大坂の陣
蘇我赤兄が有間皇子に大坂城(難波宮ともいう)から追い出されたことで、有間皇子は宝天皇に対して叛意を明確にした、と見做された。
皇太子中大兄皇子は内大臣中臣鎌足を総大将に任じて大坂城攻めを開始した。
中臣鎌足は大坂城の南方、聖徳法皇ゆかりに四天王寺に陣を構えた。四天王寺は聖徳法皇と蘇我馬子が物部守屋を破った記念に建立した寺であり、縁起が良いと担がれたのだ。
しかし寺からの見通しが悪いということで四天王寺のすぐ後方にある茶臼山に本営を移したのだった。
俺は中臣鎌足の参謀という体で茶臼山の本陣にいた。
「大坂方の兵を見るに、ほとんどは鎧兜も着けておらず、武具も先を尖らした丸太と、雑兵ばかりのようだな。」
「殿下(俺はこの頃関白に対してそう呼ばせるようになってきていた。)、大伴、阿部、巨勢、坂上など主な武門の家はすべてこちらに味方して布陣しております。有馬皇子に味方しているのは僅かな近臣と無理やり調達されたこのあたりの住人のみ。我軍は圧倒的であります。」
「内府(内大臣、中臣鎌足のこと)の言うとおりだな。しかし窮鼠猫を噛むともいう。」
「殿下は心配症ですな。しかし油断して裏をかかれてはいけません。味方には無理攻めはせず防備を固めてじっくりと攻めよ、と命じてあります。」
「さすがは内府殿。」
味方はこの頃には武門の家の正規軍に行き渡るようになっていた長弓をずらりと並べ、有間皇子の軍勢が手を出せない距離から弓を雨あられと放ってじわじわと相手を削り取っては前進する。ほとんど完全にアウトレンジからの攻撃だ。さすが中臣鎌足、手堅い。
すると大坂城の大手門(と思われる表の大きな門)が開かれ、一隊の騎馬隊が飛び出してきた。その勢いは猛然としたものであり、味方の最前列の槍隊(こちらも普及してきた)を蹴散らして後方の弓隊に襲いかかり、こちらにまっすぐ向かってくる。
「あれは境部薬!剛のものですがこうなっても有間皇子に忠誠を尽くすとは!」
境部薬の軍勢は錐のように鋭く尖って陣に突っ込み、そのまま陣の間をすり抜けるように総大将を討つべくこっちに向かってくる。
「あちゃあ。飛鳥時代に大坂の陣、と洒落込んでみたら境部薬が真田信繁になってしまったか。」
「境部薬は馬上の扱いも修練しておりましたからなぁ。とのんびり言っている場合ではなさそうです。」
と鎌足が言うまもなく、薬の軍勢はこちらの本陣にとりつかんとする勢いだ。
「ここは陣を下げますか?」
と聞く鎌足に
「ここで下げては味方が負けたと思うものも出る。赤備え!前に出よ。奴らの勢いを止めるのだ。」
と俺は『蘇我の赤備え』に命じて境部薬の部隊の前に立ちはだからせる。贅沢に金をかけた赤備えの鎧兜は後の大鎧に近いものになっていた。
そのため、敵の矢程度ではあたってもなかなか被害を与えられず、刀にしてもよほど当たりどころが悪くなければ(鎧の隙間を通すなどしなければ)あまり気にしないでもよい。まぁイメージ的には防御力的にはフルプレートの騎士とあまり変わらないと思ってくれ。
蘇我の赤備えの投入で境部薬の軍勢の勢いは押し止められた。そのうち前方で崩された大伴や坂上の部隊も体制を立て直して敵勢を包囲するように動く。
「ふぅ。これで止まりましたかな。さて城攻めに戻りますか。」
という鎌足に俺は
「そろそろだと思うのでとどめを刺そう。」
と言った。
「そろそろですか。」
と鎌足が言ったと同時に大坂城の裏側から凄まじい轟音と煙が響き渡った。
「おお、宝丸が砲撃を始めたな。」
そう。この世界に入り込んでから早10年。トイレ改革のためもあって硝石丘作りに励んでいた俺は、取れた硝石と硫黄、木炭などを混ぜて黒色火薬の開発に成功したのだ。
鉄砲…は発火装置とかあってまだ火縄銃にたどり着けない(ので現在元寇絵巻の『てつはう』とかもののけ姫に出てきたアレのようなものを試作中)が、とりあえず青銅を鋳造して火門を鉄でくり抜いた大砲の開発に成功したのだ。大きいほうが大雑把で楽だもの。ちなみに材料は有間皇子が方広寺の大仏と鐘を作るために怨嗟の声を浴びながら全国から集めていた銅をパクった。そのせいで大仏を銅でつくれなかったとは有間皇子がお釈迦様でもわかるまい。父子共々人気がなさすぎたその生まれを呪うがよい。
そして宝丸に片舷6門ずつの大砲を搭載し、今回ついに実戦デビューして大坂城に対して艦砲射撃を開始したのである。
もちろん弾はただの丸めた石の石弾だから威力はそれなりである。というかそんなにでかい砲は作れぬ。けれども宝丸からの轟音とバキバキと建物に命中して崩れていく様子は有間皇子側の交戦意欲を下げるのには役になったのである。
砲弾は集中して大坂城の天守(風の楼閣)に打ち込まれた。だって狙いやすいしあの辺に本陣あると思うし。天守と言っても高さはあるけど構造は原始的で、要は5重の塔を幅広に作った様な代物だったので…弾が中心の柱に直撃した途端、天守はバッキリ折れた。見事に真っ二つに。うん。高層建築はやっぱり後期層塔型天守のように入れ子構造にしたいね。姫路城みたいに通し柱はあってもいいけど。
そして天守が折れた後、折れた部位の一番上のところで大きな白い布が振られた。
「…降伏ですな。」
「殿下、それはなぜ。」
「赤兄に命じて大坂方には降伏するときは白旗を振るように周知していたのです。赤兄は追い出されましたが、白旗の件はちゃんと伝わっていたようで。」
そう。俺はこの世界に『降伏のときは白旗』という世界的ルールをもたらしたのである。何たる偉人>俺。
と、ふと思い出したのだがこの世界、歴史がそれほど史実とずれずに進んだ場合、源氏の白旗ってどうなっちゃうんだろう?ま、いいか。
大坂城が降伏したのを見て、前線で奮起していた境部薬も降伏した。
「境部薬よ。」
俺は呼びかけた。
「この戦、有間皇子に勝ち目はないと思ったが、なぜそこまで戦った。」
「それが忠義というものであろう。」
と薬は答えた。俺はその態度に感心して薬の命は取らず、流罪ということにしたのであった。(後に許されて朝廷に復帰した)
そして降伏した有間皇子が引き出された。
「せめて名誉ある死を(縊死による自死)。」
と有間皇子が言うのを
「ここは斬首が妥当、と言いたいが、そなたにはチャンスをやろう。」
「チャンス?」
「羅馬の言葉で(嘘です)『千載一遇の好機』という意味だ。」
「この奸臣め、なにを言い出す。」
「貴殿には船を与えるゆえ、唐に向かうのだ。」
「唐に?遣唐使でもしろというのか?」
「いや、長安へ行く必要はない。そのまま唐の奥地、蜀と吐蕃の境あたりに『パンダ』という動物がいる。」
と言って俺はサラサラと木の板にパンダの絵を書いた。
「この様な白黒の熊のような動物で、可愛い。ちなみに竹を食するが肉や野菜を与えても食べる。が、とにかく竹が好きだ。」
「鞍作、何が言いたい。」
「このパンダを見つけ出して日本へ連れて帰り、南紀白浜にいる我が父毛人に捧げるのだ。決して死なせてはならぬ。生かしたままで連れ帰るのだ。」
「…何故に。」
「可愛い。」
「……」
「パンダを紀の国に連れ帰った暁にはすべてを許し、皇族としての地位も回復させよう。」
「…到底成し遂げられるとは思えぬが、やるしかないということか。」
こうして有間皇子は船を与えられ(一応宝丸を元にした新しい構造船にした。)唐にパンダを求めて旅立っていったのだった。
その後、中臣鎌足が俺のところに訪ねてきた。
「どうして有間皇子を処刑しなかったのですか。」
「俺はなるべく殺し合いは最小限にして人が死ぬのを避けたいのだよ。」
「お優しいことで。」
「死なさずにさえいれば、今回のように色々と役に立つかもしれないと思うのだ。」
「無事パンダを連れて帰れるかはわかりませんが。」
「でもうまくいくかもしれない…。」
(俺が本当だったら殺されている立場だからな)とは鎌足には言えなかったのであった。




