決着なき終戦
そこから数ヶ月の間、
キヨとジュンの間では、睨み合いと終わらない戦が続いた。
季節は移ろい、風が涼しさを帯び始める。
◇ ジュンの陣
「・・・間もなく秋が来るな」
焚き火の炎を見つめながら、ジュンが呟いた。
「わしが剣で勝っても、キヨは笑って“和”を奪う。 なんとも・・・賢くて、強か(したたか)な男だ」
「キヨは本物の領主ではありません! 小狡い男です!」
若い兵が声を荒げる。
ジュンはゆっくりと首を振った。
「狡さもまた、才の一つだ」
沈黙のあと、家臣のマサが口を開いた。
「このまま、不毛な争いを続けても仕方がありません」
「では、これからはどうなさるおつもりで?」
セージの声には、わずかな焦りがあった。
「――停戦調停だ」
ジュンは短く答える。
「向こうから手紙が届いた」
「その判断は・・・正しいと?」
マサが尋ねる。
「ああ。しばし、沈む」
ジュンの声は静かだった。
「太陽の下では、影は伸びない。いずれ陽が沈めば、影の番が来る」
その言葉に、誰も続ける言葉を持たなかった。
ジュンは剣を置き、掌を見つめる。
戦で握り締めた感触が、まだ消えない。
その手をゆっくりと開いた。
「――今日の負け、わしの胸に刻もう。だが、負けたままでは終わらせん」
その声音には、怒りも悔しさもなかった。
ただ、深く静かな確信だけがあった。
「・・・悔しいです」
セージが膝をつく。
「お前はよくやってくれた。今後のことは――わしが何とかする」
ジュンは穏やかに笑った。
その笑みは、敗北の中にある男の誇りを映していた。
◇ キヨとジュン 停戦交渉の場
空気には、まだ火薬の匂いが残っていた。
その広間に、二人の男が並んで座っている。
キヨとエル。
ジュンと、その側に控える家臣マサ。
外では、秋の虫が鳴いていた。
キヨは笑っていた。
だが、その笑みの奥には、剣のような光が潜んでいる。
「このたびの争い――お互いに多くの損があった。
これ以上の不毛な戦は避けよう。ここで、矛を収めたいと思うておる」
ジュンは口を閉ざしたまま、キヨを見つめていた。
その目は、深い湖の底を覗くように静かだった。
しばしの沈黙。
やがて、ジュンが低く言った。
「・・・この度の戦、わしの負けではない」
キヨは微笑を崩さずに応じた。
「わしの勝ちでもない」
背後のエルが、思わず息をのむ。
キヨは続けた。
「勝ち負けを決めぬのが――“和”の道よ。 血を流した分だけ、民の嘆きが増える。
わしらは、その嘆きを背負う立場にある。“両成敗”ということで、よろしいでしょうか」
ジュンはわずかに目を細めた。
「成敗、か。――その言葉、覚えておこう」
静かな炎が、ジュンの瞳の奥に宿った。
それを感じ取ったキヨの笑みが、ほんのわずかに揺れる。
秋風が吹き抜け、広間の灯が揺らめいた。
◇キヨの陣
停戦の調印が終わり、陣を出たキヨの背に秋風が吹き抜けた。
勝者の歓声もなければ、敗者の呻きもない。
ただ、静寂だけが戦の終わりを告げていた。
その夜――キヨは、静かにワインを口にしていた。
グラスの中に、赤い月が歪んで映っている。
「両成敗、か・・・」
独りごとを呟き、笑った。
「成敗とは成す者と敗れる者を決めることだ。あのジュンめ、負けを認めぬとは、よい根性だ」
いつもは陽気に酒宴を開くキヨだが、今はどこか神妙だ。
エルはその様子をじっと見つめる。
兄は争いがひとまず終われば女を呼び、楽隊を呼び、賑やかに飲み明かすのが常だった。
――だが今回は、敗者のような顔で杯を傾けている。
「しかし、兄者、これで国王への道も一歩近寄りました」
エルが慰めるように口を開く。
「近づいたがな・・・あのジュンの武力には敵わぬ。あの男は強い」
キヨは杯を置き、掌をじっと見つめた。
「ジュン、あいつは剣で勝つ。わしは笑みで勝つ。
どちらも正しい。だが、国王になるのは――わしだ」
キヨは立ち上がり、夜の月を見上げる。
「わしの陽が沈む前に、この国を一つにせねばならぬ。――さもなくば、あの男に取られる」
「はっ」
エルは静かに頭を下げた。
しばらく黙っていたキヨは、ふと切なげに吐息を漏らした。
「・・・戦が終わった。早くユウ様にお逢いしたい」
エルが顔を上げると、
そこには、先ほどまでとはまるで違うキヨの顔があった。
神妙な表情はどこへやら――だらしなく緩んだ口元。
思わず、エルはため息をつきそうになる。
「兄者・・・ユウ様の名を口にする割には、ここでも新たな妾を得ておられるとか」
咎めるような声音。
キヨはグラスを揺らしながら、悪びれもせず笑った。
「それとこれとは別だ。人はな、毎日ご馳走ばかりでは飽きるのだ」
「・・・と言いますと?」
「美人とばかり付き合っていたら、疲れるということだ。
女はわしにとって、心を潤す薬よ。ミミも書状で許してくれた」
キヨはグラスをテーブルに置き、ニヤリと笑う。
その笑みは、酒と欲の匂いを含んでいた。
「いつごろ、ワストにお戻りで?」
エルが呆れ気味に尋ねる。
「ワストには戻らん。あそこは雪が多くて陰気じゃ。このまま、新城の方へ向かう」
「え・・・このまま、新城へ?」
「ああ。間もなく城が完成する」
キヨは机の引き出しを開け、中から設計図を広げた。
その紙には、一つの部屋が描かれている。
分厚い壁に囲まれた、防音の間。
鍵のかかる扉。
浴室まで備えられた、異様に閉ざされた空間だった。
「この部屋で――ユウ様は暮らすのじゃ」
キヨの口元がゆがみ、赤い月の光が、その邪な笑みに影を落とした。
◇ ワスト領 ユウの部屋
朝の光が、薄く窓辺を染めていた。
雨のあとに吹く風は澄みきって、
長い争いがようやく終わったことを告げているようだった。
「停戦・・・ですって?」
イーライの報告に、ユウは目を見開いた。
背後にいたウイが思わず声を上げる。
「それは・・・引き分け、ということ?」
ユウは振り返り、静かに頷く。
「・・・そういうことになるわね」
その言葉に、ヨシノとモナカの顔がぱっと明るくなった。
「良かった!」
「引き分けが一番、丸くおさまりますね!」
二人が手を取り合って喜ぶ。
ウイも嬉しそうに駆け寄り、笑顔で頷いた。
「これで、レイと敵味方に別れなくて済むのね!」
喜びの声が部屋いっぱいに広がる。
けれど、ユウだけは静かだった。
「ユウ様・・・喜ばれないのですか?」
イーライの問いに、ユウはゆっくりと目を伏せた。
姉妹を分けた争いが終わった――本来なら、心から喜ぶべきこと。
それなのに、胸の奥には、晴れぬ影が残っている。
「・・・あの男が、これで終わらせるとは思えない」
ユウは、窓の外を見ながらぽつりと呟いた。
その言葉に、イーライは黙って俯く。
「裏切ったセージ様をどう扱うのか・・・レイと再び逢える日まで、私は安心できない」
風がカーテンを揺らした。
朝の光が差し込み、ユウの横顔を照らす。
その瞳には、喜びよりも、覚悟の色が宿っていた。
シュリは黙ってその姿を見つめていた。
「詳しいことは何も。停戦で終えたということしか知らされておりません」
イーライが静かに口を開いた。
決着のつかないまま――争いは、終わった。
「レイ・・・もう一度会えるかしら」
ユウが窓を見上げる。
そこには、夜の名残のように淡い月がまだ残っていた。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
創作の裏側について書いたエッセイを更新しました。
今回は 「400日で171万字を書く雨日と、5年間1話も投稿しない家族」 という、
真逆の創作スタイルをめぐる小話です。
息抜きに、よければどうぞ。
https://book1.adouzi.eu.org/N2523KL/
次回ーー明日の9時20分
争いが終わって一週間。
城は静かなのに、何かが動き始めていた。
――ユウはサカイへ移ることになる。
別れの景色を胸に刻みながら、ワスト領を離れる日が迫る。




