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女のための牢

控えの間から出てきたユウの顔は、血の気を失っていた。


「姉上・・・」

ウイが控えめに声をかける。


キヨの、あの視線。


あれは、領主が臣下に向ける眼ではない。


――隣に正妻のミミ様がいるというのに。


あまりにも露骨な熱。


ユウは軽く目を閉じて、

「大丈夫。大丈夫よ・・・」

と、かすれた声で呟いた。


その声を聞いた乳母のヨシノとシュリは、

無言で視線を交わす。


――まるで、大丈夫ではない。


「こちらが姫様方の別館になります」

イーライの声が静寂を破った。


彼の案内で、ユウたちは本館の隣にある建物へ向かう。


ぐるりと中庭を囲むように造られた、広い平屋づくりの館。


「ここの館には・・・?」

ウイが遠慮がちに尋ねる。


イーライは一瞬、言葉を探した。


「キヨ様の・・・“想われ人”が暮らす館です。そして、“特別室”がございます」


その言葉の重みを、ユウもシュリも理解していた。


“想われ人”――それはつまり、妾。


“特別室”――それは、キヨが王となるその後、女を迎え入れ、夜を共にするための部屋。


王となれば、妾といえど、闇雲に抱いてよいわけではない。


初めて夜を共にする女は、子を宿すための“儀礼”として、監視のもとで夜を過ごす。


その記録は、王家の系譜として残される。


ユウの指先が、わずかに震えた。


それは愛ではなく、義務と繁殖のための夜。



「こちらが姫様方の別館になります」

イーライの声が静寂を破った。


彼の案内で、ユウたちは本館の隣にある建物へ向かう。


ぐるりと中庭を囲むように造られた、広い平屋づくりの館。


まるで女の身体が、血統を保つための“器”のように扱われる世界。


胸の奥に、氷を流し込まれたような冷たさが広がる。


数年前から、キヨは自らがその“儀式”を行う王になることを夢見て、

この館の設計を進めていたのだ。


「ロク城の時より、広い館なのね」

ユウが皮肉を含んだ声で呟く。


「はっ」

イーライは短く答える。


その口調から、彼もまた、この館の意味を理解していることが伝わった。


この数年で、キヨは妾を次々と増やしてきた。


権力と富を手に入れた男の欲望は、女を“選ぶ”ことで自らを確かめるような、

どこまでも醜く、浅ましいものだった。


ユウは、息をするのさえ嫌になった。


あの男の指先が、自分の肌に触れるかもしれない――その想像だけで、胸の奥が凍りついた。


壁の裏には、見えぬ監視の仕掛け。


外に音が漏れぬ厚い扉。


女たちの笑いも、泣き声も、ここから外には届かない。


この館は、複数の女を囲い、望むままに手を伸ばすための場所。


そして――その中で最も広く、美しい部屋に、ユウが住むのだ。


シュリは、無意識に拳を握り締めた。


ユウの後ろ姿が、あまりに小さく見えた。


イーライは最初、ウイの部屋を案内した。


広く明るい室内。


ふかふかの寝台に、花の刺繍がほどこされたクッション。


窓からは中庭が見える。


「わぁ・・・」

ウイの声が弾んだ。


居心地のよさそうな部屋だった。


隣には、同じ造りの部屋が二つ並んでいる。


「ここは?」

ウイが首を傾げる。


「・・・こちらは、空き部屋となっております」

イーライの声がわずかに硬い。


この館の設計は、三年前から始まっていた。


その時、キヨはこの部屋を“三姉妹のために”と想定して造らせた。


だが、これから向かう部屋だけは――違う。


キヨが、シリを迎えるために設計させた部屋。


そこに、シリと似た容姿を持つ娘 ユウが暮らす。


しばらく、長い廊下を歩いた。


「姉上の部屋と・・・ずいぶん離れているのね?」

ウイが不思議そうに呟く。


ユウは蒼白な顔のまま、黙って歩き続けた。


やがて、廊下の突き当たりでイーライが立ち止まる。


緊張を押し隠すように、深く頭を下げた。


「――こちらが、ユウ様のお部屋です」


ユウは震える指で扉を押し開けた。


そこには三つの部屋が連なっていた。


応接間が二つ、そして奥に広がる寝室。


「広い!」

背後でウイが息を呑む。


ユウは一歩、部屋の中へ足を踏み入れた。


イーライがゆっくりと扉を閉める。


――重い音が、鈍く胸の奥で響いた。


ユウは部屋の中央に立ち、息を止めた。


ーー静かすぎる。


壁も床も、すべてが厚い石で覆われている。


天井は高く、窓には厚いカーテンが掛けられていた。


ユウ、ウイ、ヨシノ、モナカ、シュリ、イーライ。

これだけの人数がいるのに――音がない。


足音を立てても、響かない。


「・・・まるで、音が吸い込まれるみたい」

ユウが呟く。


隣に控えるシュリが小さく頷いた。


「防音が施されているようですね。・・・声も、届きません」


「声が?」

ユウは振り返る。


シュリは扉へ歩み寄り、手のひらで軽く叩いた。


コン、コン――。


その音は、まるで布の奥に沈み込むように、すぐに消えた。


「・・・聞こえない」

ユウの顔から血の気が引いた。


イーライは黙って寝室を見つめた。


異常に広い部屋。


白い寝台が中央に置かれ、扉には鍵。


その奥には浴室――中からは、わずかに水の音。


それは、キヨに抱かれるために造られた部屋。


――この場所で。


イーライは唇を噛んだ。


姫の部屋としては、あまりに豪奢で、あまりに異様だった。


「ここで・・・暮らすの?」

ユウの呟きが、すぐに自分の耳に返ってくる。


その反響さえ、どこか歪んでいた。


沈黙の中、ユウはそっと壁に手を触れた。


冷たい。


まるで氷のように。


「・・・まるで、牢のようだわ」


ユウがポツリとつぶやいた。


扉の中央に、小さな格子窓があった。


外から、鉄が“カチ”と鳴る音。


一瞬だけ、光が差し込む。


ユウが振り返ると、分厚い扉がゆっくりと開いた。


白髪を束ねた重臣のサムが立っていた。


「・・・サム!」

ユウの顔が、ほんの少しだけ緩む。


サムは部屋の造りを見回した。


厚い石壁、閉ざされた窓、沈むような静寂。


その異様さに、眉がわずかに動く。


部屋にいる者たち――ウイ、シュリ、ヨシノ、モナカ、イーライ。


皆が息をひそめて、サムの反応を見守っていた。


サムはゆっくりと頷くと、静かに膝をついた。


「・・・ここでも、姫様方をお守りいたします」


その言葉は、決意というより、祈りのように響いた。


「イーライ、キヨ様がお待ちだ」

サムは短く告げ、イーライは頭を下げて部屋を出た。


厚い扉の外で、サムは拳を握りしめる。


――この部屋は、姫様のためではない。


閉じ込めるための部屋だ。

次回ーー本日の20時20分

扉が閉まると、部屋は音を失った。


「……帰る場所なんて、もうないの」


震えるユウを、シュリがそっと抱き寄せる。


そこへ、カチ、と金属音。


「後ほど・・・キヨ様がお越しになります」


イーライの言葉に、空気が凍った。


――サカイ城の夜が、静かに始まる。

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