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蘇我鞍作、半島で一応戦いが避けられないか努力してみる。一応。

 唐(中国)侵攻の野望に燃える宝女王様達だったが、俺は出航の準備と訓練をしている間に一度半島へ向かう許しを得た。一応則天武后と朝鮮半島情勢については語り合って方向性をつけた訳で、それでまとまるなら兵を出さなくても…と日和ったのだ。


 上手く行ったら最悪上皇(宝女王)様を温泉にお連れして慰め続ければなんとかなるだろうよ、ということで。俺が腎虚で死にそうだが。


 事は急ぐので俺は快速艦第三孝徳丸に乗って一路百済を目指した。今まで船にはちゃんと名前をつけていたのだが、悩んでいる俺を見て藤原鎌足が


「ここは同系統の船でしたら第二、第三、とつければよろしいのではないでしょうか?」


 と味も素っ気もないけど手早い案を出してきて、結局それに決まってしまったのである。


 さてこの第三孝徳丸、ジャンク式の帆の他に横帆や三角帆を持つ紛うかたなき『シップ』型帆船である。そしてこの快速型…細いから揺れるのよね。度重なる半島往復や播磨王(元有間皇子)の南洋征服などで船乗りたちの練度は著しく上昇していたので、操船自体は不安がなくなったが、船体が流麗で細いからとにかく揺れる。だって帆船って重心高いもの。


 俺は渡米中の咸臨丸の勝海舟状態(要は船酔いしっぱなしで船室に転がっていた。)で到着したときには陸に上がっても揺れていて足元がおぼつかないほどであった。


 俺はまず新羅の首都金城に向かうと先代武烈王(金春秋)の墓に参り、それから文武王(諡だから今はそう呼ばれていないが混乱防止のためそう呼ぶ)の所に参内した。


「旧百済領に対する攻撃は止まっていないようですが。」


 俺が尋ねると王は


「我らの半島統一の悲願を緩めるわけには行かない!…からだ、といえば勢いは良さそうだが、その実我らは反撃しているだけなのだよ。」

「といいますと。」

「貴殿の提案で百済の急登に旧都に設けた熊津都督府に百済の王太子扶余隆が着任した。」

「無事に着いたのですね。」

「しかし百済復興運動の中心であった僧道琛どうちんらは扶余隆を『唐の傀儡であり、真の独立を取り戻す』ということを聞かなかった。」

「まぁ傀儡といえば傀儡でしょうが、ある程度自治権もあるはずなので悪い話ではないと思いますが。」

「そうは言ってもな。扶余隆は熊津都督府を受け入れた鬼室福信に命じて僧道琛を誅殺した。しかしそれに反発した者たちが唐に対して抵抗運動を繰り広げたのだ。」

「…泥沼?」

「いかにも。そしてその抵抗運動をしていた者たちを扶余隆と唐の将兵たちが虐殺・略奪したため、当初恭順していた黒歯常之が反旗を翻して再び周留城で蜂起してしまったのだ。」

「あらあら。」

「それに対して当然扶余隆は鎮圧の軍を送ったのだが、唐の大将蘇定方は高句麗攻略に出向いていて不在で逆に黒歯常之に次々に城を落とされる始末。」


 あらあら。扶余豊璋がいなくて鬼室福信が唐に従っているほかはなんという史実展開。


「でも唐には劉仁軌がいるでしょう。彼なら対応できそうなものですが。」

「何分一兵卒に落とされた後の復活だから唐の将の中には下に見て従わないものがいるのだ。」

「…」

「故に我々は降り掛かった火の粉は払わなければならず、またこうなっては元を断つほかないために百済を攻撃しているわけでな。貴殿には悪いがここは引けぬ。貴殿を捕らえないことが友誼の印と思ってくれ…」


 と残念そうな顔をして俺を送り返したのだった…しかし俺は見逃さないね。『これで火事場泥棒的に百済全土を手に入れてやるぜ』という野望に文武王が燃えていたのを。


 次に俺は旧百済の熊津都督府へ向かった。なんか雰囲気が違う。


「日本の太閤蘇我鞍作ともうす。熊津都督扶余隆殿にお会いしたく。」

「都督…そのようなものは唐に逃げ帰ったぞ!」


 と門兵。


「は?」

「こちらにあられるのは真の百済王、扶余豊璋様だ!」


 …俺豊璋帰国させた覚えがないのだけど。


「曲者!捕らえよ!」


 と兵が詰め寄って来たので護衛の赤備えたちが臨戦態勢に入る。にらみ合う中にドラゴンボールのナッパみたいな高位の将軍と見られる大男が出てきた。


「あいや、双方待たれよ!その方は同盟国の高位の方である。」


 相手の兵が武器をおろし、こちらも下げさせた。


「鬼室福信ともうします!太閤殿下、よくぞいらした。」


 俺は熊津都督府に招き入れられた。玉座に座るは確かに扶余豊璋。


「太閤、大儀であった。倭の大王おおきみにもよろしく。」


 と尊大な態度である。日本ではなく倭、天皇ではなく大王呼びなのも見下しているのだろう。俺は形ばかり挨拶をすると、別室に通されて鬼室福信と話をした。


「なぜあの青瓢箪が王などに?王太子様(扶余隆)はどうした?」

「それが豊璋様が先だって港に『対馬から泳いで参った!』とずぶ濡れで現れまして、それに感激した民衆が集まりここに進軍してきたのです。」

「…そりゃすごい話だが、おそらく密航して港についた時に飛び込んだんだな。そりゃ。」

「でしょうな。しかし民草に支持された豊璋様の勢いが止められず、劉仁軌将軍も不在のすきを突かれてこの熊津に入城、王太子様は逃亡したわけでして。」


 …まずい。扶余豊璋は日本でぬくぬく過ごしていたのだ。そいつが百済で蜂起して首都を落としたとなると、唐は日本が手を引いている、と判断するだろう。しかもこれは言い訳が効かない。


「ところで鬼室福信殿、貴殿は豊璋をどうみる?」

「太閤殿下が『青ナス』と言い捨てていたのは小官も同意いたします…熊津を落とした勢いは見るべきものがありましたが、入城してからは官僚どもに言いくるめられて酒色に溺れる有様。」

「ここはいっそ除いてしまいたい、と?」

「しーっ!太閤殿下とはいえ人に聞かれたらそれはまずい。」

「…鬼室福信殿、ここは私を送るということで熊津を一緒に離れませんか?」

「と言われても私は百済を支えないと…」

「このままいても『福信殿が横柄である』という理由で豊璋に誅殺されますよ。」

「まさか。」


 まさかと言っても史実で本当に誅殺されるからなぁ。


「そのまさかです。まさか貴殿があの王をそこまで信頼すると?」

「…解りました。」


 と納得され、俺が熊津を辞する時に『倭の援軍を迎えに行ってまいります。』と鬼室福信も一緒に同道することになった。


 豊璋は宮廷から鬼室福信が去るということでむしろ厄介払いができる、と喜んで送り出してくれたのであった。


 対馬に向かう港には阿部比羅夫あべのひらふが率いる先遣隊が到着していた。


「比羅夫殿にはまずは本体到着のための準備として治安維持を主体でお願いしますぞ。」


 と俺は命じた。この先遣隊は旧来の兵装が施されたこの時代らしい部隊だ。特に変なところはない。百済南岸から熊津に至る一帯の守備を任せ、俺は筑紫に戻ったのだった。


 揺れる船の中でゲーゲー吐きながら俺はつぶやいていた。


「…こうなっては後戻りは出来ないな…」


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