9 楽しいショーの始まり
ミスティアが再びニコリと妖しく微笑むと、彼女たちは黄色い悲鳴を上げながら、半ば逃げるように東屋を去っていってしまった。
再び、辺りに沈黙が流れる。
「ぷ、あははは……!」
(!?)
――沈黙を、軽薄な笑い声が打ち破る。ミスティアが振り返ると、そこには腹を抱えて笑っているノアの姿があった。彼はひとしきり笑った後、突然ピタリと笑うのを止めた。
そして東屋のベンチから立ち上げると、ミスティアへ歩み寄り、彼女の髪についている藤の花弁を指先で摘まんだ。
次の瞬間花弁はパッと指から離され、はらはらと虚しく地に落ちていく。
「『私の髪に触れていいのは、ノア様だけ』ね。嬉しいよミスティア、嫉妬してくれたんだね。そんなに僕のことが好きなんだ」
「はい、大好きです」
(いいえ。私が好きなのは、スキアだけです)
操られたミスティアが花咲くように微笑むと、ノアは嬉しくてたまらないというように表情を緩めた。
「ミスティアは本当に可愛いね」
呟き、笑うノアの本心が読めない。このやりとりはこれで何回目だろうか。
以前は人前でだけだったのだが、最近ではこのやりとりを人が居ないところでもやりたがる。周囲に仲をアピールするのが目的であれば必要ないはずなのに。
「でも嫉妬しなくて大丈夫。話題はもっぱらお前のことだったから」
(私のこと?)
心の中でミスティアが驚くと、操られたミスティアが口を開いた。
「そうだったのですね。でもノア様は私の大切な婚約者ですから、私抜きで女性と会話はお止めください。嫉妬でおかしくなってしまいそうです」
唇からするすると思ってもみないノアへの好意が紡がれていく。彼は上機嫌に微笑むと、ミスティアの髪をそっと耳へかけた。
「ふふ、可愛い。……彼女たち、お前のファンクラブなんだってさ。ほら、ミスティアは元々スキアと恋仲だったでしょう。なのに突然僕に心変わりしたから気になったんだろうね。根掘り葉掘り色々と探られたよ。……ずいぶん人から好かれているんだね。好意的なふりをしていたけど、彼女たちの瞳に僕への疑いの色が見えた」
声色が落ち、ノアが先ほど落ちた藤の花弁を靴先で踏みにじる。
「あぁ……誇らしいなァ。僕の婚約者が、そんなにも人望がある素敵な女性だなんて。そういえば彼女たちのほかにも、僕に疑いの目を向けている人たちが何人か居たな。お前の侍女や、学園長もそうだ。それに学園長の闇精霊……ベルだっけ? その猫も、物陰からじーっと僕をよく睨んでくるんだよね」
(! そうだったのね)
誰もミスティアの異変に気づいていないと思っていたが、もしかしたら誰かが、彼女が操られていることに気づいてくれているのかもしれない。そんな希望をミスティアが胸に抱いた時、ノアの影が彼女の体を覆いつくした。
見上げると、瞳が見えた。身も心も凍り付くような、冷たい薄氷が張り付いたノアの瞳が。
「……貴族っていうのは本当にいいご身分だよな。きっとお前は、生まれた時から誰からも愛されてきたんだろうね。ぬくぬくと柔らかい毛布に包まれてさ、死や絶望とは程遠い世界で。なんの苦労もせず、魔力に恵まれ才能があって、大精霊まで召喚できて言うことなしの人生だ。……僕に出会うまでは、輝かしい未来を疑ったこともなかっただろう? ふ、はは……! そんなお前が、こんな僕のことを愛してるだなんて凄く滑稽だと思わない?」
神話の蛇に睨まれたように、体が動かない。
いや、元々ノアに操られているのだから当然なのだが――。心の中のミスティアまでも、彼の闇に呑まれて圧倒され固まってしまう。
するとふいに、ノアがミスティアの顎を指で掴み上げた。そのまま彼の顔がゆっくりと迫ってくる。ミスティアはハッと我に返り、抵抗すべく心の中で必死に悲鳴を上げた。
(嫌……! 何をする気なの。お願い、止めて!)
だがミスティアの体は抵抗するどころかキスを受け入れようとする。そしてノアとミスティアの唇が触れ合いそうになったその瞬間、ひときわ強い風が吹いた。風の音に紛れてノアが何事かを囁く。
「さぁ、楽しいショーの始まりだ」
彼の呟きが風にかき消されると、東屋は辺り一帯、濃い紫色に染め上がった。風が揺り落とした藤の花弁が二人と――その場に表れたもう一人に降り注いでいく。
「ミス、ティア?」
耳朶をくすぐる低く甘い声に、ミスティアの心臓がドクンと跳ねた。
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また、本日新作の短編を投稿したので、よろしければご覧ください!





