5 交換条件
「…………『任務』、だと?」
スキアが冷たく言い放つと、ドルマンはこくりと頷いた。
「はい、ご存じのとおり契約水晶の力は非常に強大です。そのため、一度かけられた願いを解くには、水晶の魔力を打ち消せるような、特別な素材が必要となります。そこで大精霊様には、その素材を採取してきていただきたいのです。あぁちなみに残念ながら、私やノアの首を刎ねても契約水晶の強制力は消えませんので、十分にご留意を」
するとスキアは冷たい無表情を保ちながら彼へ尋ねた。
「……その魔力を打ち消す素材とやらはどこにある? なぜ俺に取りに行かせたい? 貴様らが行けばいい話だろう」
するとドルマンは口の端をニッと吊り上げた。
「我がロスローズ領北部に位置する『聖なる森』でございます。最奥には大聖樹があり、その金枝には魔力を打ち消す効果があるのです。ですが採集するにはとある問題がありまして――」
少し間を置き、言葉が続けられる。
「その大聖樹は、上位精霊の前にしか姿を現さないのです。つまり人間では金枝を採集することが叶いません」
彼はスキアをじっと見つめ、にこりと微笑んだ。
「ですので、光の大精霊であらせられるスキア様にこうしてお願い申し上げたのです。どうですか、たやすくて拍子抜けしたぐらいでしょう? ですがこの任務は――お二人ではなく、『大精霊様お一人』で受けていただくことになります。かまいませんね? ミスティア嬢」
話を振られたミスティアが不安げに顔を上げる。
「申し訳ありませんが、スキア一人でというのは……。私も任務に同行させてはいただけないでしょうか?」
すると彼はしばし黙考するそぶりを見せた。
「残念ですが。『聖なる森』は、人間が容易に立ち入れる場所ではないのです。足を踏み入れても、不思議なことに元居た場所に返されてしまう、そんな場所なのですよ。どうかご理解いただけませんか」
切実さをはらんだ声色に、ミスティアはそれ以上何も言えなくなり口をつぐんだ。
ドルマンからの説明で事情は把握できた。けれど、やはりスキア一人だけに任務を託すというのは、どうにもはばかられる。
表情を曇らせ返事をできずにいるミスティアに、ドルマンはくすりと鼻を鳴らした。
「ご心配には及びませんよ、ミスティア嬢。森には危害を加えてくるるような魔物など一切おりません。大精霊様の安全はこの私が保証いたします。ただ、確かに……。しばしお二人には離れ離れになっていただくことになりますがね。しかし主と契約精霊は、普段はぴったりとくっついているのでしょう? 少しくらい会えない時間があってもいいんじゃないですか? かえっていい恋のスパイスになりますよ」
「っ」
からかうような声。恋のスパイス、という言葉にミスティアの頬が羞恥にサッと赤らむ。三人の会話を黙って見つめていたノアが胡乱げな半眼となった。
(スキアの強さを疑うわけではないけれど、やっぱり心配でたまらない……)
ドルマンは心配無用と言ったが、心に柔らかいトゲが刺さったように何かが引っかかる。
わざわざ契約水晶にノアとミスティアの婚約を願ったのに、彼はいとも簡単に解決方法を提示してきた。まるで最初からこうなることがわかっていたかのように。
「あの――」
しつこいかと思いつつも、ミスティアがドルマンへ取り縋ろうとしたその時だった。
「その任務、承った」
「!」
彼女の隣に立つスキアが、突然口を開いたのである。ミスティアは驚いて目を見開き、彼を見上げた。そんな彼女へ心配ないとスキアが優しく微笑みかける。
「ミスティア……心配しないでくれ。この者たちを殺さず『穏便に』婚約解消できるなら、それに越したことはない」
「スキア」
「あなたが俺を気遣ってくれているのは十分わかる。しばしの間そばを離れることになるが……きっと任務を果たし、必ずあなたのもとへ帰ってくると約束する。だから、ミスティアはしばらく学園で待っていてくれないか」
「……でも、一人で行くなんて」
不安に揺れる瞳でスキアを見つめるミスティアの肩へ、大きな手がそっと添えられる。
「では、ミスティアには俺から任務を与えよう。あなたには卒業に向け、学園できちんと授業を受け続けててもらいたい。ミスティアが無事学園を卒業できれば、俺たちは晴れて夫婦になれる。……そうだろう? あなたが森の浄化任務に同行してしまえば、それだけ授業に穴をあけることになり卒業が遠のいてしまう。学園に留まるのも立派な任務だ」
彼の言う通り、授業を欠席し続ければ卒業は危うくなってしまう。卒業を逃せば、二人の結婚はもちろん一年延ばしだ。
「だから……ミスティア」
「……」
「少しでも危険を感じたら、転移魔法ですぐ帰ってくる。それにたとえ危険な目にあっても、ミスティアが無事でいるかぎり俺が消滅することはない」
スキアにそう説得され、ミスティアは俯いていた顔をゆっくりと上げた。
「……同行できずに申し訳ございません……。本当に、何かあればすぐ帰ってきてくださると約束してくださいますか?」
「あぁ、約束しよう」
――こうしてスキアは、単身ロスローズ領へと出立することとなった。
今までずっとミスティアの傍で支え続けてくれた彼。
そんな彼の初めての長い不在。これからの日々を想像するだけで、ミスティアは言いようのない喪失感と寂しさに襲われた。
だがノアとの婚約を解消し、二人の『結婚式を挙げる』という願いを叶えるためには、二人がそれぞれやるべきことを果たすしかない。
そうして必然的に二人はしばらくの間、はなればなれの時間を過ごすこととなったのだが――。
*
スキアとミスティアが去ると、寮の部屋にはノアとドルマンが取り残された。
ソファにどっかりと座り込んでいるドルマンが上機嫌に口を開く。
「ふはは! ミスティアとスキアの分断がこうもたやすく成功するとはな! 『金枝』に魔力を打ち消す効果があるなど、ありもしないホラ話をああもあっさりと信じ込みおって」
窓越しに見える空は日が沈みかけ、真っ赤に辺りを照らしている。
そう、ドルマンの言う通り。
大聖樹の金枝に、契約水晶の魔力を打ち消す効果はない。さきほど彼がスキアへもちかけた任務の内容は、ミスティアたちを引き離すための真っ赤な嘘だったのだ。
「おめでとうございます、当主様」
無感動な声に、ドルマンがテーブルに足を乗せ深いため息を吐く。
「ふんっ、愛想笑いぐらいしたらどうなんだ。葬式じゃないんだぞ。……はぁ、まぁいい、今日は気分がいいから見逃してやろう。お前に次の任務を与える」
「なんなりと」
「スキアが森に居るうちに、ミスティアへ闇魔法をかけお前の操り人形にするのだ。あの二人の絆を完膚なきまでに引き裂け。――それが次の命令だ」
当主の命令を聞き届けたノアが冷たく目を伏せる。
「…………了解しました」
「せいぜいよく働くことだ」
それだけ言うと、ドルマンは素早く立ち上がり部屋を後にしていった。静寂がノアを包む。彼は一人、窓の外へ目を向けた。やがて真っ赤な夕日が山の端に消えゆくまでずっと、視線を逸らすことなく。
「さて――任務開始だな」
そう、これは任務だ。だから今から自分がすることは、仕方のないことなのだ。脳裏に浮かぶのは煌めく長い銀髪。
「婚約者さまには気の毒なことだけど、これから貴方には、不幸になってもらうね」





