縁談の陰に潜む獣
「縁談――姫たちを使えばよいのか」
キヨが上機嫌に盃を掲げた。
「セン家の姫をジュンに嫁がせれば、同盟が結ばれるではないか!」
その言葉に、居並ぶ家臣たちの間にざわめきが走る。
ノアが一歩進み出て、低い声で進言する。
「それはあまりに無理です。ジュン様はすでに四十を越えている。末姫レイ様は・・・まだ子供」
その言葉に、サムが静かに補った。
「まだ十一歳だ」
ノアは頷き、続ける。
「年齢が離れすぎている。縁談としては不自然にございましょう」
「ノア、お前と妻のマリーも年齢が離れているではないか」
キヨが呆れたように話す。
「・・・確かに私とマリーも年は離れております。
ですが、それでもあの幼いレイ様を差し出すなど、到底・・・」
ノアの声は震えていた。
エルも眉をひそめ、低く言った。
「兄者。ノアの言はもっとも。人心を得るはずの縁組が、かえって笑い話となれば逆効果です」
だが、キヨは腹の底から笑い飛ばした。
「なにを言うか! 姫は若ければ若いほどよい! 大事なのは血筋よ。年などどうでもよいのだ!」
広間に沈黙が落ちる。
サムもノアも、エルでさえも言葉を失った。
ただ、盃を掲げて笑うキヨの声だけが、不気味に響き渡っていた。
エルが軽く咳払いをした。
「それなら、長女のユウ様が最も相応しい。
まだ十四歳ですが・・・さすがに十一歳のレイ様を嫁がせるわけには参りません」
その言葉が落ちた瞬間――。
「ユウ様はだめだ!!!」
キヨは立ち上がり、盃を卓に叩きつけた。
その声は怒号ではなく絶叫。
広間の空気が震え、家臣たちの背筋が一斉に凍りつく。
「ユウ様はセン家の血! ゼンシ様の姪なのだ!あの姫を他人に渡すなど、考えることすら許さぬ!」
血走った眼、唇の端から酒が垂れても気づかない。
理屈を失った声には、欲望と執念だけが絡みついていた。
「・・・それならば、妹も同じことではないか」
エルは呆れを滲ませて呟く。
家臣たちは誰もが本能で悟った。
――この男はもう理では止められぬ。
ノアは沈黙し、サムは言葉をなくした。
ただ一人、イーライだけが冷ややかに一礼する。
「・・・承知いたしました。ユウ様はお手元に。では、他の姫君を嫁がせましょうか」
その声に、キヨはようやく肩を上下させ、息を整えた。
次いで口元に浮かんだ笑みは、獲物を決して放さぬ猛獣のそれ。
その瞬間、広間の誰もが悟った。
ユウという一人の娘が、主の理性を凌駕し、支配しているのだと。
ーー落ち着け、落ち着け。何か策があるはずだ。
サムは汗ばむ拳を何度も開いては閉じた。
シリ様から託された姫様方を、ジュン殿に嫁がせるなど。
――あまりにも酷。
ジュン殿が立派な領主であることは百も承知している。
だが、年齢の離れすぎた縁談は、また別の問題だ。
もしシリ様がご存命であれば・・・この話を聞いた瞬間、烈火のごとく怒られるに違いない。
胸に蘇るのは、かつて主君であった女性の、鋭くも温かい叱責の声。
サムは広げられた地図を凝視した。
頭の奥が熱くなるほどに必死で考える。
――姫たちを守り、同時に争いを有利にする手立てはないか。
答えを探すように、視線が地図上をさまよい続けていた。
サムは深く一礼し、低い声で口を開いた。
「ジュン殿に年若き姫様を嫁がせるのは・・・あまりに無理がございます」
一拍置き、地図を見やりながら続ける。
「代わりに、ロス家はいかがでしょう。領主セージ様はゼンシ様の甥。
ここを味方に引き入れれば、ジュン殿への圧は倍加いたします」
エルが頷き、指先で海と陸の要路をなぞった。
「なるほど・・・ロス家は境を押さえ、海も陸も要を握る。
もし深く同盟を結べば、兵糧も商いも、すべてこちらに傾く」
イーライもまた一歩進み出て、地図上を指した。
「ジュン殿とて背後を封ぜられ、兵糧を絶たれては抗しきれません。
ロス家との縁を強めることこそ、最上の策にございます」
キヨは腕を組み、目を細めて唸った。
「・・・ふむ。ロス家を取り込めば、ジュンの背を封じられるか」
次の瞬間、満足げに大きく頷く。
「よし! まずはロス家と和を深めよ!」
「それでは・・・次女か三女の姫様、どちらを嫁がせますか?」
エルが問いを重ねる。
「・・・どちらでも変わらぬ」
キヨの答えは軽かった。
――ユウでなければ、妹たちなどどうでもよい。
言葉の端に、そんな無関心がにじんでいた。
まるで世界にはユウしか存在しないかのように、他の姫の名は口にしても心には届いていない。
歪んだ執着が声の端々ににじみ出ていた。
次の瞬間、キヨの口元に熱が滲む。
――ユウ様・・・早くお顔を見たい。
その思いが胸の奥で膨れ上がり、抑えきれぬほどに脈打つ。
キヨは、落ち着きなく身を揺らし始めた。
「わしは・・・腹が減った」
立ち上がったキヨに、エルの顔が険しくなる。
「兄者!」
女を抱きに行きたいのだと、すぐに察した。
「どうされるのですか!」
声が鋭く響く。
「お前たちに任せる・・・イーライ、ついて来い」
「はっ」
イーライを従え、キヨは広間を後にした。
◇
残された重臣たち。
「ふぅ・・・」
サムは思わず息を吐き出す。
だが安堵と同時に、胸を締めつけるような不安が離れなかった。
「兄者が去った今、ようやく話せるな」
エルは低く呟き、周囲を見回した。
ノアが沈黙を破るように低く呟いた。
「・・・ウイ様か、レイ様かと問われれば、年齢的にはウイ様になりましょう」
「ウイ様は・・・」
エルが視線を投げる。
「十三歳だ」
サムが答える。
「仮にロス家と縁談をまとめるとすれば・・・跡取りのセージ殿は確か十九」
「許容範囲ですな」
エルは頷いた。
広間の空気は、キヨの退席と共に荒々しさを失い、現実的な縁談の話へと移っていく。
軍議は――縁談から、同盟強化へと確実に舵を切り始めていた。
◇
一方、キヨの足取りは次第に早まっていった。
向かう先は、多くの妾たちが集う西の棟。
豪奢な回廊を抜け、彼は迷うことなく階段へと足を掛ける。
一階には目もくれず、軋む段を踏みしめて二階へ。
キヨは歩を早めながら、低く呟いた。
「ユウ様・・・早くお顔を見たい」
欲と焦りに駆られる主。
その背を見つめながら、イーライは黙して従うしかなかった。
次回ーー明日の20時20分
広間を後にしたキヨが、足早に向かった先はユウの部屋。
だが、扉の前に立ちはだかったのは――末の妹レイ。
幼い身体で領主を止める少女の瞳には、亡き父グユウの影が宿っていた。
その瞬間、キヨの心は崩れ落ちる。
そして広間に戻った彼が放った言葉が、すべてを狂わせていく――。
2日続けてブックマークを頂きました。
テンプレ外の作品を読んでくれる読者様、ありがとうございます。
登場人物
キヨ
勝利に酔うワスト領主。理を失い、ユウへの執着を隠せなくなる。
ユウ
シリの長女。母の知恵と父の激情を継ぐ姫。
キヨの歪んだ想いに囚われようとしている。
エル
キヨの弟。冷静な判断を保ちながら、暴走する兄を止めようとする。
ノア
シズル領の元重臣。理を尽くして進言するが、権力の前では無力。
サム
重臣。亡きシリへの忠義を胸に、姫たちを守る策を探る。
イーライ
冷静な家臣。命令に従いながらも、主の狂気を見つめている。
ウイ/レイ
ユウの妹たち。幼くして縁談の駒にされる運命に立たされる。




