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秘密を抱えた政略結婚 ―血に刻まれた静かな復讐と、許されぬ恋の行方―  作者: 雨日
第3章 潮騒の婚礼 ――そして戦が始まる
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火の届かぬところで

「ユウ様、これを・・・」


キヨの妾・メアリーが、そっと手紙を差し出した。

指先がかすかに震えている。


「ありがとうございます」

ユウは静かに頭を下げ、手紙を受け取った。


それは、戦場から届いたリオウの文だった。


直接渡せば周囲の目を引く。


だからこそ、こうして姉メアリーを経由し、夜更けのように密やかに届けられるのだ。


ユウは封を切り、丁寧に紙を開いた。


そこには、戦場の泥の中から書かれたとは思えないほどの、

まっすぐで、不器用な言葉が並んでいた。


――あなたに逢いたい。声が聞きたい。

  

ユウは読み終えると、しばらく宙を見つめた。


困惑と、説明しがたい熱が胸の奥で混じり合う。


やがて、そっと封を閉じた。


ーーリオウは、良い青年だ。


しかしーー自分の想いは、別の誰かにある。


心の中でそう呟いたとき、どこかに微かな罪悪感が灯った。


自分の気持ちは、違う人にある。

この手紙をどうするか、しばし迷う。

捨てるには忍びない。

けれど――受け取る資格もない。


傍らに控えるシュリが、そんなユウの横顔をじっと見ていた。

触れられぬ想いの色を、彼は知っていた。


コン、コン――。


控えめなノックが響く。


「イーライ、どうぞ」


ユウは顔を上げずに声をかけた。


「失礼いたします」


イーライが一歩進み、恭しく頭を下げる。


銀のワゴンには茶器と、もう一通の封書。


ユウは小さくため息をつく。


「・・・また?」


「はっ」

イーライが差し出したのは、キヨからの手紙だった。


ユウは受け取らず、目で“読め”と促す。


イーライは軽く喉を鳴らし、手紙を開いた。


ーーこれが、一番憂鬱な任務だ・・・。けれど、この一瞬だけはユウ様のそばにいられる。


「――“戦場の夜の星を見れば、ユウ様を想い出す”」


掠れた声で読み上げながら、イーライの頬に熱が宿る。


「“風に揺れる花を見れば、ユウ様の笑顔が浮かぶ”」


「あの男に微笑んだことなど、一度もないのに」

その言葉に、ユウは淡々と答える。


イーライは言葉を詰まらせたまま、続きを読む。


「“戦にあっても、ユウ様を忘れた日はありません”」


「よっぽど進展のない争いなのね。・・・私のことを思い出す暇があるなんて」

冷ややかな声が、室内の空気を張り詰めさせた。


ユウは椅子から立ち上がり、短く告げた。


「その手紙――燃やして」


「・・・承知いたしました」


イーライは手紙を懐にしまい、

茶器を整えようとテーブルに手を伸ばした。


そのとき、ふと視界に映った一通の封書。


宛名は、リオウ。


ユウが息を呑み、慌ててそれを掴んだ。


その仕草は、まるで秘密を抱えた少女のように痛々しかった。


もしキヨの家臣であるイーライにリオウの手紙が知られれば、彼の立場は危うい。


ユウの指先がわずかに震えたのは、そうした事情からだ。


ユウが動揺する姿を見て、イーライの胸に、何か黒いものが沈んでいく。


ーーキヨ様の手紙は燃やして、リオウの手紙は仕舞うのか。


どちらも処すというわけではなく、扱いに差をつけるーーその矛盾が、イーライの胸を締め付ける


胸の奥が熱く、重くなる。

思わず口が動いた。


「・・・そのお手紙は」

わかっているのに質問をしてしまう。


「・・・リオウからよ」


ユウの声は静かに上ずった。


視線は合わせない。


イーライは、ゆっくりとシュリの方へ目を向けた。


「・・・私も、内容は存じません」

シュリは淡々と答える。


「ただの挨拶文です」

ユウは少し顎を上げて言い切った。


「それなら、私が読み上げましょうか」

イーライの黒い瞳は、熱を帯びる。


「・・・大丈夫よ」

ユウの声は静かだった。


沈黙が落ちる。


ティーポットの蓋が、イーライの指の震えを伝えるように鳴った。

彼はその音を誤魔化すように、蓋を静かに押さえる。


その熱が、胸の奥の痛みに似ていた。


――燃やされた手紙よりも、戸棚に隠された一通の方が、ずっと、痛かった。


空気を変えようと、シュリが口を開く。


「今回の争いは、半年以上・・・長いですね」


「そうですね。ジュン様は手強い」

イーライは、我に返って返答をした。


「争いが長引くのは、私としては都合がいい――あの男の顔を見ずに済むから」

ユウは窓の外を見つめてつぶやいた。


それに対して、イーライは何も言えずに俯いた。


「できれば──この争いで、あの男が消えてくれればいいわ」

言い切るユウの顔には、悲しみよりも、怒りだけが残っていた。


「ユウ様」

シュリが宥めるように口を開いた。


それでも、ユウは口を止めることができなかった。


「あの男は、父上も、母上も、祖父母も兄も私から奪った。

その男から手紙をもらって、私が喜ぶわけないわ」

ユウの瞳に怒りが湧き出る。


その激情に、乳母のヨシノが慌てて立ち上がった。


イーライは身動きができなかった。


言葉にならない重みに、押しつぶされそうになっている。


シュリがユウに近づき、背中に手を当てる。


「ユウ様、落ち着いて」


耳元で囁くその声に、

ユウはわずかに息を整えたが、怒りの余熱がまだ頬に残っていた。


「トミ家は、弟のエルが継げば良い」


その言葉は、部屋の空気を凍らせた。

イーライは何も言えず、ただ目を伏せた。




◇キヨの陣


戦の喧噪が遠のいた夜、

キヨは灯火の下で、机に広げられた地図を見つめていた。


その傍らには、封をしていない書状がいくつも並ぶ。


「鉄の矢ではなく、言葉の矢を放て」


穏やかな声の奥に、鋭い光が宿っている。


エルは戸惑いを隠せぬまま、机に目を落とした。


「まずは、ジュンの重臣どもに宛てて書け」


「・・・ですが、彼らはジュン様の腹心。裏切りは――」


「口で説くな。物で語れ。

ワストの領地を与えると、金鉱を添えるのだ。欲に勝てる人間はいない」


ノアはわずかに顔を歪めた。


金で動く者を、軽蔑してきた自分が、その筆を取らされる。


だがキヨは笑う。


「人の忠義など、満たされた腹と天秤にかければ軽いものよ」


エルが低く問う。

「兄者、戦を捨てるおつもりですか」


「捨てる?」

キヨは扇を開き、ゆるやかに笑んだ。


「いや、これも戦だ。剣で斬るより、笑って奪う戦よ」


そのとき、灯がわずかに揺れる。


キヨはペンを取り、封をした書状をいくつか重ねた。


「セージには送るな。あの男は、誇りを金では売らぬ」


「では、どこまで送るのですか」

「北東の砦までで十分だ。・・・それで争いは止まる」


一瞬の沈黙のあと、キヨはゆっくりと笑みを深めた。


「さあ――争いを終わらせて、早くユウ様に逢いに行くぞ」


その声は甘く、

だが瞳には、戦よりも冷たい野心が灯っていた。



次回ーー明日の9時20分

春が過ぎ、夏の風が近づいていた。

戦場では剣より先に“言葉の戦”が始まり、

ジュンの陣から密かに兵が消えていく。


「ジュン様の兵が…キヨ側へ寝返っています」

その報告に、ユウの表情は静かに曇った。


――人を斬るより、人の心を奪う。

それが、あの男の勝ち方。


そしてユウの胸には、言えない想いと、

止められない時代の流れが、静かに迫っていた。


「その強さが、いつか命を焼くかも」

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