31 スタンピード
テーレ兵たちが見つめている森の奥へ、ミスティアもまた視線を向ける。すると遠くの方に黒く蠢く何かが見えた。
(あれは一体……?)
と彼女が目を細めていると、蠢く何かの正体に気づいたテーレ兵が怯えた様子で悲鳴を上げた。
「ま、魔物だ! 魔物の群れが現れたぞ!」
その声に、ミスティアは思わず大きく目を見開く。
「魔物ですって……!? あの黒い大きな塊、全部が魔物だというの!?」
彼女が驚くのも無理はなかった。
魔物の群れの規模は、一万のテーレ兵を覆いつくすほどのもの。まさに天災レベルの窮地と言えた。絶句するミスティアとソルムへスキアが静かな声をかける。
「魔物の大暴走か」
魔物の大暴走とは。
その名の通り、魔物が大挙で押し寄せる現象だ。
そして大抵その魔物の群れは、人々が住む村や町などに向かって突進していく場合がほとんどである。スキアが皮肉めいた声色で言葉を続ける。
「まさかギルバートはあの森を突っ切って来たのか? あの森には大量の魔物が潜んでいるというのに。これだけの人間を用意すれば、腹をすかせた魔物が暴走するのも可笑しくはない」
すると魔物と地割れに挟まれ、逃げ場を失ったテーレ兵たちが蜘蛛の子を散らすように迷走し始めた。
こうなってはもう、戦どころではない。
ミスティアは地割れの向こうの大混乱を目にして唇を噛み締めた。
(もし私たちが彼らを見捨てて立ち去れば、テーレ兵は魔物によって蹂躙されてしまう。――なんの抵抗もできないまま。そんなこと……)
ミスティアの脳裏にフーラ村の村人たちの顔がよぎる。毎日を必死に生きようとあがく人々の顔が。
(たとえ敵兵であっても、私は)
彼女はぐっと胸元で拳を握りしめた。そして隣に立つスキアへ向き直った。迷いに満ちていた瞳にはすでに静かな闘志が燃え宿っている。
するとミスティアが口を開く前に、彼が声を発した。
「――あなたは見捨てられない?」
彼に気持ちを言い当てられたミスティアがビクリと肩を揺らした。スキアがふと目元を緩める。
「見捨てるほうが容易いというのに、ミスティアは本当に優しいな」
彼の言う通り、ここで敵兵を見捨てて逃げる方がミスティアにとっては都合がいい。
ギルバートも、ミスティアにかけられた汚名も、すべて魔物の群れが消し去ってくれれば問題は解決する。この状況はまさに一石二鳥の好機と言えるのだ。
――しかし、ミスティアは静かに伏せていたまなざしを上げた。
「助けたいです。たとえそれが茨の道であろうとも……。陛下、ソルム様、どうかお許しください」
ミスティアが二人へ向き直ると、オーラントはふっと微笑をこぼした。
「謝る必要はない。すべての魔物を屠り、それでもなおテーレ兵が歯向かって来ようものなら風魔法でも何でも使い、一人残らず自国へ吹き飛ばしてしまえばよかろう。余が許す。やってしまえ、アステリアの英雄よ!」
陽を背に王の外套をはためかせ、オーラントが雄々しく王命を呼号した。
その威厳あふれる姿にミスティアの喉元がぐっと熱くなる。そして彼女は恭しく彼へ頭を下げた。
「しかと拝命いたしました」
そんな彼女へソルムもまた労わる様に声をかける。
「私は主様にお救いいただいた身。テーレ兵を救う道を選んだミスティア様を尊敬いたしますよ。さぁ主様、時間がありません」
「ソルム様、ありがとうございます。おっしゃる通り急がなければ」
地割れの向こうへと視線を投げると、いよいよ魔物の大軍がテーレ兵に追いつこうとしていた。ミスティアは彼らを救うためこの地割れを利用することを思いつく。
「スキア、ソルム様。手分けしてあちら側のテーレ兵をこちらへ移動させましょう!」
「わかった」
「はい!」
するとスキアは地割れの向こうに手をかざし、巨大な光の腕を出現させた。まるで神が天から雲をかき分け、腕だけを地上へ差し伸べたような様相。その腕が逃げ惑うテーレ兵を掴み、ミスティアたちが居る側へと移動させていく。
ソルムもまた呪文を唱えた。
「『泥人形召喚』」
魔法が発動されると、平原の地面からボコボコと巨大なゴーレムが出現した。ゴーレムが兵士を掴み上げ、ミスティアたち側にいるゴーレムへ向かって兵士を投げていく。投げられた兵士たちの絶叫が地割れの狭間にこだました。
無事ゴーレムに受け止められるも、茫然自失となるテーレ兵。気の毒ではあるが命の方が優先だ。ミスティアも二人に負けじと呪文を唱える。
「風よ!」
ありあまる魔力を利用し、風の初級魔法を多重に発動させる。大量のテーレ兵が風魔法で宙に浮き、狭間を跨いで安全地帯へ着地した。
助けられたテーレ兵たちが信じられない、と大きく目を見開く。
「ま、まさかアステリアの英雄が俺たちを助けてくれたのか?」
「なぜ俺たちを見捨てて逃げない……?」
「本当に彼女がドラン陛下を殺した賊なのか?」
ミスティアに助けられたことで、怒りに燃え上がっていた彼らの心に疑問が生じ始める。残りの兵士があとわずかとなったその時、ソルムの目にある人物の姿が飛び込んできた。
(あれは、ギルバート……!?)
テーレ兵たちの最後尾、青ざめた顔で必死にこちら側へ逃げている元主の姿が見える。ソルムは思わず眉をひそめた。すると次の瞬間。騎乗していたギルバートの馬が暴れ、ギルバートは馬上から振り落とされてしまう。一部始終を目の当たりにしていたソルムは、静かに息を呑んだ。
*
「ぐああっ!」
パニックに陥った馬が激しく暴れ、ギルバートを振り落とした。勢いよく地面に投げ出された彼の体に、鋭い衝撃が走る。
急ぎ顔を上げると鼻から血が垂れた。すると彼の体を、ぬうっと大きな影が覆いつくした。恐る恐る振り返るとそこには、鼻息を荒くさせ、今にも襲い掛かってこようと棍棒を振り上げる恐ろしい魔物の姿。ギルバートはひぃ、と喉を鳴らし顔を青ざめさせた。
「く、くるな。だ……だれか」





