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美しすぎる姫 想いは胸に秘めて

キヨが出陣して、すでに1ヶ月が経過した。


ーーあの男が城内にいない。


ただそれだけで、胸の奥に沈んでいた重さが少し軽くなる。


悲しみは消えない。


決して忘れることはない。


それでも、月日は無情に過ぎていき、姉妹たちは痛みを抱えながらも、ようやく笑えるようになっていた。


蒸し暑さが増したある日、三人はミミの部屋へ呼び出された。


緊張した面持ちのユウに比べ、ミミは穏やかな微笑みを浮かべている。


「今日は・・・仕立て上がったドレスをお渡ししようと思って」


「・・・ドレス、ですか」

ユウの声がわずかに引き攣った。


「ええ。ノルド城が焼けてしまったから、手持ちの衣は少ないでしょう?」

柔らかな声でそう言うミミの表情は、母のような優しさにさえ見えた。


「はい」

ユウは伏し目がちに答える。


――自分はどうでもいい。けれど、妹たち、特にレイは育ち盛り。新しい衣は必要だ。


「こちらへ」

ミミが侍女に声をかけると、数人が次々に衣を抱えて入ってきた。


「・・・こんなに!」

目の前に並べられた衣に、ユウは思わず声をあげる。


「ユウ様にはこちら」

差し出されたのは、濃い緑のドレス。


「こちらはウイ様」

若草色のドレスを前に、ウイはぱっと顔を明るくする。


「わぁ!」


「レイ様は・・・こちら」

淡いピンクのドレスを示しながら、ミミは小さく笑んだ。


「本当は濃い色の方が髪に映えるのだけれど・・・私が着せたかっただけかもしれませんね」


――どうして、こんなことを。


心の奥に小さな棘が刺さる。


これは慈しみなのか、それとも・・・別の意図なのか。


ユウは答えを見いだせないまま、緑のドレスをそっと指先で撫でた。


一つ一つが丹念に仕立てられた衣。


生地も上等で、手の込んだ刺繍まで施されている。


ユウは視線を落とし、しばし言葉を失った。


――ミミが、どれほど一生懸命に選んでくれたのかが伝わってくる。


ユウの疑問が伝わったのだろうか。


ミミは柔らかく答えた。


「私には・・・子供がいません。もし娘が生まれたら、こんなドレスを着せたかったのよ」


その横で妾のメアリーが愉快そうに笑う。


「キヨ様に選ばせたら、『もっと派手な色を仕立てさせろ!』と命じたでしょうね」


「本当に」

ミミも声を立てて笑った。


――あの男が選んだものではなく、ミミ様が選んだものなら。


「ご配慮ありがとうございます」

ユウは深々と頭を下げ、妹たちもそれにならった。


ーーミミ様の人柄を信じたい気持ちはある。


けれど、それを素直に受け入れられない自分がいる。


与えられた服をヨシノに着せてもらいながら、ユウは小さなため息をついた。


――ミミ様は、あの男の妻なのだ。


夫が自分を妾にしようとしていることを知ったら・・・ミミ様はどう思うのだろう。


彼女が良い人だからこそ、余計に気にかかる。


「良くお似合いです」

ヨシノは心から誇りに思うようにユウを見上げた。


鏡に映る自分は、濃い緑色にぴたりと寄り添うように仕立てられた姿。


「これを着ていると・・・より一層、背が高く見えます」

ヨシノは力強く言葉を添えた。


「確かに、生地は薄くて・・・これからの時期にぴったりだわ」

ユウは見目の美しさよりも、まず機能性に触れる。


そのとき、控えめなノックの音が響いた。


――この叩き方は。


「イーライ、入って」

ユウは静かに口を開いた。


「失礼します」

イーライが深々と頭を下げ、部屋に入った。


「ミミ様から・・・衣類に何か不具合がないか、確認せよと」


そこまで言いかけて、彼の切れ長の目がわずかに見開かれる。


目の前に立つのは、濃い緑のドレスを纏ったユウ。


その色は金の髪を際立たせ、青い瞳をいっそう深く見せていた。


――眩い。


吸い寄せられるように、イーライの瞳は彼女を捉えて離さない。


「サイズは申し分ないわ。涼しくて・・・これからの時期に良いです」

ユウは淡々と答えたが、すぐに気づいた。


「・・・イーライ?」


ほんの少し顔を近づけると、イーライの体がびくりと大きく震えた。


ユウの瞳が、真っすぐにイーライを射抜いた。


青い光に捕らえられた瞬間、イーライは胸の奥がぎゅっと掴まれる。


――息が、できない。


返事をしようと口を開いたが、声が震えてしまう。


慌てて視線を逸らす。


逸らさなければ、自分の内心を悟られてしまう。


ーーユウ様はゼンシ様の姪。


主キヨ様の妾に迎えるべく、私が見張り、守るべき方。


それなのに。


あの横顔を前にすると、役目を忘れてしまいそうになる。


近づけば近づくほど、心が乱れる。


――どうして、こんなにも。


耳が熱くなり、拳を握りしめる。

答えは分かっている。


ーー私は、あの方を。


言葉にならぬ想いを胸に押し殺し、深々と頭を下げた。


「そ、そうでしたか。伝言は必ず・・・お伝えします」

声は少し掠れ、イーライの耳は赤く染まっていた。


その姿を、廊下で待機していたシュリは静かに見つめていた。


――イーライも・・・そうなのか。


あの視線を見れば、嫌でもわかる。


――あいつも、自分と同じだ


けれど、自分は乳母子。


家臣のイーライよりもなお遠い。


扉の隙間から漏れる光の中に立つユウの姿――濃い緑のドレスに身を包み、凛とした横顔を見せる彼女。


胸の奥が、痛むように熱を帯びた。



ユウは、ただイーライが緊張しているのだと思った。


青い瞳を少しだけ細め、何気ない口調で問いかける。


「イーライ、あの男に子はいるの?」


真正面から突きつけられた問いに、イーライの喉が小さく鳴った。


「・・・十年前に、お一人」

落ち着いた声を装いながら答える。


「十年前?」


「はい。お母上はミミ様ではございません。妾の一人が・・・男の子を」


「その子は?」


「・・・二歳で亡くなられたとか」


ユウの眉がわずかに動いた。


「・・・他には?」


静かに重ねられる問いに、イーライは深く頭を垂れた。


「・・・おりません」


「そう」


――二十四人も妾がいて、子を得ぬというのは。


ユウは階下に暮らす女たちの姿を思い浮かべ、冷ややかに息を吐いた。


「ここの後継はどうするの?」


「甥に任せるとも考えておられるようで・・・」


ユウは黙って頷く。


しかし、イーライは続けざるを得なかった。


「けれど、キヨ様は・・・お子を諦めてはおられません」


――ゼンシ様の姪であるユウ様が妾となれば。


一番の寵愛を受けるに違いない。

それが自分に課せられた使命でもある。


使命を果たすなら、喜んで彼女を説得して差し出さねばならない。  


だが、心は逆に――必死に抗っていた。


妾におさまるユウを想像するだけで、胸の奥がざわめき、息が詰まる。


抑えきれない気持ちを抱えたまま、イーライは目を伏せた。


次回ーー本日の20時20分

※木曜日と日曜日は2回掲載します



祈りの後に残ったのは、沈黙と、わずかな熱。

ユウの前に並ぶ二人の男――

ひとりは乳母子、もうひとりは敵の監視役。


穏やかな午後に生まれたその調和は、

やがてすべてを揺るがす火種になる。

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