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秘密を抱えた政略結婚 ―血に刻まれた静かな復讐と、許されぬ恋の行方―  作者: 雨日
第3章 潮騒の婚礼 ――そして戦が始まる
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静かなる戦の始まり

「そうか! 見送りに来てもらえるのか!」

キヨの弾む声が執務室に響いた。


「はっ」

イーライが恭しく頭を下げる。


その一言に、キヨは椅子から立ち上がり、落ち着かない様子で部屋の中を行き来した。


「・・・あのドレスは、着てくださるのか?」

声を潜め、イーライに身を寄せる。


「はっ。着用されるとのことです」


その返答に、キヨは身をよじった。


「くぅ〜!! それを見られるなんて!!」


キヨは拳を握りしめ、天井を仰いだ。


イーライは無言で頭を下げる。


その背に、主のため息が重く落ちた。


あのドレスは、かつてキヨがシリのために仕立てたもの。

送るあてもないまま、生地を選び、針を動かした。

いま、その衣を娘のユウが纏っている。


それは、キヨにとって「シリを手に入れられなかった悔い」と、

「ユウを手に入れた象徴」が同居する衣でもあった。


「兄者、出陣前ですよ」

部屋の隅で控えていたエルが、浮かれた兄を冷たい声で制す。


「わかっとる・・・」

キヨは恍惚とした顔で頷いた。


――ちっともわかってない。


エルは心の中でため息をつく。


「出陣前に・・・ユウ様と話がしたい」

キヨの呟きに、イーライの整った顔が一瞬にして引き締まる。


「兄者! それは駄目です」

エルがすぐに声を上げた。


「この前、あの姫は兄者に掴みかかろうとしたでしょう。

出陣前に争いや怪我など、縁起が悪すぎます」


「いや・・・しかし」

キヨの顔は、叱られた子供のように歪んだ。


「駄目です」

エルは腰に手を当て、ぴしゃりと釘を刺す。


しばしの沈黙。


「・・・二人きりじゃなければ良いだろう」

キヨがぼそりと呟く。


「控え室に・・・エル、お前もいろ。そうすれば良いじゃろ」


「はぁ・・・」

エルは深いため息をついた。


――夢中になっている兄に、何を言っても無駄だ。


そう悟りながらも、彼は静かに準備を整え始めた。



◇ユウの部屋


「ユウ様・・・お似合いです」

着付けを終えたヨシノが、思わず声を上げた。


部屋の扉が静かに開き、朝の光が差し込む。


ユウは鏡の中の自分の姿を見つめた。


淡い水色のドレス――。


シンプルなラインが、背の高い彼女の身体をいっそうほっそりと見せている。


裾から胸元にかけて流れる銀糸の刺繍が、光を受けて淡く揺らめいた。


まるで、雪解けの水面が光を抱いたようだった。


「アクセサリーは、どれにいたしましょう」

ヨシノが顎に手を当てて考えた。


「・・・青のリボンが良いの」

ユウは静かに立ち上がり、引き出しを開けた。


そこにあったのは、白百合の刺繍が施された青いリボン。


――シュリが贈ってくれたものだった。


「随分と・・・そのリボンを大事にされていますね」

ヨシノが控えめに言う。


「気に入っているの」

ユウは短く答えた。


その声に、ヨシノはそれ以上の詮索をやめる。


白く細い首に、青いリボンが巻かれた。

鏡の中、淡い水色と青が交わる。


「お似合いです」

ヨシノが満足そうに頷く。


輝く宝石がなくても、ユウは十分に美しかった。


生地が擦れるたびに、かすかな音が響く。



扉の外で待っていたシュリは、ユウの姿を見て思わず息を呑んだ。


淡い水色のドレスが、朝の光をまとって現れたユウ。


いつでも、ユウのことは美しいと思っていた。


けれど、着飾った彼女を目にした瞬間、言葉を失った。


あまりの美しさに、心が追いつかなかったのだ。


立ち尽くすシュリを前に、ユウは少し不安そうに眉を寄せた。


数歩、彼の方へ歩み寄る。


「このドレスは・・・シュリとイーライのために着たのよ」


『シュリ』と呼ぶ声が、思わず強くなる。


その響きには、少しだけ不満が滲んでいた。


――なぜ、何も言わないの?


ユウはそう思いながら、シュリの顔を見つめた。


そして、わかってしまう。


言葉にしなくても、彼の瞳が『美しい』と語っていることを。


シュリの視線が、ユウの首筋へとわずかに動く。


白い肌に、青いリボンが凛と映えていた。


ユウは金色の髪を耳にかけ、わずかに微笑む。


「・・・とても、お似合いです」

シュリの声は掠れていた。


「・・・ありがとう」

ユウもまた、彼の顔を見ずに答えた。


二人のあいだに、微かな沈黙が落ちた。


それは朝の光に包まれた、淡く痛い沈黙だった。




廊下の奥から、軽い足音が聞こえた。


「お支度は、もうお済みですか、ユウ様」


声の主――イーライが現れる。


彼の目がユウをとらえた瞬間、動きが止まった。


ユウがほんの少し顔を上げると、銀糸の刺繍がきらりと光を返した。


イーライは息を飲んだ。


言葉を探すように唇を動かすが、すぐには出てこない。


表情は動かない。


だが、その瞳の奥には、驚きとためらいが交錯していた。


――美しい。


そう思わざるを得なかった。


――だが、主が想う相手に、私が見惚れるど・・・。


胸の奥で言葉が苦くほどけていく。


忠義と感情が、静かにぶつかり合った。


ユウがゆっくりと微笑む。


「準備は終わったわ」


その声に、彼ははっと我に返り、慌てて膝を折る。


「・・・お見事です」


伝えた言葉は、それだけ。


掠れた声が、空気に震える。


シュリが横目でイーライを見る。


「そうかしら」

ユウは穏やかに笑い、鏡越しに自分を見つめる。


――もう、誰かのために着飾っているのではない。


この衣は、私自身の覚悟のためのもの。


「出陣までお時間があります・・・控え室にどうぞ」

イーライが頭を下げる。


ユウは裾を整え、姿勢を正した。


朝の光の中で、その瞳は澄んだ青に輝いていた。


それはもはや、誰の娘でもなく、姫でもない――ただ、自らの信念に従って立つ女性の瞳だった。


光をまとい、ユウは静かに歩き出した。


次回ーー明日の20時20分


出陣の朝、ユウは怒りと覚悟を胸に控え室へ向かう。

キヨの歪んだ執着、三姉妹それぞれの想い――そのすべてが交差する中、

戦はついに動き出す。


どちらが“王”となるのか。

勝っても負けても、傷つくのは姉妹たちだった。


「穢れた手に触れられて」

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