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26 王位簒奪

 カツ、カツ、と乾いた足音が鳴り響いている。


 テーレの国王ドランは近衛兵数名を引き連れ、王城の地下へと足を延ばしていた。薄暗いそこは、普段であれば誰も近寄らない場所である。

 

 なぜならここは、罪人を閉じ込めるための地下牢だからだ。


 その地下牢の最奥で一行は立ち止まる。牢の柵越し、硬い石の床にうな垂れていたギルバートはハッと顔を上げた。そして勢いよく立ち上がると牢の柵へしがみついた。


「父上! 遅かったではありませんか、早くここから出してください!」


 助かったと表情を明るくするギルバートに、ドランは眉一つ動かさない。


「いいや、ギルバート。ワシを暗殺しようとし、その濡れ衣を他国の英雄に着せようとした真犯人はまだ見つかっていない。ゆえに容疑者であるお前を牢の外へ出すわけにはいかん。なぜお前はあの夜、晩餐室のすぐ外に兵士たちを控えさせていた? そしてなぜ、ワシに毒の入ったワインを勧めた?」


「そ、それは……。そう! 宰相トマスに唆されて――」


 と、ギルバートがドランへ必死の弁明を行おうとしたその時だった。


 突然、カチャカチャと鎧の擦れる音が地下牢の奥から聞こえ始めた。ドランが音のする方へ視線を投げる。すると暗い通路の奥から、数十名の武装した兵士たちが現れた。その先頭に立つ男の姿を認め、ドランは眉をひそめて彼の名を呼ぶ。


「……噂をすればご本人の登場か、トマス」


「陛下」


 名を呼ばれたトマスが、恭しくドランへ一礼する。


 ドランの傍に控えていた数名の近衛兵が、剣の柄に手を添えた。なぜならトマスの背後には数十名の武装した兵士たち。宰相の護衛にしてはやけに多すぎる人数である。


 ピリ、と張り詰める空気。しかしトマスはドランへゆったりと微笑み、口を開いた。


「噂と言いますと、殿下が私を『暗殺未遂の黒幕』だと仰っている件でございますか? いやはや、殿下。幼き頃から成長を見守って来た私を黒幕だと仰せとは……」


 トマスがほほ、と上品に笑んでギルバートを見遣る。

 口元は笑っているものの、その目は一切笑っていない。ギルバートがサッと血色を失う。すると、トマスはドランへ向き直り――こう言った。


「大正解でございます」


 その言葉を皮切りに、トマスの背後に控えていた兵士たちが抜刀し、ドランへ襲い掛かった。


「く……っ! 血迷ったか! 近衛兵よ、出口までの道を切り開け!」


 王の命令に近衛兵たちもすぐさま抜刀する。

 そしてドランを逃がすため、地下牢の細い通路に道を開けようとする。しかしドランの近衛兵はたったの数名。対してトマスが引き連れている兵士はその数倍はあった。


 あっと言う間に近衛兵は鎮圧され、ドランは壁際に追い詰められる。そして彼はトマスの兵士たちに取り押さえられ、膝をつかされてしまった。


 同時に牢の鍵が壊され、ギルバートは柵の外へと解放される。


 ――息をもつかせぬ逆転劇。


 ギルバートは冷たくドランを見下ろした。するとトマスがギルバートに歩み寄り、彼へ囁いた。


「王におなりください、殿下」


「……!」


 ギルバートがドランから視線を外さぬまま息を呑む。


 するとトマスは何を思ったか、近くの兵が携えていた剣を素早く引き抜いた。白刃が光に反射しきらめく。トマスは、その剣を呆然と佇むギルバートの胸元へ押し付けた。


「この剣で陛下を斬るのです」


「な……」


 ギルバートはハッと我に返り、剣とトマスを交互に見遣りたじろぐ。彼の額に汗がにじんだ。


「き、貴様がやればいいだろう」


「いいえ、殿下。貴方様がやらなければ。……現実をお教えしましょう。殿下は失敗したのです。土精霊の有用性を見誤ったのも、英雄に渡したのも、その英雄を謀ろうと陛下を暗殺しようとしたのも、そのすべてを」


「っ」


 耳に痛すぎる現実を聞かされ、ギルバートは悔しさで顔を歪ませ拳を握りしめる。追い打ちをかけるように、トマスがずいっとギルバートの耳元へ口を寄せた。


「心中お察しいたします、えぇ。悔しいですよね。……なら、殺してしまいましょうよ。邪魔なものはすべて消し去ってしまえばいい。今まで私が間違ったことを申し上げたことがございましたか? 殿下、どうかお願いです。私を信じてください」


 ギルバートが何を許せず、憎むのか。彼の望むことくらいトマスは手に取るようにわかる。ゆえに甘い言葉で誘惑するのだ。


「一万の兵をすべて殿下にお預けいたします。貴方様の大願である『アステリアへの進軍』の実現にお力添えいたしましょう」


 ――ギルバートは所詮、おもちゃの兵隊で遊ぶ子供と同じ。ならば、子供が目を輝かせるようなおもちゃを与えてやればいい。


 ギルバートの眉がピクリと動いた。顔を上げた彼の瞳に小さな光が宿る。


「一万だと? 一体どうやってそんな数を集めたのだ?」


「ハハハ……簡単ですよ。最近魔物の動きが活発なのはご存知ですな?」


「それと何が関係ある?」


「近々、魔物の大群が押し寄せてくる『魔物の大暴走(スタンピード)』が発生すると国民に触れ回りました。もちろんそんなことは起き得ませんが、耳にした者はこう思います。『死にたくない、家族を失いたくない。そうだ、アステリアを奪えばいいのだ』と」


「――!」


「戦い慣れぬ国民ではありますが、命がけで戦うはずです。殿下は先頭に立ち、自らが王にふさわしいのだと国民に知らしめてください。そして大願を成し遂げた暁には、どうぞ私の娘を妃として迎え、この国を救い治めてくださいませ――我が王よ」


 壊れ物に触れるよう、そっとトマスがギルバートに剣を握らせる。


 今度は素直に受け取ったギルバートへ、トマスはしたり顔で微笑んだ。剣を握らせることが出来ればもうこちらのものだ。


(やれ、ギルバート。ここまでお膳立てしてやったんだ。あとは少しの勇気を振り絞り、剣を振り下ろすだけだぞ。そうしたら私のこれまでの苦労は全て報われる。この愚かなギルバートを操り、私が実質上の王となるのだ!)


 トマスの野望。それは頭がからっぽのギルバートを操り、自らがテーレを支配することだった。


 俯いていたギルバートがふいに顔を上げる。その目には希望が満ち光り輝いていた。


 まるで、自らが国を救う英雄であることを自覚した勇者であるかのように。


「父上……っ、恨まないでください! いつまでも弱腰な貴方が悪いんです、私はテーレを導く真の王になる!」


 トマスの操り人形が大きく剣を振り上げる。


 そして、地面へ跪くドランが大きく目を見開いた――。



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