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32 戦意喪失

 ギルバートは尻餅をついたまま後ずさる。助けを求めるが、誰も彼に手を差し伸べる者は居ない。あの宰相トマスさえもどこかへ逃げたきりだ。


 彼は誰からも見放されてしまったのである。


「お、俺はテーレの国王なのだぞっ。頭が高い。さがれっ!」


 言葉の通じない相手に、意味をなさない命令を下すギルバート。魔物が牙をむき出しにし唸り声を上げた。焦った彼は近くの棒きれを手に振り回してみるが、なんの牽制にもならない。むしろ、かえって魔物の気を逆立ててしまう。魔物がズシンと一歩を踏み出した。


「くるなああああああっ!」


 ギルバートが大声を上げた瞬間、魔物の持つ棍棒が振り下ろされた。ギルバートはあまりの恐ろしさにぎゅっと目を瞑る。ギルバートが自らの死を覚悟した、その瞬間。


 彼の前に巨大なゴーレムが現れ、魔物に立ちふさがった。ゴーレムと魔物が互いの体を掴み合い、ぐぐぐ、と力を拮抗させる。


 いつまで経っても訪れない痛みに、ギルバートが恐る恐る瞼を開いた。彼の視界いっぱいにゴーレムの姿が映り込む。


「……? な、なんだこのデカブツは……!? まさか、俺を守っているというのか?」


 やがてギルバートはハッとあることに気づいた。

 彼を守っているこの巨大な物体は、いわゆる『ゴーレム』と呼ばれるものではないかと。ギルバートがソルムを召喚した時、『土魔法と言えばゴーレムだ。ぜひ自分も作り出してみたい』と心を浮き立たせたものだ。


 しかし彼の期待に反し、ソルムはゴーレムを作り出すことはできなかった。


 その憧れたゴーレムが今、彼の目の前に現実となって顕現している。


 土魔法は珍しい魔法。この場で土魔法を使えるのはソルムとミスティアたちのみ。つまりギルバートはソルムによって命を救われたのだ。


 そう気づいた瞬間、彼の脳裏に一瞬ある考えが過った。


 認めたくはない。決して認めたくはないが――。『無能』だったのはソルムではなく、元主である自分だった?


 ミスティアという並外れた魔力量を持つ主に恵まれたことで、ソルムは土魔法の力を最大限に発揮できている?


「ふざけるな……っ、ふざけるなあああっ!」


 頭ではわからせられても、心はその事実を認めたくない。ギルバートは沸き上がる怒りを抑えきれなくなり咆哮した。


「お前ら! そこでぼーっと突っ立って何をしている!? 早く賊であるミスティアを殺せ!」


 巨大な地割れの狭間の向こう、ギルバートがテーレ兵に訴えかける。しかしミスティアたちによって命を救われた彼らは互いの顔を見合った。そしてばつが悪そうにギルバートから顔を背ける。それを見たギルバートは、怒りで白い肌を真っ赤に染め上げた。


「この裏切者がぁ……! 全員首を刎ねてやる……!」


 するとスキアが崖の縁に立ち、ギルバートへ宣った。


「元気良くはしゃいでいる所を悪いが、一旦落ち着いて周りを見回してみたらどうだ?」


「なんだと!?」


 スキアの言葉にギルバートが周囲に目を向けると、周囲には大量の魔物の姿。いつの間にかすべてのテーレ兵はギルバートだけを残し、ミスティアたちの居る安全地帯に身を移し終えていた。


 魔物から取り囲まれ、陸の孤島となったギルバートがひぃ、と喉から風音のような声を漏らす。それを見たスキアはとても愉快そうに口の端を吊り上げた。


「選択肢をやろう。今ここで我が主の汚名を雪ぐか、死ぬか。ミスティア・レッドフィールド嬢はテーレ国王の弑逆には関与していない。その事実を認め、テーレ兵の前で宣言しろ」


「そ、それはっ。……いいや、認めないね! 陛下はそこにいる魔女によって殺されたんだ!」


 この期に及んで認めようとしないギルバートへ、ソルムが眉をひそめる。


「まだ認めないというのですか?」


 するとソルムはギルバートを守っていたゴーレムに手をかざした。ソルムが拳を握りしめると、ゴーレムはガラガラと大きい音を立てて崩れ去り、ただの石塊と化す。


 土の盾を失ったギルバートへ、魔物たちがじりじりとにじり寄っていく。彼もまた後ずさるが、背後に底の見えない大きい穴が迫る。とうとう崖際に追いつめられたギルバートは、耐えきれなくなりこう叫んだ。


「……くそっ! そうだ、やったのはこの俺だ! ミスティア・レッドフィールドは父上を手にかけてはいない! だがあんな弱腰な王ではテーレを導けなかった! テーレをより強く大きくするには、アステリアを手に入れる必要があるのだ! だから俺は悪くないっ!」


 告げられた衝撃的な事実に、動揺したテーレ兵達が大きくどよめく。


「何だって!? 陛下はアステリアの英雄によって殺されたわけではなかったのか!?」


「まさか主君と仰いでいた殿下が逆賊だったなんて……!」


「陛下を手にかけるどころか、その罪をアステリアの英雄にきせていたとは信じられん」


 驚嘆と侮蔑の視線がギルバートに鋭く突き刺さり始める。

 土壇場になって汚名を雪ぐことができたミスティアは、喧騒の中ひそかに一人胸を撫でおろした。テーレ兵に真実が伝わったことを見届け、スキアが上機嫌に微笑む。


「よくできました、では約束通り――命だけは助けてやろう。『障壁ウォール』」


「……は?」


 ギルバートの体をキラキラと光の粒子が取り囲む。


「一体俺に何をするつもりだ!? 早くそちらに連れていってく――」


 とギルバートが慌ててスキアへ懇願したその時、スキアの口からとある呪文が放たれた。


「『覆滅の覇光オーバーライト・フォール』」


 ゴウ、という炎が揺らめくような轟音がした。

 

 ――ぎゃああああああぁぁぁ……。


 耳をつんざくような魔物の断末魔がギルバートの鼓膜を強く叩く。


 どこもかしこも真っ白い光に包まれ、目を開けていられなくなった彼はその場にうずくまった。目を瞑っても瞼越しに強い光が差し込んで目が痛い。


 じゅうじゅうと魔物の肉が焼ける音と、自らの肌を刺す凄まじい熱波。

 耳も目も肌もすべてが蹂躙され、ギルバートは訳が分からないまま怯えるしかなかった。


「ひぃ、ひいぃっ」


 ただひたすら小さい悲鳴を上げていると、やがて白い光が静まっていった。

 轟音が止み、ギルバートは恐る恐る瞼を開ける。そして彼は、驚きの光景を目にするのだった。


「な、んだ、これは……」


 焦土である。


 緑に包まれていた広大な平原は焼き払われ、ところどころに火が燻っていた。そこには魔物の姿はない。あるのは大量の灰と、肉が焼け焦げたような強烈な臭いのみ。


 ――スキアの放った光の最上位攻撃魔法が、すべての魔物の骨までをも焼きつくしたのだ。


 心を折られ、完全に戦意を喪失したギルバートは、呆然とその場に立ち尽くすしかなかった。



「…………」


 光の最上位攻撃魔法、『覆滅の覇光オーバーライト・フォール』が放たれた後。


 ソルムは凄まじすぎる光からミスティアを守るため、彼女を覆うようにして抱き込んでいた。


 するとおもむろにスキアが振り返り、二人の姿を目にして顔をしかめた。視線に気づいたミスティアとソルムの肩がビクリと揺れる。まるで恐ろしい魔王にでも睨まれたかのような反応である。


「そこまで密着する必要が……?」


 その不機嫌な声色に二人は互いを見つめ合った。


「す、すみません。失礼しました主殿」


 ソルムが頬を染めながら謝罪を口にし、素早い動きでミスティアから離れる。


「謝る必要などございませんわ、庇ってくださりありがとうございました。……『覆滅の覇光オーバーライト・フォール』とは、すさまじい魔法ですね、あっと言う間に魔物が全滅してしまいました。ありがとうございます、スキア」


「あなたの力になれて良かった。魔力を大量に消費したが、体の方は問題ないか?」


「大丈夫ですよ。でも、この平原の状態は大丈夫じゃなさそうですよね……」


 三人が周囲へ視線を投げる。


 のどかな草原であったそこは、もはや地獄絵図と化していた。テーレ兵は魂が抜けたように未だ動かない。目の前で起こった出来事を受け止めきれずにいるのだろうう。


(兵士たち、今夜からしばらく悪夢にうなされるかもしれないわね)


 ミスティアがたらりと冷や汗を垂らす。対してスキアは涼しい顔で腕を組んだ。


「これでも威力を抑えた方なのだが。最大火力だと平原どころか国の一つや二つなど、簡単に消し飛ばしてしまえるからな」


 その言葉を聞いたソルムが乾いた笑みを浮かべる。


(こ、これで威力を抑えた方とは……。まぁいいか、この二人に一々驚いていたら身が持たない)


 ソルムは深く考えるのを止めることにした。


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