鞍作、新羅から唐へ向かい般若心経を唱える
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俺は斉明丸の同型船、皇極丸に乗って新羅の港に上陸した。百済の間違いではない。新羅だ。
当然新羅との関係は緊張しているので『倭の巨船が到着した』との一報に『すわ、倭の襲撃か。』と港に新羅の軍勢が溢れる有様になった。それに対して俺は
「倭(日本と改称したがまだ普及していないので)の大臣(これも太閤は伝わっていないだろうと判断)蘇我鞍作だ。本日は戦争に来たのではない。先日亡くなった先王陛下の弔問に訪れたのだ。武烈王陛下は我が敬愛する親友であった。」
と告げた。さすがゲーム。若いときの天才設定のおかげで三韓や唐の言葉もペラペラだぜ。
新羅の将軍や役人は頭を集めて
「蘇我の鞍作といえば確かに倭の大臣。」
「そう言って攻撃に来たのでは?」
「しかし先王陛下の諡を知っているぞ。」
「俺は先王陛下に直接お使えしていたが、常々蘇我鞍作は倭人にしては見込みのある男で国を超えた我が親友だ、とおっしゃっていたぞ。」
等と話している。俺は武装せずに港に降りて両手を上げ、敵対する意思がないことをアピールした。流石に地方の官僚・軍では態度を決めかねたようで
「蘇我の鞍作様ならたしかに先王のご友人でしたが…貴殿が本物という証拠は?」
と尋ねてきたので俺は武烈王、金春秋様が日本に来た(史実でもしょっちゅう来ていた。なにこの超機動力高い王様)時に『これを示せば俺の書き置きと通じるぞ。』とくれた木簡と短剣を役人に差し出した。
「お、しばしお待ちを。」
と慌てて王都に使者を送ること数日、
「先の書き置きはたしかに先王陛下のものでした。王都にお招きいたします。しかしその兵すべてを連れて倭の兵を王都に入れるわけには行きません。」
「流石に身一つ、ということでは困るな。新羅朝廷の方々は信頼しているが中途でなにやらあるやもしれん。」
「…護衛と荷運びに50人では…」
「よろしいでしょう。」
と俺は精鋭50人を連れ、新羅の首都金城へ向かった。
金城に着くと近郊にある武烈王の墳墓に参拝した。きれいに整った円墳である。
俺は墳墓の前に日本から持ってきた絹、日本刀等の進物を捧げ、叩頭礼よろしく激しく頭を叩きつけてからお悔やみの言葉を言った。
「…大王よ、できれば大王と轡を並べて諸国を平定し、中華に大帝国を作り上げたかったものだった…ご子息や金庾信は優れた方々ゆえ国の行く末には心配ないだろうが…」
と思わず失われた友を思って号泣する。
それを見て現新羅王、金法敏はいたく感激してくれ、俺達に座を設けて労ってくれた。
「鞍作大臣よ、なにか望むことはあるか。とは言っても百済に対して手を引け、というのは勘弁してほしいが。」
と王からのお言葉
「それは流石に無理でしょう…ありがたきお言葉なれば私が唐を訪ねられるように手はずを整えてはいただけませんか?」
「百済に味方する倭は今唐とは交戦状態のハズだが…せっかく父を弔ってきてくれたのだ。力を貸そう。」
と新羅王は俺が唐を訪ねられるようにあれこれ手配をしてくれたのだった。
唐にたどり着いた俺は唐の帝都、長安にたどり着いた。いくつか役所を通した後、朝廷への参内が認められるまで待つことになった。
その間に俺はまだ存命なはずのあの方を訪ねて玉華宮を訪ねた。ここにあの伝説の人がいるのだ。
「お目にかかれて光栄です。玄奘三蔵法師様。」
俺はその高僧の前で平伏していた。そう、あの『西遊記』の三蔵法師のモデル玄奘三蔵様がここで仏典の漢語訳をするために過ごされていたのである。
西遊記では孫悟空の活躍を後ろから暖かく見守る印象が強いお師匠様だが、実際には自分一人であのタクラマカン砂漠を突破し、ヒマラヤを越え(しかも当時そのへんを支配している吐蕃を突破し、たどり着いた天竺といえばすでに仏教が廃れ、群雄割拠の戦国時代というか世紀末の様相であった。そんな中をボケッと祈りを捧げていても座して死を待つのみである。実際には玄奘様は自らの拳で襲いかかる様々な悪意を打ち払って半ば廃墟と化した天竺の寺院から貴重な仏典を収集し、唐まで持ち帰ってきたのである。
一人で、と書いたが膨大な仏典をもちろん一人で背負って帰ることは無理なので、実際には名もなき従者が何人か付いていたのである。それが西遊記の孫悟空たちのモデルになったのかもしれない。
とにかく玄奘様は唐に帰り着いて年月を経た今でもその服の上からでも隆々とした肉体がわかる男であった。まぁマジリアル男塾塾長。
「そちが日本から来た鞍作というものか。わざわざこの玄奘を訪ねてくるとは仏法に熱心と見える。」
「は。力及ばずともわが祖国に仏法を広めんとしております。国に7つの寺院を建て、仏法を学ぶ学堂も作りました…しかし我が国には百済などから断片的に伝えられた経典しかありませぬ。達磨大師も『座禅こそが真の修行』と言葉では教示してくださりませんし…」
「なに、あの達磨大師は今そちのところにいるのか。我も一度話してみたかった。」
と少し遠くを見る。それから
「とは言っても鞍作殿、ここには自らの名誉のために仏法を利用しよう、と阿る者も数多く来るのだ。そちが真に仏法を大切にしている、というならなにか経を唱えてみよ。」
やばい。しかしこんな事もあろうかと般若心経だけは俺はマスターしているのだ。そこで
「かんじーざいぼーだいぎょーいんはんにゃーはーらーみーたー」
と唱え始め、
「ギャーテーギャーテーハーラーギャーテーハラそーぎゃーてーボージーそーわーか」
と唱え終えた。それを聞いた玄奘様は
「それは何という経だ?」
と聞くので、あれ?と思いつつ
「般若心経でございます。般若経の教えをまとめたものだとか。」
「それでそちはその経の何処に感じ入ったというのだ。」
「世間では空即是色、色即是空、こそがこの経の心底だといいます。」
「ふむ。」
「しかし私は『心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想
(しんむけいげ むけいげこ むうくふ おんりいっさいてんどうむそう)』が最も好きです。」
「なにゆえに。」
「なにせ数々の恐怖と戦っておりますからな!恐怖から開放されるのは喜びです。」
「あははは。素直なやつよ。ところでその『般若心経』なのだが、わしの訳ではない。」
「え?」
「北魏時代の鳩摩羅什という高僧が訳したものだ。元の般若経の教えと比較するといくつか鳩摩羅什の個人的な心情が紛れ込んでいるようだ。」
「え?」
「しかしこうやって聞いてみると般若心経は原典通りではなくとも、仏の教えとしてはまたあり、なものだな。先達はあらまほしきものよ。」
とうなずいている。やべー。般若心経って三蔵法師でなかったのか。
「うむ。ちとわしの教えとは違うようだが、そちが真に仏法に帰依していることは感じ取った。そちの望みはこの『三蔵経』を国に持ち帰ることであろう。」
「まさにお師匠様の仰るとおりでございます。」
「カッカッカ。原本を持っていかれると唐の皇帝に処されてしまうが、ほれ、こんなこともあろうかと写しをいくつか作ってあるのだ。持っていくがよい。」
「はっ!ありがたき幸せ。」
こうして俺は玄奘三蔵法師から三蔵教を手に入れることに成功したのであった。




