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母の影を纏うドレスーー娘に重ねる歪んだ贈り物

「誠に・・・良い眼差しをしておる」

廊下を歩きながら、キヨはニヤリと口元を歪めた。


脳裏に焼きついて離れない、ユウの苛烈な眼差し。


思い出すだけで、抱き締めたくなる衝動がこみ上げてくる。


「まだ・・・早いな。少しずつ、少しずつ・・・我が物にしていけばよい」


その呟きに、背後を歩くサムの表情は固くなった。


イーライは能面のように無表情を保っていたが、握った手のひらにはじっとりと汗が滲んでいる。


やがて重臣会議の間に入る直前、キヨはイーライを呼び寄せた。


「イーライ、お前は今回の戦に出る必要はない」


「はっ・・・! ・・・え?」

思わず顔を上げるイーライに、キヨは満足げに頷いた。


「シュドリー城は接戦にはならぬ。余裕で勝てる。交渉の場もあるまい」


「・・・はっ」

イーライは深く頭を下げる。


キヨは続けた。


「この城にはサムも残す。潰したとはいえ、シズル領の残兵がまだ潜んでおる。

力のある重臣を置いておく必要がある」


「それでは、私はサム様の補佐をすればよろしいのでしょうか」

イーライの黒い瞳がじっと主を仰ぎ見た。


キヨは扇で口元を隠し、声を落とす。


「いや・・・お前の務めは別にある」


「・・・別、とは」


「サムはレーク城に仕えた身。セン家びいきよ」

キヨは横目でサムを一瞥し、再びイーライに目を向けた。


「お前はユウ様を見張れ。変な虫がつかぬよう、逐一わしに報告するのだ」


「承知しました」

イーライは深く頭を垂れる。


「・・・それから、ユウ様に例の品を届けよ」

キヨは扇で口元を隠したまま、声を潜めた。


その一部始終を、エルが細い目をさらに細めて見ていた。



◇ユウの部屋


ユウの部屋の扉を控えめに叩く音がした。


ヨシノが受け取りに出ると、戸口には不安げな表情のウイとレイが立っていた。


「ウイ! レイ!」

ユウが驚いたように顔を上げると、二人は姉の元へ駆け寄った。


ユウは慌てて設計図を畳み、ぎこちない笑みを浮かべる。


「姉上、大丈夫?」

ウイの群青色の瞳は心配で揺れている。


「大丈夫よ」

ユウは静かに答え、しかしその声にはどこか強さが含まれていた。


レイは黙ってユウの所作を観察している。


やがて、ぽつりと呟いた。


「この部屋の香り、前と違うね」


「私が命じたの。私の部屋で、あの男の好む香りなど焚かせないわ」

ユウは語気を強める。


薄荷の清冽な香りが室内に漂い、言葉に冷たさを添えた。


その様子をシュリは黙って見つめていた。


目は静かだが内に堅さを湛えている。


ウイはユウの隣にすり寄るように腰を下ろした。


レイは大きなクッションにもたれ、黒い瞳で姉を見つめ続ける。


ウイは何度か唇を開き、言葉をふりしぼるように問いかけた。


「キヨは・・・姉上を妾にしようとしているの?」

語尾が震えていた。


隣にいるのは、自分と年の違わぬ妹だという現実に、ユウは息をのむ。


「・・・わからないわ」

ユウは唇を噛み、目を伏せる。


薄い影が瞳の奥を横切った。


「そんなこと、させない!!」

レイが跳ね起き、鋭い眼差しで前へ出る。


「私も、妾などにはならない」

ユウの声は低く、鋭く響いた。


拳がぎゅっと握られる。


「あの男を、殺したい」


短い言葉が、静かな部屋に重く落ちる。


シュリはその時も、ただ黙って横顔を見つめていた。


胸の奥で何かが締めつけられる。


いくら思いを巡らせても、女に自由は簡単には許されないのだと知っている。


だが――救いを求めるように毅然としたユウの横顔を見て、彼の拳は強く握られていた。


その時――。


再び、部屋の扉が叩かれた。


今度は、よどみなく控えめな音。


ユウは扉を開ける前から、誰が来たのか察していた。


入ってきたのは、姿勢正しく頭を下げるイーライだった。


彼の手には細長い包みが抱えられている。


「キヨ様からのお届け物にございます」


「・・・あの男が」

ユウの眉がわずかに吊り上がる。


「はっ」

イーライは深々と頭を垂れた。


ユウは一瞬ためらった末、手で合図をしてイーライを近づけた。


テーブルの上に包みを置く。


直接手渡しすれば拒まれる――そう判断したのだろう。


その狡猾さが、この青年らしいところでもあった。


「お確かめください」


イーライが顔を上げ、ユウを真っ直ぐに見つめる。


黒い瞳には、何の感情も宿っていない。


ユウは小さくため息をつき、ゆっくりと包みを解き始めた。


だが、途中で手が止まる。


顔を上げると、イーライは無言で頷き、続きを促した。


包みを解き、布が現れた瞬間、部屋の空気が変わった。


キヨからの贈り物は、水面のように淡く光沢を帯びた水色のドレス。


許される限りの装飾が施されてはいるが、形はあくまでシンプル。


細身で背の高いユウの体型を、細部まで計算した仕立てだった。


「・・・これは・・・」


ユウが立ち上がり、思わずドレスを胸元に当てる。


長さは寸分の狂いもなく、布は彼女の身体にしっとりと沿った。


ユウの指先がわずかに震えた。


美しいはずの布地に触れているのに、その瞳は恐怖で曇っていた。


「まあ!」

ウイとヨシノが同時に声を上げる。


見事な布地の輝きに、思わず息を呑むほどだった。


しかし、その賛美の声はユウの耳には届かない。


「・・・どういうこと?」


ユウの瞳に宿ったのは、喜びではなかった。


淡い水色のドレスを前にしても、そこに浮かんだのは恐れの色。


――姉上が驚くのは当然。


レイは静かな眼差しで、姉とドレスを交互に見つめた。


姉上は背が高い。


女としてはもちろん、男たちよりも高い。


その体格に寸分違わず仕立てられたドレス――。


ただそれだけで、異様なまでの用意周到さが滲む。


布地の量も、仕立てに費やした時間も、並大抵ではない。


すぐにはできぬもの。


それなのに、この城に到着して3日で渡されたドレス。


レイは裾へと視線を落とした。


わずかだが、縫い目に伸ばした跡がある。


しつけを解き、無理に布を継ぎ足した痕跡――。


『・・・やはり』


胸の奥で小さく呟いた。


――これは母上のためのドレス。


だが、母上より三センチ背の高い姉上に着せるため、無理やり裾を足した。


キヨは“母を超える娘”に欲望を重ねている。


・・・なんという歪んだ執着か。


イーライは少しだけ目を伏せた。


だが、ユウの恐怖に震える指先と、レイの鋭い眼差しが脳裏に焼き付いて離れなかった。



次回ーー明日の9時20分<明日は2話更新>


青いドレスを前に、ユウの瞳は氷のように光った。

「キヨに伝えて――“私は明日、具合が悪くなります”と」


怒りと屈辱を押し殺しながらも、彼女は毅然と立つ。

モザ家を滅ぼそうとする男に、誇りだけは奪わせないために。


その夜、涙をこぼし眠るユウを、

シュリはそっと抱きしめた。


――この方を、必ず守る。


戦の足音が、静かに城を包みはじめていた。

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