自由の終わりに、城が見えた
「休憩!」
イーライの声が秋の空に響く。
少し冷たい風に吹かれながら、ユウとウイは馬車を降りた。
「姉上、まだサカイには到着しないの?」
ウイの声には疲労が滲んでいた。
もう、馬車に揺られて丸二日が経っている。
「明日には到着されるかと」
シュリが馬から降りて説明する。
「お茶を用意しました」
イーライが頭を下げた。
湯気の立つ紅茶が手渡される。
「ミルクはありませんが・・・」
イーライが申し訳なさそうに言う。
「ありがとう、イーライ」
ユウは微笑んで受け取った。
「ミミ様たちは・・・?」
ウイがカップ越しに尋ねる。
「先にサカイへ到着しております」
イーライが静かに答えた。
お茶を終えると、ユウはゆっくりと立ち上がった。
長い時間座りっぱなしで、足がだるい。
馬車から離れた場所に立つユウに、イーライが一歩前に出て、軽く頭を下げた。
「ユウ様、この後の流れを説明いたします」
「何かしら?」
「サカイ城に到着後、まず控えの間で、キヨ様とミミ様にご挨拶を」
「わかったわ」
ユウは気乗りのしない声で答える。
――あの男に逢う。
それだけで、憂鬱だった。
イーライは少し間を置き、声を落とした。
「その後・・・私の方から、姫様方のお部屋をご案内いたします」
「部屋?」
ユウが眉をひそめる。
「はい。サカイ城の離れにある別館です。
キヨ様が、姫様方のために特別に設けられたとのこと」
その言葉に、ユウの表情がわずかに硬くなる。
「“ために”・・・ね」
乾いた笑いが、唇の端に浮かぶ。
――囲うための部屋。
鍵がかかり、音も外に漏れぬ部屋。
イーライの頭に浮かぶのは、設計図で見たあの構造だった。
「・・・わかったわ」
ユウは静かに言ったが、その声はどこか遠かった。
そのとき、彼女の足が小石に取られた。
「あっ――」
バランスを崩したユウの身体を、イーライが反射的に支える。
ユウの肩が腕の中に収まった。
一瞬、風が止まる。
ユウの髪が頬をかすめ、柔らかな香りがふっと鼻をくすぐる。
イーライの喉が鳴った。
ーーこのまま、彼女を腕の中に閉じ込めればいいのに。
日頃、抑えていた想いがイーライの中で芽生える。
争いが始まって一年近く、ユウのそばに仕えていた。
その間に芽生えた感情が、蓋をしても、押さえつけようとしても、
どんどん育っていく。
ユウ様と、二人にしかわからない話をしたい。
誰からも受けたことがない想いで触れたい。
誰もいない場所に二人きりで行きたい
その想いが高まり、イーライはほんの一瞬、ユウを抱く腕に力を入れてしまう。
次の瞬間、我に返る。
「・・・申し訳ありません、ユウ様!」
慌てて身を離す。
「いいの。私が悪いのよ」
ユウはわずかに笑った。
だがその笑みは、少し震えていた。
その様子を、少し離れた場所からシュリが見ていた。
普段、感情が表に出ないイーライが、一瞬表に出た表情。
言葉では説明できないその“表情”が、なぜか胸の奥をざわつかせた。
――イーライも自分と同じように、ユウ様に惹かれている。
胸の奥が疼く。
どんなに想っても、叶うことがない相手に想いを寄せている。
イーライの気持ちがわかるからこそ、何も言えずに立ち尽くす。
イーライは、ユウ横顔を見つめながら、
胸の奥に残る熱を押さえ込むように拳を握った。
その熱を、誰にも見せぬように。
「・・・まもなく日が暮れます。そろそろ出立の準備を」
「ええ」
ユウは頷き、馬車に乗り込込んだ。
秋の空は高く、
誰の心にも答えをくれないまま、静かに馬車は走る。
◇ 翌朝 サカイの街道
馬車の車輪が、まだ湿った土を軋ませながら進んでいく。
夜明けの光が山の端から差し込み、霧がゆっくりと晴れていった。
窓の向こう、白くそびえる建物が遠くに見える。
「・・・あれが、サカイ城」
イーライが声を落として呟いた。
ユウとウイは、馬車のカーテンを少し持ち上げ、遠くの光景を見つめた。
雲を背にそびえる白い城壁。
その姿は美しく、どこか冷たい。
「姉上、それにしても・・・すごく大きな城ですね」
ウイが驚きで目を丸くした。
「立派ね」
口ではそう言いながら、ユウの指先がわずかに震える。
「姉上・・・?」
ウイが震える指先を見つめて、控えめに声をかける。
ユウは震える指先を隠すように、両手をギュッと抑えるように重ねた。
「ええ。・・・もうすぐね」
馬車の外では、イーライが先導していた。
彼の背中は凛として、少しの隙もない。
まるで昨日のの出来事など、最初からなかったかのように。
だが、風が吹くたびにマントの裾が揺れ、
その影に、抑え込まれた感情がちらりと見えた気がした。
馬車が丘を越えると、風がいっそう強くなった。
枯葉が舞い、馬の蹄が乾いた音を刻む。
遠くには白く霞む城壁が、朝陽を受けて淡く光っている。
その音と光が、次第に薄れていく。
まるで――この先で、世界が静まり返ることを予告しているようだった。
しばらくすると、白亜の城が目前に迫った。
黒と金色の屋根が陽を受けて輝き、
城門の分厚い木扉には、花々と翼の彫刻が細やかに刻まれている。
高い塔の頂では、黄色の旗が風を裂き、堂々とはためいていた。
それは、キヨの支配と野望の象徴だった。
――いずれ国を治めることを意識して造られた城。
馬車が城門をくぐると、音が吸い込まれるような静けさが訪れた。
敷き詰められた白い石畳、広い玄関の階段、
すべてが、ユウたちがこれまで見てきたどの城よりも巨大で、冷たかった。
馬車が止まり、扉が開く。
ユウとウイが外に降り立つと、
圧倒的な高さを誇る城を前に、思わず口を開けた。
「・・・これが、キヨ様の築かれた城です」
イーライが振り返り、恭しく告げる。
「地上六階、地下に二層。各階には大広間と謁見の間、そして、特別室がございます」
ユウは黙ってその城を見上げた。
その横顔に、言葉にならない恐れと決意が交錯する。
――これが、私の“暮らす場所”。
それとも、あの男の“望んだ檻”。
胸の奥に、冷たいものが流れた。
背後で、シュリが息を呑む音がした。
イーライの横顔は硬く、唇の端がわずかに震えていた。
◇ サカイ城 控えの間
城内に足を踏み入れると、空気が変わった。
外の風が嘘のように止み、ひんやりとした静寂が、肌にまとわりつく。
広間の床は黒い大理石で磨かれ、
天井には黄金の装飾と美しい女性の絵が描かれていた。
だが、その華やかさよりも――ユウは、背筋に走る寒気を感じていた。
「こちらでお待ちください」
イーライの声がわずかに緊張を帯びている。
ユウは頷き、深呼吸をひとつ。
ウイと並んで控えの椅子に腰を下ろした。
数分もしないうちに、奥の扉が静かに開いた。
黄金の装束を纏ったキヨが現れる。
その後ろには、落ち着いた衣のミミが静かに続いた。
「・・・ユウ様、ウイ様。長い旅路、お疲れでしょう」
ミミの声は柔らかい。
だが、その笑みの奥には、計り知れないものが潜んでいる。
ユウとウイは立ち上がり、丁寧に一礼した。
「とんでもございません」
キヨは、惚けたようにユウを見つめた。
一年前――ほっそりとした青い果実のようだった少女は、
今は均整がとれ、柔らかな丸みを帯びた女性になっている。
瞳も唇も、息を呑むほど美しい。
思わず見惚れるキヨに、ミミが軽く咳払いをした。
我に返ったキヨは、慌てて口を開く。
「遠い道のり、ご苦労であったな。・・・疲れただろう?」
その声音は優しく、まるで恋人を迎えるような響き。
だが、ユウの心はどんどん冷えていく。
「とんでもないです」
そう答えながらも、その目は決してキヨの瞳を正面から見ようとしない。
キヨの視線が、彼女の白い首筋をゆっくりとなぞる。
ユウは気づかぬふりをして、ドレスの裾を握りしめた。
「サカイはどうだ。ミヤビに劣らぬ賑わいだろう?」
「ええ・・・とても華やかです」
「ふむ。城も気に入ってくれるとよいが――」
キヨは意味ありげに口角を上げた。
「ユウ様の部屋は、特別に造らせた。他のどこよりも静かで、誰にも邪魔されぬ場所だ」
ユウの喉が詰まった。
笑顔を作ろうとしたが、唇がわずかに震える。
「・・・ありがたく、頂戴いたします」
横に立つシュリは、そのやり取りをじっと見つめていた。
キヨの言葉の裏にあるものを、シュリは誰よりも鋭く感じ取っていた。
ーーユウ様を“守る”ための部屋ではない。
“閉じ込める”ための部屋。
目を伏せながら、シュリはそっとユウの背に視線を落とす。
――この城の中で、ユウ様を一人にはできない。
キヨは満足げに、ニタリと笑った。
「遠慮はいらぬ。ここでは、わしがすべてを与える」
その声に、ユウの肩がかすかに揺れた。
「・・・ありがとうございます」
ユウはわずかに頭を下げる。
ウイは何も言えずに俯いたままだった。
キヨの笑みは深まった。
まるで、獲物が罠にかかるのを見届けるように。
そして、ミミが穏やかに口を開いた。
「では、まずは休まれるとよいわ。長い旅路でしたもの」
その優しさに包まれた声さえも、ユウには冷たく響いた。
――ここが、これからの“家”なのだ。
嫌だ。
けれど、それを口にした瞬間に、終わってしまう気がした。
本日、短編を書きました。
ユウとシュリがいつも肌身離さず身につけている布袋。
そこには、こんなドラマがありました。
本編では触れられなかったシンの逃亡劇と、
“偽りの家族”となる三人の物語です。
連載中に、カットしたものが浮上できて嬉しいです。
『落城寸前、家臣と偽りの夫婦になりました』
https://book1.adouzi.eu.org/n4192ll/
次回ーー明日の9時20分
控えの間から出てきたユウの顔は、血の気を失っていた。
キヨの視線は、正妻が隣にいる場で向けるものではなかった。
案内されたのは――妾たちの館。
その最奥にある、異様な“特別室”。
次回、ユウの運命が静かに狂い始める。
「女のための牢」




