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亡霊に怯える領主

広間を後にしたキヨは、欲に突き動かされるまま足を早めていた。


豪奢な回廊を抜け、辿り着いたのは――ユウの部屋。


廊下の奥、その扉を背に、小さな影が立ちふさがっている。


末の妹レイだった。


痩せた肩をまっすぐに張り、幼い身体で道を塞いでいる。


隣では乳母サキがオロオロと戸惑い、少女の裾を引こうとしていた。


キヨとイーライの姿を認めると、レイの表情が変わった。


澄んだ瞳で見据え、揺るぎない声音で告げる。


「姉上は・・・まだ体調が戻らず、寝込んでいます」


その言葉には幼さが残っていた。


だが、不思議なほど澄み切った静けさが漂う。


――この部屋には通さない。


そう告げる意志が、言葉以上に強く伝わってくる。


キヨは思わず足を止めた。


胸にざらついた記憶が蘇る。


黒髪黒眼の若き領主――グユウ。


陰気で憎らしい男。


だがシリが心酔し、愛してやまなかった男。


死んだと知ったとき、心の底でせせら笑ったはずだったのに。


今また、その眼差しが蘇る。


亡霊が少女の姿を借りて、目の前に立ちはだかっているかのようだった。


背後でイーライは無言のまま、その様子を見つめていた。


――普段は姉の影に隠れている少女。


だが本当は、姉妹の中でいちばん気が強いのではないか。


そんな確信が、静かに芽生える。


「・・・ふん、子供の戯言よ」

キヨは吐き捨てた。


だが次の瞬間、足は鉛のように重くなり、一歩も前に出せなかった。


少女の瞳の奥に、死んだはずのグユウの影を見た。


その冷たい視線に射すくめられ、領主であるはずの己が退かされていく。


「イーライ、急用ができた。戻るぞ」

キヨは視線を逸らし、背を向けざるを得なかった。


背を向ける足取りは、勝者のそれではなく、追われる者のそれであった。



キヨが角を曲がり、姿が見えなくなった瞬間――。

乳母サキはその場に崩れるように腰を落とした。


「レイ様・・・心臓に悪うございます」

弱々しい声が、廊下に響く。


レイは黙ったまま、サキに小さな手を差し伸べた。


「領主様に、あんな・・・」

必死に訴える声も、少女の表情を揺らすことはない。


その時、背後の扉が開いた。


「廊下で話し声が聞こえたけれど・・・」

首をかしげて顔を出したのはヨシノだった。


「ヨシノ! 聞いてください!」

サキは思わず駆け込み、部屋へ入る。


レイも静かに続き、扉を閉ざした。


ソファに腰かけていたユウが、驚いたように顔を上げる。


「・・・レイ?」


サキの早口の説明を聞き終えると、ユウの唇が震えた。


――こんな大胆なことを、この妹が。


「レイ、どうして?」

本を閉じ、ユウは隣に座るよう促す。


レイは黙って姉の肩に黒髪をあずけた。


母に甘える幼子のような仕草。


ユウは言葉もなく、その髪を撫でた。


――母上も、いつもこうしてレイの髪を撫でていた。


末妹は亡き父に似て、母の一番のお気に入りだった。


その優しい手つきを真似て撫でる。


やがてレイが顔を上げた。


穏やかな湖のような黒い瞳で、まっすぐに姉を見つめる。


レイの瞳は静かだったが、そこに宿る影は幼子のものではなかった。


「姉上のことは・・・私が守る」


小さな声だった。


けれど、その決意は確かだった。


レイの小さな声に、ユウは胸の奥で安堵と同時にかすかな怖さを覚えた。


――この妹は、どこまで本気なのだろう。


「嬉しいけれど・・・無茶はしないでね」

母の声音を思い出しながら、そっと髪を撫でる。


部屋に、穏やかな時間が流れる。


小さく頷いたレイの背を、シュリが静かに見つめていた。


階段を降りるキヨの足取りは荒々しく、どこか逃げるようでもあった。


「広間だ・・・広間に戻るぞ」

低く呟く声は震えていた。


「はっ」

不思議に思いながらも、イーライは主の背を追う。


勢いよく広間の扉が開かれた。


酒を傾けていた重臣たちが一斉に顔を上げる。


「兄者、どうされましたか?」


「ロス家と婚姻を結ぶのは――末の姫だ!」

キヨが突然叫ぶ。


顔は紅潮し、血走った眼は常軌を逸していた。


「は?」

思わず声を漏らしたのは、カツイの息子であり重臣のオリバーだった。


サムの手は細かく震え、イーライさえ目を見開いている。


「・・・先ほどは“お任せする”と仰せでしたので、ウイ様をと考えておりましたが」

エルが静かに言葉を繋ぐ。


「そうです。十三歳なら許容範囲かと・・・」

ノアも恐る恐る口を添える。


「うるさい!! 末の姫に決めたのだ!」

キヨは怒声を轟かせ、盃を卓に叩きつけた。


「イーライ! ロス家に婚姻の意思があるか、今すぐ手紙を書け!」


「・・・承知しました」

イーライは低く答え、慌ただしく紙とペンを取り出す。


「わしは・・・これからメアリーの所へ行く!」

そう叫び、キヨは乱暴に扉を閉ざした。



残された広間は、深い沈黙に包まれていた。


「なぜ・・・末の姫様なのでしょうか」

重臣の中で最も若いオリバーが、恐る恐る声を上げた。


「まだ十一歳と知れば、ロス家も首を縦には振らぬはず・・・」


卓の端では、イーライが無表情のままペンを走らせている。


主の命とあらば迷わず、流麗な字で手紙をしたためていた。


「・・・レイ様は、グユウ様に似ておられるからだろう」

エルが低くつぶやく。


その横で、サムは黙って深く頷いた。


「そんなに・・・グユウ様に?」

オリバーは戸惑いを隠せない。


彼がレーク城に仕えていたのは十四歳までで、記憶にあるレイはまだ赤子だった。


「似ている」

サムが短く答える。


その声には、迷いもためらいもなかった。


それ以上、誰も言葉を重ねなかった。


誰も杯に手を伸ばさず、ただ荒い呼吸音だけが広間を満たしていた。


その場にいた全員が悟っていた。


――キヨ様は、グユウ様の面影をレイ様に見てしまった。


だからこそ、末の姫を嫁がせると決めたのだ。


その事実は、誰も声に出せぬまま、重苦しく広間に沈殿した。

次回ーー明日の20時20分

ユウが籠もって七日。

焦るキヨは末の姫レイに阻まれても、ユウの顔を求める。

イーライの策で面会が決まり、ユウはついに扉を開く。

――祈り届かぬまま、運命の再会が始まる。




✦登場人物紹介


キヨ

ワスト現領主。野心と嫉妬に駆られ、かつての宿敵グユウの影に怯える。


イーライ

キヨの側近。冷静沈着で忠実。主の狂気をただ黙って見届ける。


レイ

シリの末娘。十一歳。母譲りの聡明さと、父グユウの瞳を持つ少女。姉ユウを守ろうと立ち上がる。


ユウ

長女。妹を慈しみながらも、その強さに一抹の怖れを抱く。


ヨシノ

ユウの乳母。姉妹を見守る母のような存在。姉妹の絆を誰よりも大切にしている。


サキ

レイ付きの乳母。気が弱く、幼い主の行動に常にハラハラしている。


オリバー

若き重臣。かつてシリとグユウに仕えた家系の子。理性よりも良心を重んじる。


サム・エル・ノア

重臣たち。城を支える古参。領主キヨの変化に不安を抱く。

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