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秘密を抱えた政略結婚 ―血に刻まれた静かな復讐と、許されぬ恋の行方―  作者: 雨日
第3章 潮騒の婚礼 ――そして戦が始まる
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春の風が運んだ婚約の知らせ

――春。


ユウのいる城にも、ジュンの陣にも、そしてキヨの本陣にも、

同じ風が吹いていた。


◇ ワスト領 ロク城 ミミの部屋


「ユウ様、こちらをご覧ください」


静かな声に促されて、ユウは視線を落とした。


ミミの机の上には、封書の山が積まれている。


「これは・・・」

思わず息を呑む。


「すべて、他領の領主から届いたものです。

 “ユウ様を妃に迎えたい”という申し出でございます」


「えっ・・・」


ユウの瞳がかすかに揺れた。


春の陽光が、紙の山を照らしている。


その光景が、どこか滑稽で、そして――不気味だった。


「冬の間に滞っていた書状とはいえ・・・妙ね」

ミミは小さく息をつきながら、ユウの背後へ視線を送った。


そこにはサムとイーライが控えていた。

二人は居心地悪そうに視線を落とす。


ユウがこの城に来てからというもの、“求婚の手紙”は絶えず届いていた。


だが、それらはすべて、キヨの手によって処分されていた。


理由はただひとつ。


――ユウを誰のものにもさせたくなかったから。


そして今。


キヨの不在の間に再び届いた、数えきれない封書の山。


それを、ミミが受け取り発覚した出来事であった。


「皆、ユウ様を欲しいのでしょう。美貌と・・・ゼンシ様の姪御ですから」


ミミは封書のひとつを持ち上げ、深く息をついた。


ユウは答えず、ただ手紙を見つめていた。


部屋の片隅にいるシュリは、不安げにユウの背中を見つめていた。


それは、イーライも同じだった。


先ほど、激昂の中で手紙を火に焚べるように放ったユウが、

大人しく結婚に従うとは思えない。


そんな中、ミミが机の上の封書を束ねようとした瞬間、

紐が切れ、手紙の山が雪崩のように崩れ落ちた。


「あ・・・!」

ユウが反射的に立ち上がり、崩れた紙を掴もうとした。


同じく手紙を拾おうとしたシュリと、手が重なる。


「――っ」

指先が触れた瞬間、ユウの身体がわずかに傾き、

シュリの胸へと倒れ込んだ。


「ユウ様!」


シュリが抱きとめる。


胸の鼓動が、互いに触れ合う。


ユウの髪がシュリの頬をかすめ、静かな空気が一瞬、張りつめた。


それは、一瞬の出来事。


ユウは息を詰め、シュリの茶色の瞳に映る自分の顔を見つめた。


「・・・ありがとう」


ようやく絞り出した声は、かすかに震えていた。


シュリもまた、わずかに頬を赤くして俯く。


二人の影が、春の光の中で重なり、そして、そっと離れた。


その様子を、部屋の隅からイーライが見ていた。


一瞬、彼の手が拳の形に固まる。


声も出せず、視線を落とす。


ミミが咳払いをして場を整え、崩れた封書をサムが拾い集める。


ようやく静けさが戻った。


その沈黙を破ったのは、ユウだった。


「縁談はミミ様にお任せします」


「・・・私に?」

ミミが目を細める。


「はい。母上からの手紙にありました。“娘たちの婚儀は、ミミ様に託します”と」


ユウの声は静かで、けれど先ほどの動揺を押し隠すように、

どこまでも凛としていた。


「・・・そうね」

ミミは机の引き出しを開け、シリからの手紙を取り出す。


「私たち姉妹は、ここで贅沢な暮らしをしています。それはミミ様と・・・」

そこまで言って、言葉を止めた。


ユウは目を閉じた。


――それを口にするほど、自分はまだ大人ではない。


「ミミ様方がお決めになった領主ならば、喜んで嫁ぎます」


深々と頭を下げる。


「ユウ様・・・」

ミミは手を伸ばし、ユウの手を握った。


「けれど・・・お願いがあります」

ユウは絞り出すように言う。


「何かしら?」

ミミは緊張した顔つきになる。


「ウイよりも、私の婚礼を優先してください。

もう・・・二度と見送る立場にはなりたくありません」


ユウの瞳は揺れていた。


「婚礼は争いが終わるまでは進みません。夫が帰宅したら、

ユウ様に相応しい縁談を相談します」

ミミは、力強く話した。


ユウは静かに頷いた。


その横顔を、シュリは静かに見つめる。


さっきの瞬間のぬくもりが、まだ手のひらに残っていた。




◇ 戦場 ジュンの陣


春の風が、丘の上を渡っていく。


ジュンはその中に立ち、遠くに上がる兵煙を静かに見つめていた。


「キヨの軍勢、南から三万。 数では勝てぬが――道はある」

頷きながら満足そうに笑う。


隣に控えるセージが口を開いた。


「奴らは勢いばかり。この地を知らぬ者が攻め込むのは、無謀です」


ジュンは小さく笑う。


「戦は数ではなく、心と道理・・・焦るのは、キヨの方よ」


その声は風に溶け、丘の下では、すでに太鼓の音が鳴り始めていた。



◇ 同じ頃ーーキヨの本陣


春とはいえ、ぬかるむ大地は兵の足を重くしていた。


「ジョージが討たれた?」

報告を受けたキヨの声は低く、扇を持つ手がわずかに震えた。


エルが膝を進める。


「ジュン様の軍は退きながら誘いをかけ、この地形を完全に掌握しております」


「ジュンめ・・・!」

キヨは扇を地面に叩きつけた。


目を閉じれば、狸のように油断ならぬジュンの顔が浮かぶ。


ーーあの男は、無理をしない。


勝っても追わず、負けても退かず――真正面からは崩れぬ壁のようだ。


エルが静かに口を開く。


「兄者。ここは冷静に。兵を退き、後方に陣を構えましょう」


キヨは沈黙した。


扇を拾い上げ、泥のついた骨組みに視線を落とす。


「・・・ここは、一旦引く」


その声は低く、だが決意に満ちていた。


戦況は不利。


ジュンは戦を知っている――それを、誰よりも痛感していた。


「兄者も・・・ジュン様も戦が上手い。この争い、長引きそうですね」

エルが静かに言葉を添える。


キヨは短く笑った。


「構わん。長いほど・・・面白い」


外では、風が強く吹き抜けた。


泥に染まった陣幕がはためき、本格的な戦の幕開けを告げていた。


その風は、遠くワスト領にも届いていた。


まるで、何かを告げるように。



⭐︎ユウとシュリの関係は、幼い頃のある出来事から始まっています。


落城前に、

「姫を守れ」と命じられた四歳の乳母子シュリ。

その日を境に、二人の距離はゆっくりと変わり始めました。


その“始まりの日”を描いた短編を更新しました。


本編とは別視点で、シュリが乳母子になった背景を知っていただけるお話です。


▼短編『姫を守れと言われた日、僕は許されぬ恋を知った』

https://book1.adouzi.eu.org/n7680lk/


本編の理解が少し深まるかもしれません。

もしよろしければ、覗いてみてください。


次回ーー明日の9時20分


春の光の中、バルコニーで言葉を失うユウに、

「どこへ行かれても、私はお側におります」

と告げたシュリ。


その一言は、任務の言葉のはずなのに――

まるで想いを隠した誓いのようだった。


ふたりの距離が近づいたその瞬間、

遠く戦場では、ノアがひとつの選択をする。


静かな春の風が、

ユウとシュリの未来をそっと揺らしていた。

「誰にも言えない恋 誰にも言えない約束」

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