30 戦と、再び着せられた濡れ衣
――アステリアの北方に位置する、昼下がりのグリンヴェール平原。だだっ広い草原には何もない。ただちらほらと可憐な野花が咲くばかりで、あとは枯れかけた草が風にそよいでいた。
テーレの軍勢は国境を越えた森を抜け、とうとうアステリアの喉元にまで差し迫りつつあった。この草原を進めば、アステリアはもうすぐそこにある。
ギルバートは、平原の奥にぽつんとたたずむ人影を見て嘲笑を零した。
「おいおい嘘だろ? まさかたったの四人だけで戦場に現れるとは! あいつらは正気か? アステリアの兵はどこにいる!?」
そう。決戦場所となる平原に現れたのは、ミスティアと契約精霊であるスキアとソルム。そしてアステリア国王であるオーラントの四人のみであった。その異質さに不気味ささえも感じる。するとギルバートは、何かを閃いたように表情を明るくした。
「なるほど、降伏のつもりなのだな! しかし涙ぐましいじゃないか、自らの首を差し出す代わりに民の命を助けてくれと言わんばかりだ。――まぁ残念ながら、降伏を受け入れるつもりはないが」
得心がいった、と彼が口の端を吊り上げる。
そして道中で疲弊した兵士たちを馬上から見下ろしながら、深いため息を吐いた。
「つまらんな。これから血沸き肉躍る戦が特等席で見られると思ったのに、アステリア兵が居ないとは。森を抜けるのに兵も失いすぎるし。チッ、なぜあんなに魔物が多かったのだ?」
苛立って愚痴をこぼすギルバートに、宰相トマスが馬上で苦笑いする。その笑みには今から戦を始める者ような緊張感が一切感じられない。
「最近は魔物の動きが活発なようです。そのおかげで『魔物の大暴走』が起きると民を信じさせることができたのですが。森を迂回すればあるいは……いえ、なんでもございません」
アステリアへの最短距離は森を抜けるルートだ。しかし森には魔物も多い。だがギルバートは森を迂回することなく強行突破を選んだ。その結果、兵たちは森を抜ける間ずっと魔物に襲われ続ける羽目となってしまう。
兵のほとんどは普段、農具を握っているような戦い慣れない農民だ。彼らは自分たちの生活を脅かす魔物に対して強い恐怖心を持っている。しかしギルバートはそんな彼らの背景など何も考えず、魔物の多いルートを進んだ。そのため兵士たちは戦う前にも関わらず既に疲労困憊の状態だ。
もちろんギルバートがそんな彼らの状況を察し気遣おうはずもなく。
「どいつもこいつも根性なしの役立たずばかりだ」
「まぁ良いではありませんか。陛下が鼓舞なさればおのずと士気もあがりましょうぞ」
「そうでなければ困る――さぁ皆の者、進め! アステリアを奪い平和を勝ち取るのだ!」
ギルバートがニヤリと口の端を吊り上げる。
――そして彼は皆を奮い立たせるため、懐で温めていたとっておきの口上を言い放った。
「アステリアの英雄は、先代の国王ドラン陛下を亡き者にした『悪しき賊』である! 陛下は民にとって良き王であった……! 我が国の領土欲しさに、あの賊どもは陛下に呪いをかけ苦しめたうえで殺したのだ……っ。こんな横暴があって良いだろうか!?」
彼の声色は深い悲嘆を帯び、テーレ兵たちの同情を誘う。ギルバートは演技がかった大仰な動作で、胸へ拳をドンと打ち付けた。
「いいや良くない! 我が民たちよ、あの賊どもを決して許すな! ドラン陛下の仇を討つのだ!」
俯いていたテーレ兵たちが水をかけられたように顔を上げる。
確かにドランは民たちによって良き王であった。告げられた衝撃の事実に兵たちが一人、また一人と声を上げ始める。
「あぁ……! ドラン陛下は今までテーレの平和をずっと守ってくださった! そんなお優しい陛下を手にかけるなど許せん!」
「そうだそうだ! アステリアの英雄を許すな!」
おおお! と鬨の声が上がる。先ほどまで疲労困憊であった者たちとは思えないほどの熱量。
そして彼らは武器を手に、いざゆかんとミスティアたちへ向かって勢いよく駆け出していった。――ぐつぐつと煮えたぎる憎しみを胸に抱いて。
ギルバートは可笑しくてたまらない。
(ふはははっ……! 下賤の者どもは扱いが容易くて助かる。こんな嘘を簡単に信じおって。今この時ばかりは感謝するぞミスティア。王殺しの罪を貴様が背負ってくれるのだから)
勇猛な王なら剣を抜き、自ら戦場へ駆け兵士たちを先導するだろう。しかし彼はただ彼らを焚きつけるだけ焚きつけ、自らは安全地帯へと後ずさった。
テーレ兵たちが怒号を上げながら、凄まじい勢いでミスティアたちのもとへ向かっていく。やがて彼らの叫び声がミスティアの耳にも届き始めた。
「ドラン陛下を弑した『悪しき賊』め! あの魔女を絶対に許すな!」
「陛下の仇!」
――ミスティアがひゅっと息を呑む。あまりのことに唇がわなわなと震えた。
「な、なんですって……!? ドラン陛下がお亡くなりに!? それに、私が陛下を弑したなんて」
まるで頭上に雷が落ちてきたかのような衝撃がミスティアを襲う。あまりのショックで目の前が暗くなり、ふらついた彼女をスキアが支えた。スキアが奥歯を噛み締め唸るように吐き捨てる。
「どうやらあの馬鹿――ギルバートがテーレの兵に嘘を吹き込んだようだな。またも濡れ衣を着せてくるとは信じられん。ミスティア、大丈夫か?」
顔を青ざめさせ額を抑えるミスティアに、ソルムが痛ましい視線を送る。
「主様がそんなことをするはずないのに、ギルバートめ……っ。ミスティア様は休んでいてください、ここは私たちが何とかします」
すると、勇むソルムにミスティアがよろよろと顔を上げた。
「い、いいえソルム様、大丈夫です。スキアもありがとう。もう、大丈夫です。今は私たちにできることをしなければ」
ミスティアが凛とした表情で背筋を伸ばす。そして向かってくるテーレ兵を真っ直ぐに見つめ、静かに前へ一歩を踏み出した。
「スキア、ソルム様。お願いします」
毅然とした声。スキアは心配でたまらない、と苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべた。しかし彼女の覚悟を無下にはできない。
「……わかった。ソルム、用意はいいか? この戦いを止めギルバートを捕らえる。そして我が主の汚名を雪ごう」
「えぇ、やってやりましょう。私たちの主様のために」
神妙な面持ちで頷くソルムへスキアもまた軽く頷く。そして敵兵が平原の中心部へ差し迫ろうとしたその瞬間――。
スキアとソルムが兵達に向かって手をかざした。
「『|我に応え、大地よ裂けよ!《テラスプリット》』」
精霊二人の同時詠唱。
二人の声が重なると、大地が応えるように震えた。雷鳴のような激しい轟音が響き、地面に無数の亀裂が走り始める。まるで地の深くに眠れる巨獣が目を覚ましたかのように、大地が不気味な唸り声を上げた。
ミシッ。バキバキバキ――……。
「な、なんだ……!?」
「地面が、裂けて……!?」
敵軍の兵士たちは身動きが取れずその場に縫い留められる。するとミスティアたちのテーレ兵の間に、彼らを分断する巨大な裂け目が現れた。裂け目の奥深くから強風が吹き上がり、底の見えぬ深い暗闇が敵兵の足元を脅かす。
先頭の兵は思わず後方の兵へ向かって叫んだ。
「ひぃ……!? 皆、止まれっ! これ以上進めば崖に真っ逆さまだ!」
「これはまさか『救国の英雄』が仕掛けた土魔法なのか!? 土魔法は役立たずだって聞いてたのに、これじゃ俺たちに勝ち目なんて……」
テーレ兵たちが動揺し、陣形が崩れていく。その場に留まるしかなくなった敵軍を見て、ミスティアはホッと息を吐いた。
「どうやら上手くいったみたいですね。スキア、ソルム様。ありがとうございます」
「あぁ。地割れを起こせば敵軍もそう簡単には攻めてこれないはず」
スキアがミスティアに応えると、ソルムがその通りだと頷いた。
「いい作戦です。大量の魔力を持つミスティア様だからこそ可能になる力技ですね」
ソルムに褒められミスティアが恥じらうように目を伏せる。
「お二人が優れた精霊でいらっしゃるので、魔力消費が最低限で済んでいるのです。それに……。そもそもこの魔法が使えたのは、土精霊であるソルム様がいらっしゃったお陰ですわ。ソルム様がいてくださって良かった」
ミスティアが柔らかく微笑むと、ソルムが頬を淡く染めた。すると3人に同行してきていたオーラントが口を開いた。
「そう謙遜するでない、ミスティア嬢。このような魔法を発動させられる使い手は、今の世ではそなたぐらいしか居なかろう。……さて、この地割れに敵兵が対応できるとは思えぬ。彼らが混乱しているうちに、王太子を捕らえ人質としよう」
オーラントの言葉にスキアが頷く。
「あぁ、戦を止めるにはギルバートを捕らえるしかない」
それにしても、とミスティアは思う。
彼女が目を向けるのはテーレ兵たちの手にある武器。彼らが手にしているのは剣ではなくクワや鎌といった農具であった。
(もしかしてこのテーレ兵たちって、訓練された兵士じゃなくて農民?)
とミスティアがテーレ兵たちの正体に気づき始めたその時。地割れの向こうにいるテーレ兵が思わぬことを叫び始めた。一人の兵士が、何かを訴えるように彼らがやって来た森側を指さしている。
「……おい! あ、あれは一体なんだ!?」





