九州平定
「九州の支配が確立していないとは九州王権説かよ!またマニアックなところを!」
と俺がぼやくと藤原鎌足は
「いや、王権というほどではないのですが…磐井の乱の時にある程度我らの優越性は固め、大伴などの諸族を直轄領を与えて派遣はしております。しかし…確かに半独立といえる程度の権力を筑紫の者共は持っておりますな。」
また中途半端なところを。しかしこれでガッチリ九州王権説だと鎌足が百済王子扶余豊璋になったりしてわけがわからなくなるから落とし所としては良いのか。
ともあれ、ただでさえ唐と新羅の連合軍はこちらより兵が多いのだ。九州の諸兵をフルに駆り出せなければ勝ちは見えないだろう。
「太閤殿下、どうしますか?」
と尋ねてくる鎌足。
「上皇陛下共々宮を筑紫に移して直接埒を開けるしかないか…しかし両陛下(天智天皇と皇極上皇)に来て頂く前に我らで地ならしをしよう。」
こうして俺たちは筑紫太宰府へ艦隊で向かった。
太宰府では太宰帥(長官のこと)を勤める古人大兄皇子が出迎えてくれた。
…なんか別人である。古人大兄皇子は目が悪かった。それもあって飛鳥にいたときは目が隠れるように前髪を垂らして色白でひ弱な印象で、いつも宝女王や父毛人の言うことを
「はい…はい…」
と気弱に聞いていただけであった。その影のような所が父が御しやすいと見て傀儡の大王に据えようとしていたところ点だったし、史実で乙巳の変を乗り切れずに中大兄皇子や軽皇子に誅殺されてしまった原因であった。
俺はその様な気弱でひ弱な皇子が中央の政争に巻き込まれて命を落とすのが気の毒になり、ここ大宰府に避難的な意味で来ていただいていたのだった。
…しかし目の前にいる人物は筋骨隆々として覚悟を決めきった様なところがある漢である。なぜか両目には傷があり、どうやら見ることはできなくなってしまっているようだが…まるで見えているかの様に自由に動いている。流石に書面はお付きのものに読ませているようだが。
…この見かけ。思い出した。『北斗の拳』の『仁星のシュウ』だ。どうしてこうなった。
「皇子様、お久しぶりでございます。しばらくお会いしないうちに随分たくましくなられたようで。」
「おお、鞍作か。久しいな。いやこの『修羅の国』で生き延びるうちに心技を鍛えてな。」
「その目はいかがなさいました?」
「名もなき修羅どもを倒しているうちにな、なまじ見えているから不覚を取る、と悟ってな。ならばむしろ見えぬほうが良い、とこうしてしまったのだよ。」
…不覚を取る、って自ら戦われていたのか?
「ところで皇子、この九州の状況ですが。」
「うむ。不肖力が及ばずあまり芳しくない。」
「といいますと。」
「九州の諸族を統べているのが筑紫薩夜麻だ。」
「魔夜峰央?金剛石を掘り出す王子でも出そうな名前ですが。」
「そのとおり、王族といえば王族だな。筑紫君はその昔、筑紫磐井が大王に対して乱を起こしたが、その内実は大王に対して臣下が反逆した、というモノではなく、一種の元同盟国同士の戦いであったのだ。大和のほうが上位にあったのだが、大和の代替わりを受けて新羅と百済の支援を受けた磐井が逆に大和に対して優位に経とうとしたのがその実態だ。」
「しかし海北からの援軍は不十分で、物部麁鹿火の前に敗れた、と。」
「とは言っても磐井の勢力は侮れず、討ったとはいえ子に筑紫君の継承は認め、磐井の巨大な墳墓を築くことも認めた訳だ。単純に叛乱を鎮圧して討ったのならあんなでかい墓を作らせるはずもないだろう。」
「総大将は討ったものの実質的には辛勝がいいところと。」
「むしろ和睦といってもよいかもな。であるから未だに筑紫薩夜麻は面従腹背で、兵を出せといえば出すだろうが出し渋るだろう。」
「でしょうな。というわけで彼にはしっかりと従っていただこうと思います。」
「鞍作、どうする?」
「そこでこの方をお連れしました。」
と言って俺が紹介したのが大海人皇子である。
「嫌でござる。拙者は絶対に働きとうないでござる。」
と言って柱にしがみついている。
「母上が拙者は政治の表には出ずとも良い、生涯母上のそばに仕えて嫁たちとキャハハウフフするのじゃ!」
…どこのるろうに剣心のコラじゃ。
「その嫁たちにようがあるのですよ。大海人皇子様。」
と俺は続ける。
「皇子様の御子、高市皇子様の母君は宗像氏の出。」
「いかにも。」
「宗像といえばここ筑紫筑前の名門。」
「ちくぜん?」
あ、まだ筑紫の国は分かれていないや。
「それはさておき宗像氏を妻に従え、舎人に薩摩隼人を従える大海人皇子様なら筑紫の諸賊をまとめる神輿になりましょう。」
「おお、それはありがたい。」
と古人大兄皇子。
「嫌じゃ!我が総大将なぞ!戦の大将なら征夷大将軍藤原鎌足にやらせればよかろう!」
「鎌足には阿倍比羅夫と一緒に越の国を攻めてもらっています。頼み事がありましてな。」
「と言う訳で皇子よろしく。皇太子の華々しい出陣とあればお味方も力づけられましょう。」
こうして太宰府から大海人皇子の名で檄が飛ばされた。
筑紫薩夜麻は
「ここで負けては飛鳥の言うことを無条件に聞かなければならん。」
と兵を集めたが、筑紫の諸族は宗像氏の協力もあって大海人皇子のところに馳せ参じ、筑紫薩夜麻の思ったようには兵が集められなかった。
それでも地の利を活かして一戦を、と戦の準備を整えていたのだが、薩摩隼人数千が到着した、と聞き頭を丸めて…は来なかったが弓の玄を外し、敵対の意思がないことを示して大宰府に参上した。そしてそこで天皇に忠誠を誓ったのである。
「筑紫薩夜麻よ、気にすることはない。大王は筑紫君と同じ『王』であったが、天皇はそれら諸王を超越するもの。であるから王である貴殿が天皇に仕えることは全く恥ずかしいことではないのだ。」
と俺は筑紫薩夜麻に言った。
「我ら筑紫の王権を認めてくださるとは…この筑紫薩夜麻、感服いたしました。天皇いや太閤殿下のためにこの力を尽くさせていただきます!」
こうして遂に九州の者たちも一丸となって海北に挑むことになったのである。俺は鎌足や比羅夫たちが帰ってくるのを待ちつつ、朝倉宮を造営して陛下の到着を待つことにしたのであった。




