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秘密を抱えた政略結婚 ―血に刻まれた静かな復讐と、許されぬ恋の行方―  作者: 雨日
第3章 潮騒の婚礼 ――そして戦が始まる
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りんごの花が見ていた三人

馬の歩みに合わせて、ユウの金色の髪が春風に揺れた。


丘を越え、険しい道を曲がったその先――

りんごの花々が、まるで彼女を祝福するように咲き誇っていた。


「・・・きれいだわ!」

ユウは息をのむように馬上から花々を見上げる。


降りそそぐ花弁の中に手を伸ばし、指先でひとひらを受けとめた。


「満開ですね」

シュリが馬を降り、手綱を木に結びながら静かに答える。


ユウは微笑み、遠くを見つめた。


「あそこに、座りたいの」


彼女が指をさした先は、

かつて両親が並んで腰を下ろし、愛を語らった――そう伝えられる場所だった。


「承知しました」

シュリがそっと呟く。


イーライは木の根元に敷物を敷いた。


ユウは頷き、馬上からゆっくりと降りた。


風が裾を揺らし、髪を撫でる。


その動きに、花びらがふわりと舞い上がった。


「どうぞ」

イーライが淹れた茶を、銀のカップに静かに注ぐ。


淡い湯気の向こうで、皿の上にはマフィンと、

透き通るようなりんごの砂糖漬けが添えられていた。


「アップルパイは・・・間に合いませんでした」

イーライは少し照れたように言った。


だが、りんごの砂糖漬けは、ユウの好物でもあった。


ユウは微笑んで、紅茶をひと口ふくむ。


花の香りが鼻をくすぐり、唇がやわらかくほころぶ。


「イーライ・・・美味しいわ」


「ありがとうございます」

イーライは頬を染め、視線を落とした。



「シュリ、イーライ・・・一緒に座りましょう」


ユウの声はやわらかく、けれどどこか揺るぎなかった。


本来ならば――

乳母子や家臣が、姫と同じ敷物に座ることなど許されない。


だが、

城から遠く離れたこの丘では、

そんな作法も風に溶けて消えていくようだった。


シュリはためらいもなく、ユウから少し離れた場に静かに腰を下ろす。


イーライは一瞬だけ迷い、

それでもゆっくりと、二人の向かいに座った。


春の風が吹き抜け、花びらが三人の間に舞い落ちた。


そのひとひらが、

まるで三人の距離をつなぐ印のように、敷物の上で静かに揺れた。


「イーライ、戦況はどうなの?」

ユウの口から、姫らしからぬ言葉が飛び出した。


この時代、女性――ましてや姫が争いや政に関心を示すのは、

“はしたないこと”とされている。


だが、長年ユウと共に過ごしてきたシュリにとって、

それは日常の会話にすぎなかった。


突然話を振られたイーライは、わずかに戸惑った。

けれど、その瞳の奥には職務としての誠実さが宿っている。


少し息を整えてから、静かに答えた。


「戦況は――極めて厳しい状態です」


正直で、曖昧さのない声だった。


ユウは小さく頷く。


「・・・ジュン様が勝ったのね」


その声音は穏やか。


けれど、どこかに熱が宿っていた。


「戦は、一度の勝敗で決まるものではありません」

イーライが続ける。


「キヨ様は一度退かれましたが、すでに策を練っておられます」


その答えは、まるで用意された報告書を読み上げるように整っていた。


ユウは紅茶の表面を見つめながら、小さくつぶやく。


「あの男は、戦では立ち回りがうまい。何か――策を練っているはずね」


ユウの声は穏やかだが、その奥には鋭い光が潜んでいた。


イーライは一瞬だけ息を呑み、言葉を探すように唇を動かす。


春の風が吹き抜け、花びらが一枚、カップの縁に落ちた。


ユウはそのひとひらを見つめ、かすかに微笑む。


「勝敗は五分五分。争いに強いジュン様と、策を練って仕掛ける――あの男。

どちらに転ぶのかしら」


その声は、風に混じって遠くへ溶けていった。


「キヨ様は、国王を目指し――争いのない、民の平和を考えておられます」

イーライが淡々と答えた。


ユウは、わずかに笑った。


その笑いには、冷ややかな響きがあった。


「ふふ・・・“民の平和”、ね」


淡い風が、彼女の金の髪を揺らす。


「私には、ただの欲にしか見えないわ。ジュン様を討って、叔父上の上に立とうとしているだけ。

民のためなんかじゃない――自分の欲のためよ」


その言葉は、刃のように鋭く、春の空気を切り裂いた。


イーライはわずかに息を詰めた。


その場では、誰もそんな本音を口にしない。


だが、ユウの声は止まらなかった。


「戦で・・・父上も、母上も失ったわ」


彼女の瞳が、わずかに揺れる。


唇が震え、次の言葉を絞り出すように続けた。


「勝つ者も、負ける者も――みんな同じように血を流す。

今回の争いも、私とレイを引き離しただけ」


沈黙。


風がりんごの花を運び、三人の間を舞い抜けた。


イーライは言葉を失い、シュリはただ静かにユウを見つめていた。


その横顔は、涙ではなく、決意に濡れていた。


「・・・レイに、もう一度会いたい」

ユウの声はかすかに震えていた。


春風が髪を揺らし、花びらがひとひら、肩に落ちる。


シュリはそっと手を伸ばし、その花びらを摘み取った。


「また・・・会えると良いですね」


その声は、慰めでもあり、祈りでもあった。


ユウは顔を上げ、シュリを見つめた。


言葉はなかった。


けれど、その瞳がすべてを語っていた。


ふたりの間に、淡い沈黙が流れる。


その空気の中で――イーライは、胸の奥が焦げつくように熱くなるのを感じた。


声を出すこともできず、

ただ二人の横顔を、まぶしそうに見つめていた。


「・・・死んだあと、人は逢いたい人に逢えるのかしら」

ユウはりんごの花を見上げながら呟いた。


「どうでしょうか」

シュリは微笑みながら、そっと視線を上げる。


「それは、死んだあとに知る楽しみなのかもしれませんね」


「魂が実在するのかは、わからないけれど――」

ユウはりんごの木肌に手を添えた。


「残されたものは、あると信じたいわ」


花の隙間から、淡い陽の光がこぼれる。


「母上は・・・必死に生き抜いた。死んだあとに、父上と再会できたのかしら」


「そう信じたいですね」

シュリが静かに頷いた。


ユウは、微かに笑みを浮かべる。


「今頃、二人でこの光景を見ているのなら・・・嬉しいわ」


その瞬間、優しい風が三人の間を吹き抜けた。


花びらが舞い上がり、金の髪、鳶色の髪、黒い外套をかすめてゆく。


――まるで「そうだ」と、誰かが囁いたようだった。


そのとき、ユウが光の中で微笑んだ。


りんごの花の下、透けるような金の髪が風に揺れ、

その瞳には、痛みと祈りと強さが宿っていた。


イーライは、思わず息を呑んだ。


“主と同じ人に惹かれてはならない”と知りながら、その姿に、視線が離せなくなる。


彼にとってのユウは、もはや主君ではなかった。


忠誠でも職務でもなく――

ただ、生きる意味のように感じ始めていた。


一方で、シュリはユウの横顔を見つめていた。


それは憧れでもあり、恋でもあり、

“守るべき人”への想いが、ゆっくりと形を変え始めていた。


誰よりも近くで、誰よりも触れてはならない存在。


二人はそれぞれの胸に、異なる熱を抱きながら、同じ女性を見つめていた。


花の香りと共に、

その“禁じられた想い”だけが、静かに広がっていった。


りんごの花が風に舞い、

ユウの髪にも、シュリの肩にも、ひとひら落ちた。


イーライがその光景を目で追う。

白い花弁が陽に透けて、淡く輝いている。


――この瞬間が、永遠に続けばいい。


三人の間に、言葉はなかった。

ただ、春の光と花の香りが満ちていた。


その日見たりんごの花は、後に、誰の記憶の中でも

いちばん美しい春として残ることになる。


りんごの花が一枚、ユウの髪に落ちる。


それを取ろうとした二人の青年の手が、わずかに触れ合った。


次回ーー明日の20時20分


リオウから届いた密やかな手紙。

ユウは胸にそっとしまい、キヨの手紙だけを「燃やして」と命じた。


その仕草に、イーライの胸が静かに揺れる。


言えない想いが三人の間に積もる中、

遠い戦場でキヨは笑う。


――「争いを終わらせて、ユウ様に逢いに行くぞ」


⭐︎ブックマークありがとうございます。

じわじわと読んでくれる人が増えてきてーー嬉しいです。

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