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29 有能な王

「異常事態が起きたようです。差し迫った様子ですし、急いで陛下の元へ行かないと」


 聞こえてくるのは『英雄殿はどこに!?』『大変だ!』という、穏やかではない言葉ばかり。するとスキアが深く、とても深く嘆息した。


「……せっかくミスティアを補給していたというのに。次から次へと問題が発生する……」


「ほ、補給ですか」


「ああ。ミスティアの補給は重要だぞ。あなたを吸って得られる栄養素が切れると、正常な判断が出来ず暴走してしまう恐れがある。俺が本気で暴れたら世界の半分は焦土と化すだろうな」


 目に昏い光を湛えながら無表情でスキアが言い放つ。


「ひえ」


 何それ怖い。とミスティアは顔を青ざめさせた。いつもの笑えない冗談だろうか。スキアは真顔で冗談を言うのでわかりにくい。


「今は時間がありませんが、私を補給することでスキアが正常でいられるなら、いつでも吸ってください……!」


 スキアを見上げて必死にミスティアが訴える。すると彼は目を見開きおもむろに頭を抱えだした。何か答えを間違ったのだろうか、とミスティアがスキアの顔を覗き込む。


「あなたは……いや、もういい。先ほどの台詞は絶対に俺以外の者へは言わないように」


 やけに『絶対』の部分の語気が強い。


「は、はい」


「よろしい、では急ごう」


 ミスティアとスキアが手を取り会場へ駆けていると、途中でソルムと合流した。彼は事情を知っている様子で深刻な表情を浮かべている。


「何が起こった?」


「それが……。どうやら、テーレの軍勢がアステリアへ向かっているようなのです」


「――!」


 聞かされた最悪の知らせに、ミスティアとスキアが息を呑む。

 辺りのの空気が張り詰め、ソルムは苦しげに視線を彷徨わせた。『元主の愚行』という罪悪感が彼の声を暗くする。


「軍を率いているのは王太子であるギルバート。彼は、私たちとこの国を本気で滅ぼすつもりなのかもしれない」


「そんな……! ドラン陛下はお止めにならなかったのでしょうか……!?」


「わかりません。ただ、ギルバートは自らを『新王』だと名乗っているようです。これはあまり考えたくないことですが、もしかしたら陛下は――」


 ――ギルバートによって、もう……。


 ソルムはそれ以上何も言わなかったが、その意図を二人が察する。重苦しい空気を振り払うように、スキアが毅然と口を開いた。


「とにかく一度、アステリアの国王であるオーラントに会おう。話はそれからだ」

 

 スキアの提案に二人が頷く。

 そしてミスティア達はこの事態の全容を把握するべく、オーラントの居る舞踏会の会場へと早足に駆けていくのだった。



 場所は変わり、アステリアの軍会議室。


 巨大で荘厳な柱が立ち並ぶそこには、重苦しい空気が立ち込めている。大広間の中心には長い円卓が置かれており、アステリアの重役たちが神妙な面持ちで席についていた。


 あの後すぐミスティアたちはオーラントのもとへ駆けつけ、彼から詳しい事情を聞くこととなった。

 

 『テーレが一万の軍を編成し、アステリアに向かって侵攻してきている』と――。


 そしてオーラントが国の重役たちを緊急招集し、今に至るというわけである。


 円卓に座したミスティアの向かいにいるオーラントが、頭を抱えて重く長いため息を吐いた。


「はぁ~~~~。どうしてこうなってしまったのかなぁ……」


 思わず素で本音をこぼし始めたオーラントに、隣の宰相がゴホンと咳払いする。

 するとオーラントはハッとした表情をしたのち、いつもの『有能そうな王』の顔を作った。


「皆には急に集まってもらい、すまない。緊急招集の理由は知っているな。――隣国テーレが国境を越え我が国へと進軍をはじめた。その数は一万。我々は一刻も早くこの問題に対処しなければならない」


 オーラントの低く厳しい声が周囲の緊張を誘う。すると側近の一人が声を上げた。


「緊急事態ゆえ許可を得ぬ発言をお許しください。我が国はすでに出兵の準備が整っています。陛下のご命令で今すぐ出兵させれば、王都から離れた場所での開戦が可能です。どうかご決断を!」


「いつでも戦えますぞ!」


「すぐにでも兵を出発させましょう!」


 彼の言葉に同意する王の側近たちが次々に声を上げだす。皆、戦う気満々の様子だ。だがオーラントは腕を組み低く唸った。


「……そなたらの申す通りだ。しかし知っての通り、余は戦嫌いでな。差し迫った状況なのは重々承知だが、テーレとの戦を避けるための妙案をこの場で見つけ出したいのだ」


「何を悠長なことを仰いますか! 話し合いのためテーレへ送った使者は矢を放たれ追い返されました。このような横暴は許しておけませぬ。陛下、今すぐ出兵のご命令を!」


 一人の側近が勢いあまって立ち上がり、机に両手を叩きつけた。するとオーラントがふんと鼻を鳴らす。


「聞け。我が国が今すぐ用意できる兵が五千なのに対し、テーレは一万。圧倒的に不利な状況でそのように息巻いていられるのは、『救国の英雄』にテーレ兵を一掃してもらおうと見積もっているからだろう?」


「……っ」


 図星を突かれた側近が口をつぐむ。


「余は英雄殿と光の大精霊様にかつて約束した。『決して無理強いはせぬ』と。もしこたびの戦で彼女らに『魔法で敵兵を全滅させてくれ』と頼んだら、どうなると思う?」


「そ、それは……。しかしミスティア嬢は『救国の英雄』だ。であれば我が国を守る義務があるのでは!?」


 側近の言葉を聞いたオーラントがドン! と机に拳を打ち付けた。


「痴れ者が! 貴様は今こう言ったのだぞ、『ミスティア・レッドフィールド嬢、私たちのために一万人を殺してください』とな! ……我々の半分も生きていない無垢な少女に、なんという重荷を背負わせるつもりか」


 オーラントの激しい叱咤に圧倒された側近たちが気まずそうに俯きだす。


「こたびの戦でミスティア嬢に敵兵を殺させ、勝利を手に入れたとする。だがその後はどうなる? 愛想を尽かされ他国へ身を移されたら? 我が国はあっという間に他国から蹂躙されるぞ。――ゆえにこうして問うているのだ。我らは、この国の未来を話し合わねばならぬ」


 戦、戦と意気込んでいた側近たちは、とうとう押し黙ってしまった。

 するとしんとした室内に突然乾いた拍手が鳴り響いた。皆が手を打ち鳴らすスキアへ注目する。

 

「……感動したよ、オーラント」


 優しい声だ。大精霊スキアに褒められたオーラントがぎょっと目を見開き、照れて頬を掻く。だが。


「貴様が愚かでなくて本当に安心した。もしミスティアに殺しを無理強いさせようものなら、その瞬間ここに居る全員の首をね、守護水晶を粉々に破壊した上でこの地を離れようと思っていたからな。――ああ、現実にならなくて良かったよ」


「ぴ」


 暗黒微笑。周囲の温度が急激に下がり、オーラントは産まれて以来出したことのない声をだしてしまう。


(す、スキア……。涼しい顔でそんなことを考えていたの!?)


 とミスティアがドン引きしていると、スキアが言葉を続けた。


「正直に言おう、俺には血を流さないで済む良い作戦なんて思いつかない。オーラントの言う通り、人死にを避けるには戦が始まるのを事前に止めるしかないだろうな。……しかし人は奪うためなら、歩みを止めないものだろう?」


 彼の言葉にミスティアは胸が詰まってしまう。

 かつて戦場で辛酸をなめたスキアの言葉には、ずしりとした重みがあった。


 ――戦は避けられないのだろうか。


 誰もが俯き、重苦しい空気が漂う。オーラントが『有能そうな王』の仮面を捨て、頭を抱えて机に突っ伏した。


「人は奪わずにはいられないのが宿命なのか……。はぁ、ミスティア嬢。そなたは何か良い案を思いつくか?」


 辺りがしんと静まり返り、円卓を囲むものたちがじっと『救国の英雄』の言葉を待つ。


 話を振られたミスティアは目を大きく開くと、やがておずおずと口を開いた。


「そう、ですね――」

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