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秘密を抱えた政略結婚 ―血に刻まれた静かな復讐と、許されぬ恋の行方―  作者: 雨日
第3章 潮騒の婚礼 ――そして戦が始まる
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あの男に抱かれる日が来る

出陣を見送ったあと、ユウは速やかにドレスを脱いだ。


――あの男が仕立てた衣など、一刻も早く身から離したかった。


淡い水色の布を外すたびに、胸の奥がざらつく。

銀糸が光を失い、床に落ちた。


簡素な服に着替えると、ようやく呼吸ができた気がした。

小さく息を吐いた、そのとき。


扉が、控えめにノックされた。


ユウはすぐに顔を上げる。


「・・・イーライ? どうぞ」


「失礼します」

イーライが静かに扉を開けた。


「ミミ様がお呼びです」


「ミミ様・・・?」

ユウの表情がわずかに強ばる。


ミミ――あのキヨの正妻。


彼女の夫から高価なドレスを贈られた自分。


そして、あの男が口にした“国王になる”という言葉。


ユウは唇を結んだ。


――まさか、何かを察したのだろうか。


イーライは、ユウの心を読んだように続けた。


「衣類の件で・・・ご相談があるとか」


ユウは一瞬、目を伏せた。


心のどこかで、安堵と不安が入り混じる。


「・・・わかりました。すぐに参ります」

静かな声でそう言うと、鏡に映る自分の顔を見つめた。


そこには、もう“姫”ではなく、“一人の女”の表情があった。



ミミの部屋に、弾むような声が響いた。


「ユウ様、この衣装はどうでしょうか? 春に向けて華やかな色が良いと思うの」


ミミは淡い桃色の生地を胸に広げた。


やわらかな光を受けて、布地が花びらのように揺れる。


「はい・・・とても素敵です」

ユウは静かに頷いた。


ミミは嬉しそうに布を撫でながら、女らしい笑みを浮かべる。


その無邪気さに、ユウの胸が少し痛んだ。


思い切って、口を開く。


「ミミ様・・・いつもお気遣いありがとうございます」

ユウは深々と頭を下げた。


「けれど、衣装は十分に間に合っています。

ご負担をかけるようで・・・心苦しいのです」


ユウの声は穏やかだったが、その言葉の奥に微かな張りがあった。


ミミは一瞬、驚いたように目を瞬かせたが、すぐに柔らかく笑った。


「そんなこと、気にしなくても良いのよ。

ユウ様はお美しいのに、衣に興味がないから、お節介をしているだけなの」


「・・・それでは」

ユウは姿勢を正し、静かに続けた。


「私の衣類は十分です。その分を、シュリの服にお願いします」


部屋の空気が止まった。


ミミはもちろん、後ろに控えていたシュリ、

そして部屋の奥にいたイーライまでもが、目を見開いた。


姫が使用人の衣類を願い出る。


あまりない光景であった。


「ユウ様・・・私は、不自由しておりません」

シュリが狼狽したように言う。


ユウは首を横に振った。


「乳母たちの衣類は支給されています。けれど、シュリの服はなくて」


乳母子の衣類など、もともと用意されていなかった。


母が生きていた頃――シュリの服は、すべてシリが手配していた。


けれど、この城に戻ってから、シュリに新しい服が与えられることは一度もなかった。


汚れてはいない。


けれど、彼の身体は日に日に成長している。


裾も、袖も、もう短くなっていた。


ユウはその姿を見るたびに、胸の奥がちくりと痛んでいた。


ミミは手にしていた布を見つめ、やがて小さく息を吐いた。


「・・・そうね。確かに、そうだわ」

その声は、どこか恥じ入るようでもあり、安堵しているようでもあった。


「今すぐにシュリの洋服を何着か仕立てなくては・・・私の趣味で良ければ、布を見立てておくわ」


ユウは静かに頭を下げた。


「ありがとうございます、ミミ様」


「そのほかに、ユウ様とウイ様のドレスを仕立てないと」

ミミは微笑んだ。


「ミミ様・・・」

ユウは困惑したように話す。


「私には・・・子供がいないのよ。ユウ様も、シュリもイーライも・・・皆、私の子供よ」


その声に、ユウは口を開きーーそして閉じた。


「お気持ち・・・嬉しいです」

ユウの声は震えていた。


シュリが後ろで涙をこらえるように目を伏せた。



昼過ぎ。

ユウは西の棟のバルコニーに立ち、外を眺めていた。


冬の前の束の間の暖かさ。


今朝、多くの兵が争いのために出陣したとは思えないほど、城は静まり返っていた。


目の前に広がるロク湖は、すでに冬の色をしている。

陽光を受けても輝かず、ただ鈍く、深く、静かな青。


ユウは水色の外套を肩にかけ、冷たい湖風を受け止めていた。


「お身体が冷えますよ」

背後から、シュリの静かな声。


彼は二枚のショールを手にしていた。

ユウは銀色の方を取り、水色のショールをシュリへ差し出す。


「使って。冷えるわ」


拒まれても、譲らないだろう。


シュリは黙ってそれを受け取り、肩にかけた。


ショールから、ほのかにユウの香りがした。


「ユウ様・・・衣類の件、お気遣いありがとうございました」

シュリは頭を下げた。


「もっと早く気づけばよかったのに・・・ごめんね」

ユウの声は、湖の波のように静かだった。


「いえ。そのようなことは――」


二人はそれきり言葉を止め、しばらく湖の先を見つめた。


灰色の水面に、薄雲が映っている。


やがて、ユウがぽつりと呟いた。


「・・・辛いの」


「何がですか?」

シュリが顔を上げる。


「ミミ様が、とても良い人だからよ」


シュリは少し困ったように眉を寄せた。


ユウの伝えたいことが分からなかった。


「あの男は、私を妾にしようとしている」

ユウの声は低く、風に溶けた。


「・・・はい」

シュリは目を伏せた。


「それを知ったら、ミミ様はどう思うでしょうね」


「ミミ様は・・・もう慣れておられると思います。妾が二十四人もおられますし・・・」


ユウは苦く笑った。


「ミミ様が優しくしてくださるたびに、私は胸が痛むの。もし、あの男の妾になったのなら――」


言葉が震えた。


ユウの瞳が涙でゆらめく。


姫は、自分の配偶者を選ぶことなどできない。


いくら嫌でも、どんな男でも、命じられれば嫁がなければならない。


――それが、この国の“秩序”というものだ。



ユウは湖面を見つめたまま、

その秩序の冷たさを、冬の風のように感じていた。


どんなに嫌がっても、あの男に抱かれる日が来るかもしれない。


考えたくもない――だが、キヨの顔を思い出すだけで、その現実が迫ってくるのを感じた。


「妾になるには、妃の許可が必要です」

シュリが震える声で言った。


「ミミ様はお優しい。ですから・・・嫌がるユウ様を妾にする許可は、きっとお出しにならないと思います」


ユウははっと顔を上げた。


――そうだった。あの方なら、無理強いはさせないはずだ。


暗闇の中に差した一筋の光のように、その思いが胸に差し込んだ。


「・・・そうね。そうだわ」

声に、わずかに力が戻る。


だが、隣のシュリの胸は揺れていた。


頭の片隅で、以前サムが口にした言葉がよみがえる。


『キヨ様は、どんな不可能な現実も形にする力がある』


その言葉が血の気を引かせる。


もし本当にそうなら、ユウが恐れる未来もまた、意思あるかたちで現れてしまうのではないか。


戦で――死ねばいい。


そんな願いは決して口にしてはならない。


ユウにも言えない、誰にも言えない。


胸の奥に救いを願う気持ちが湧くのを止められなかった。

次回ーー本日の20時20分

戦の冬、レイを想いながら穏やかに過ごす三姉妹。

だが、ユウの机に並ぶのは“毒”と“殺める方法”の書。

そして――新しい衣を纏ったシュリが侍女たちに囲まれる光景が、

ユウの胸にかすかな棘を落としていく。


静かな城に積もる雪の下で、

姫の心だけが静かに燃えはじめていた――。


⭐︎ブックマークありがとうございます。

とても、とても励みになります。


シリアス × 非テンプレ × 長文 × 群像劇


という、“なろうで読まれにくい四大要素”を見事にコンプリートしている小説。


読んでくれる皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。

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