な李旦を連れている…あのときの子である。


「まったくわらわを御簾から出させて話し合いをさせるとは何たる屈辱、あの時に殺しておくべきであった。」


 と忌々しげに言う則天武后。おっしゃるとおりですな。俺はそれに答える前にずっとやってみたかったあれをやってみた。もちろん兜を脱がずにだ。


「Come with me my son, I’m your father.」


 と手を伸ばす。周りは皆ぽかんとしている。そりゃこの時代にダース・ベイダーがストーム・トルーパーを

連れて来ているのを見た人はまだ誰もいないだろうて。


「いや、申し訳ない。羅馬ろおまの言葉で歓迎する、という意味だ。」


 と滑った芸をごまかしつつ、俺は満足する。


「このおなごがお主のお相手というわけだな。」


 と後ろでほくそ笑む宝女王。そうです。私が前唐に来た時のお相手です……と冷や汗を流す俺。


「この女が…この女が我が大唐帝国を貶めた倭の女王か!そして鞍作!お前の愛人ということか。

この様な女のために我々はこの様な屈辱を!」


 と則天武后はキッと睨みつける。


「ふふふ。妾の愛が勝っていたのじゃ」


 と勝ち誇る宝女王。おいおい。


「お主の愛が勝っていたならば鞍作を従えて今頃羅馬までもが唐の国だったろうな。オホホホ。」


 それはさておき、唐との和睦の話は進み、実は俺の子である(絶対の秘密だが)李旦が皇帝に即位し、

則天武后が後見することとなった。後の睿宗である。

 というのは高宗の返還と領土の交渉に手間取ったからで…『領土の条件が折り合わなければ前皇帝は返さん。全部返して朝鮮へ退けとかお前ら自分の実情わかっているのか。』『ま、まて、そこまでは

言葉の綾というものだ。こちらにも考えが』


 と言った調子で何年もたってしまったからであった。


 それからは俺たちは北京…でなくて聖都で比較的平穏な日を過ごした。


 日本では天智天皇が亡くなってその長子の大友皇子と弟の大海人皇子が戦いになった。後で言う壬申の乱である。本来の参加メンバーを結構大陸につれてきてしまっていたのだが、唐との戦いが大体見当が着いた段階で徐々に帰国させていたので…大陸帰りの精鋭を主力とした大海人皇子の軍勢の前に大友皇子の手勢はほとんどなすすべもなく敗れた。


 しかし大友皇子の側近、蘇我赤兄は一命を賭して大友皇子と第十三孝徳丸に乗り込むことに成功し、周に脱出することに成功したのである。


 我々は日本の天皇を大海人皇子が継ぐことを宝女王の名で許した…天武天皇である。宝王女はいわば日本から中国大陸北部の広い範囲にかけての皇帝的な存在となっていた。いつしか人々は

宝女王を聖帝、と呼ぶようになっていたのだった。

即位後、天武天皇は大陸との関係よりも、独立と独自の発展を重視するようになり、

日本は聖帝の帝国の一部であるよりも独自の国家としての形を作っていったのであった。


 さて俺たちが作ってしまった華北の周、であるがその王である古人大兄皇子には子がいなかった。そして俺にも…いるけど唐の皇帝だ。しかもそれは絶対の秘密だ。則天武后も口が避けても墓の中まで

持って行くだろう。


 となると古人大兄皇子の親族にあたる皇族は彼しかいない、ということで周の王太子には大友皇子が就いたのである。


 そしてその頃、遂に宝女王が身罷った。


 俺はすべてが失われたように落ち込み、後は聖都近郊に聖帝十字陵を建設することに心血を注いだのであった。始皇帝陵よりも大きく、ギザの大ピラミッドにを超えようという大陵墓である。


 長い年月をかけて聖帝十字陵は見事に出来上がったが、その建設によって周は大いに損耗した。


 その頃、時が流れてもう友好的な関係となっていた唐から皇子が交流…というか遊びに来ていた。

 なお隆基という。


「お祖父様、これはお墓なのですか。」


 聖帝十字陵を途中まで登りながら、なぜかこの少年は教えてもいないし言ってはいけないのに

俺のことをお祖父様と呼ぶ。


「そうだ。しかしこれはただの墓ではなく、愛の墓標なのだ。」

「愛ですか?」

「そうだ。人は愛ゆえに苦しまなければならぬ、しかし人は愛がなければ生きては行けぬ。」

「…むずかしいですね。」

「隆基にもきっと分かる日が来る。」


 とその時、劉基は短刀を取り出し、俺の足を刺した。


「う。なぜだ。」

「…こうしなければならないような気が強くしたのです。」


 ここは二人きりだ。


「良い、行け。そして俺の行方がわからなくなったと人に告げよ。それから愛には気をつけるのだぞ、特に年をとってから現れた美人には気を許すな。」


 とアドバイスをしていかせる。だって彼後の玄宗なのだもん。楊貴妃には騙されるなよ。


 それから俺は石室を秘密のやり方で開いて、宝女王の棺の前に行くと、扉を閉じた。


「結局あなたに振り回され続けましたな…でも出会えてよかったです。」


 と言いながら俺は意識が遠くなったのであった。


 その後、俺が無事にログアウトできたのかどうかを知る人はだれもいない。(完)


お読み頂きありがとうございました。

主人公の知らない範囲の蛇足ですが後に即位した玄宗は大友皇子死後

疲弊、混乱した周を滅ぼして中華の再統一を成し遂げ、大帝と呼ばれたそうです。

常々「老いてからは身を慎まなければならない、と偉大な祖父から聞かされていた。」

と言って楊貴妃には手を出さず、安禄山の乱も起こさず彼の後も唐は数百年の太平を保った

とのこと。

大帝の中華統一の際に、聖都は北平と改称され、周時代の物は破壊されましたが、なぜか聖帝十字陵だけは

丁重に保護され、現代に伝えられる事になりました。

現代になって発掘された所、玄室には女性を納めた石棺と、それに寄り添うような男性の遺体が見つかったそうです…

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― 新着の感想 ―
とても面白く、史実(?)を読んでは何度も読み返すご作品です。冗談みたいな進行を多々交えつつですが、ラストでは美しさと切なさとを感じます。 歌舞伎にならないかなぁ、と思うお話。 ありがとうございました…
[一言] 完結おめでとうございます。 宝女王が「身罷った」が「身籠った」に見えてびびった。
[一言] 完結おめでとうございます。 エンタメみが強くおもろかった。 ところで、この時空でも藤原氏はあんま変わらず? あと鑑真とかわざわざ呼ばなくても日本には立派?な仏教が根付いているし…。 すんませ…
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