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嘘の文とひと夜の囁き

◇ サカイ城・会議室


薄曇りの昼。

窓越しの光は白く、冷たい。


机の上には、一枚の文が置かれている。


「セージ・ロス、妻レイとの縁、断つべし」

その草案であった。


重臣席に座るサムは、静かに吐息をつく。


――姫様方は、またしても苦労を背負うのか。

変われるものなら、変わりたい。


切なげに目を伏せた。


沈黙を破ったのは、キヨだった。


「戦の後とはいえ、モザ家の血筋を断つのは、世の評判がよろしくない。

 “夫婦の不和”など、穏やかな理由を立てねばならぬな」


エルが頷く。


「そうです。レイ様を強引に戻すと聞こえれば民の心に疑いを生じましょう」


「どうやって、あの娘を呼び戻すか、だ」

キヨは低くつぶやき、ふと、一年前の光景を思い出した。


廊下で出会ったレイ。


幼いはずなのに、こちらを真っ直ぐ見返した、あの怯まぬ目――。


ユウと同じ、強情で折れぬ眼差し。


「・・・あの娘は、ユウ様と同じく気が強い」

キヨは言い捨てるように呟いた。


その瞳の強さは、亡きグユウを思わせる黒さだった。


あの血は厄介だ。


城に戻したところで、扱いづらいに決まっている。


――戻ってきたら、さっさと他の領主へ嫁がせよう。


キヨは静かにそう決めた。


「ユウ様が体調を崩す――と文を書いたらいかがでしょうか」

イーライが進言した。


進言しながらも、イーライの胸に、ひとつの痛みが広がっていく。


ーー理としては正しい。だが――


頭の奥に、ユウの姿がよぎる。


妹を思うであろう心。


「あの姉妹の結束は強い。ユウ様が体調不良とレイ様に文を出せば――レイ様はこちらに駆けつけるでしょう」

心の裡を押し込めて、イーライは淡々と話す。


「そうか! さすがイーライじゃ!」

キヨは手を叩いた。


「その後に、セージへ領地没収の知らせを届ける」

キヨは冷静に言い放つ。


それまで黙っていたノアが口を開いた。


「それでは・・・レイ様があまりにも気の毒だ」


隣のサムも、黙って頷く。


「情けは政を乱す。

女の涙ひとつで国が揺ぐこともある。

それを防ぐのが我らの務めだ」

エルが低く言う。


「・・・わかっております」

ノアは目を閉じた。


エルが静かにうなずく。


「冷たくせねば国は保たぬ。・・・その冷たさを、兄者の代わりに引き受けるのが我らよ」


部屋の空気が沈む。


「イーライ、文はお前が書け」

キヨがゆっくりと立ち上がる。


「わしは疲れた。もう休む」

そう言い残し、会議室を後にした。


残されたのは家臣のみ。


「これから、セージ領を没収するために会議を開く」

エルが静かに口を開いた。


「はっ」

残された重臣たちは静かに頭を下げる。


「ノア、お前はセージ殿と交渉役だ」


「・・・承知しました」

ノアは目を伏せて答える。


「サム、お前が出陣の準備と留守の間、兄者の安全を確保してほしい」


「承知しました。イーライと共に手筈を整えます」

サムがイーライを見つめた。


イーライは静かに頭を下げる。


「イーライの兵糧と道路の手配は見事です」

白い髪を束ねたサムが口を添えた。


「全力で頑張ります」

イーライは深々と頭を下げた後、ペンを取り出した。


その手紙は、レイに宛てるもの。


白い紙の上を滑る音が、セージとレイの終わりを告げていた。


彼の手が動くたび、ひとつの夫婦の未来が静かに断たれていった。


会議室を出た瞬間、キヨは深い息を吐いた。


ーー冷たい政治より、温い夜の方がよほど扱いやすい。


そう思いながら、妾の館へ足を向けた。



◇ サカイ城 メアリーの部屋


会議を終えると、キヨはいそいそと妾たちの館へ向かった。


戦の後の高揚が、血の奥でまだ燻っている。


――女を抱きたい。


本当は、ユウ様を抱きたい。


だが、あの姫を我が者にするには、まだ時が必要だ。


その代わりに、と扉を叩く。


出迎えたメアリーは、黒髪を美しく結い上げ、

灰の瞳を嬉しそうに輝かせていた。


「キヨ様、お待ちしておりました」


夜風が薄い帳を揺らし、灯明の光がふわりと揺れる。


寝台の上でメアリーがキヨに身を寄せた。


「メアリーが一番良い」

キヨは薄く微笑む。


――それは、抱いた女すべてに言う言葉だ。


けれど今夜は、本心からだった。


香の甘い匂いが漂い、

その奥で、メアリーの体温が静かに熱を帯びていた。


「キヨ様・・・」

絹のように柔らかい声。


キヨは目を細める。


「どうした、メアリー。

そんな顔をして。・・・もっと欲しいのか?」


肩を寄せるメアリーは頬を染め、けれど瞳の奥は計算で光る。


「弟のことで・・・お願いがございますの」


その一言に、キヨの笑みが深くなる。


彼は“夜の願い”に弱い。


「メアリーが望むなら、何でも聞こう。リオウのことだな?」


メアリーは静かにうなずき、キヨの首元を指でたどった。


「リオウは、先の戦でキヨ様の命を守るために剣を振るいました。

どうか・・・少しで良いのです。

あの子にも、“居場所”を与えてはいただけませぬか」


キヨはメアリーを見つめる。


コク家――古い名門。


血だけは良い。


そのコク家の娘であるメアリーが己の枕元にいる今、

その血を利用せぬ理由はない。


優越の甘さが喉の奥で広がった。


「メアリー・・・おぬしの願いは、風のように心地よい。よいだろう。リオウにはワスト領の一部を与える」


メアリーの肩が震えた。


だがそこに、驚きも恥じらいもない。


“計算が成功した”という、わずかな緊張の緩みだけだった。


「キヨ様・・・ありがとうございます」


そっとキヨの胸に頬を寄せるメアリー。


キヨは満足げに笑い、彼女の髪を撫でた。


「おぬしが甘えてくれるなら・・・コク家にも明日は開ける」


その言葉に、メアリーは瞳の奥でほの暗く微笑んだ。


――弟、リオウ。


あとはあなたが頑張るのよ。


私が開いたこの道を、必ず進むのよ。


聡いメアリーは、この夜、

「伴侶としてユウ様を望む」などとは決して言わなかった。


そんな願いが叶うはずもないと理解しているからだ。


けれど。


――それでも私は、コク家をもう一度立ててみせる。


自分の手で。自分の身体で。


メアリーは静かに笑った。


その夜。


一通の手紙と、一夜の抱擁が、

コク家とモザ家の運命を変えた。


それが“破滅の始まり”とも知らずに。


次回ーー明日の20時20分


ノアに密命が下される。

向かう先は、妹レイが暮らすセーヴ領。


誰もが守ろうとし、

誰もが何かを差し出している。


そしてユウは、まだ知らない。

妹の地で、運命が崩れ始めていることを。


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