27 嵐の前の舞踏会
一方、アステリアはテーレで国家を揺るがす一大事が起きているとはつゆ知らず――。
王城の大広間では、華やかな舞踏会が開かれていた。
国王オーラントは領の村々を救ったミスティアたちの功績を讃え、その立役者の一人であるソルムを披露する場を設ける。新たな美しい精霊の登場に、会場はよりいっそう熱気を帯びた。
お披露目が終わるや否や、三人は貴族たちの熱い視線と興奮に包まれ、あっという間に人だかりに飲み込まれた。
そして広い舞踏会の会場で、三人は自然と離ればなれになってしまうのだった。
(もう踊れない、もう無理……!)
ミスティアはくたくたに疲れ切っていた。
躍っても踊ってもひっきりなしにダンスを申し込まれるのだ。ありがたいことなのだが、流石に限界というものがある。
それに彼女はかつて社交界で除け者にされていたため、あまり踊り慣れていないのだ。
(どこか、どこか人のいないところへ抜け出そう!)
周囲の視線から逃れるため、壁を這うように進んでいく。するとミスティアの目の縁にとある光景が映った。
(スキア)
最愛の精霊の姿である。彼は沢山の令嬢に囲まれていて身動きが取れない様子。表情は相変わらず冷たい無表情を保っており、スキアの周囲だけ吹雪が吹きすさんでいるような幻覚が見える。
(声をかけた方がいいかしら、困っているかもしれないし)
見てしまった以上、無視してこのまま通り過ぎるのも忍びない。ミスティアは一拍置いた後、スキアに向かい声をかけようとした。その瞬間――。
スキアが、一人の令嬢に向かってふわりと微笑んだ。
その笑みは一瞬だったが、ミスティアは彼の笑みを見て全身が凍り付いたように動けなくなる。
スキアの笑みに令嬢たちが一層華やいだ声を上げた。対するミスティアの表情はどんどん暗くなっていく。彼女は胸に手を当て、ドレスをぎゅっと握りしめた。
(スキアって、私以外にもあんな風に笑うんだ……)
ズキン、と胸が痛む。
心に黒いインクがぽたんと一滴落ち、ミスティアの心を黒く染め上げていく。彼女はスキアに声をかけるのを止め、居ても立っても居られなくなり、足早にその場から逃げ出してしまった。
*
会場の外の中庭。噴水の水しぶきが月光を浴びキラキラと煌めいている。
夜の冷気がミスティアの火照った頬を撫でた。喧騒は既に遠く静寂が辺りを包んでいる。薔薇の花でも愛でようと、彼女は噴水の傍を通り過ぎた。
(最近、私が私じゃないみたい。スキアのことでソルム様にも嫉妬してしまうし、さっきもそう。頭が真っ白になるくらい動揺するなんて……どうかしてるわ)
忘れよう。こんな汚い感情なんて、どこかに捨ててしまおう。
ミスティアは、ふつふつと湧き出る黒い感情を必死に抑えようと深呼吸する。そして美しい赤い薔薇に手を伸ばした。
美しいものに触れれば、自分の醜さも清められる気がしたから。
すると、ふいに彼女の背後でカサ、と物音がした。ミスティアの心臓がドキリと跳ね勢いよく振り返る。
「スキア?」
――期待を含んだ声。
しかし彼女の期待はすぐに失われることとなる。そこにいたのは、先程舞踏会で一度だけダンスを共にした貴族令息だった。彼はミスティアを認めると、喜色満面の笑みを浮かべた。
「ミスティア嬢、こちらにいらしたのですね! ずいぶんお探ししました!」
「それは、ご足労をおかけいたしました。何か御用がおありでしたか?」
彼女がそう声をかけると、令息は頬を染め襟を正した。そして静かにミスティアへ歩み寄ると彼女の前へ跪き始める。突然のことにミスティアは目を白黒させた。
「美しい人。一目見た時から私は貴方の虜です。どうか、どうかミスティア・レッドフィールド嬢。この私と婚約していただきたい」
「えっ――」
思いがけないプロポーズにミスティアは声を失う。しかしすぐ我に返り、困ったように眉尻を下げ彼へ頭を下げた。
「……申し訳ございません。光栄ではございますが、私には既に婚約者がおります。せっかく足をお運びくださったのに恐縮ですが、お話をお受けさせていただくことはできません」
「そ、そんな」
令息の顔が失望に血の気を失っていく。
すると彼は俯き、跪いたままプルプルと震え出した。
「あの?」
見かねたミスティアが令息へ声をかけると、彼は勢いよくその場に立ち上がった。
「嫌です! 私はもう、貴方様以外を伴侶にするなど考えられないっ! ミスティア嬢はまるで月から降りてきた女神。貴方様に比べれば他のものなど小虫も同然です……! お願いだミスティア嬢。どうかお考え直しくださ――」
令息の瞳に妄執が宿っている。ミスティアの背筋が凍った。そして彼が彼女の白い腕を掴もうとしたその時。
「――虫はお前だ、消え失せろ」
暗闇から恐ろしい獣が這い出てくるような、低い声がした。瞬間、令息の体がふわりと宙に浮く。
「う、うわああああああっ!?」
そしてくるくると回転しながら庭園のはるか向こうの茂みへと飛んでいってしまった。ミスティアは唖然と令息の消えていった方を食い入るように見つめる。
「ご、ご無事ですよね!? ねぇスキア!?」
ミスティアが振り返る。そこに居たのは、彼女の最愛の精霊だった。主に名を呼ばれたスキアがくっと口の端を吊り上げる。





