20 一足早い春
ミスティアが庭園へと視線を移す。
アステリアの庭園ではちらほらと薔薇が咲いていたが、テーレではまだつぼみのようである。一体何の話かと、毒気を抜かれたギルバートがうろたえた。
「あ、ああ……。こちらはアステリアと違い少し冷えますからね。開花が間に合わなくて残念ですよ」
「さようでございましたか。……ではここで一つ、余興をご覧に入れましょう。ソルム様、あの魔法をお願いいたします。この庭園全体にかけてください、魔力は惜しみなく使ってくださって構いませんわ」
ミスティアが不敵に笑う。彼女の言葉にソルムは目を瞬かせた。
あの魔法、というのはフーラ村でソルムが作物をみるみるうちに成長させたあの魔法のことだろう。ソルムはギルバートをチラリと盗み見た。ギルバートはソルムの魔法に全く期待していない様子で、ミスティアを見下しあざ笑っている。
自分の事ではないのに、ソルムは無性にそれが悔しくなった。拳を握りしめ、ソルムは声を上げる。
「わかりました。存分にご覧あれ――豊穣」
ソルムが手をかざし呪文を唱える。その瞬間、会場に居る者たちの足元に一陣の温かい風が吹き抜けた。
――そして、余興が幕を上げる。
テーレの葉ばかりだった大庭園。未だつぼみの薔薇たちが、次々と急速に花びらを広げていく。赤、白、黄といった薔薇たちが一斉に開花すれば、どこか殺風景だった庭園が一気に華やいだ。
垣根からアーチまで、その全てが薔薇によって彩られていく。誰もが己の目を疑い、会場には大きなどよめきが沸き上がった。
「な……っ」
ギルバートが信じられないと目を大きく広げる。一流の庭師でも、ここまで薔薇を見事に咲かせられはしないだろう。その場に居た誰もが魂を抜かれたように惚け、庭園の美しさに魅入った。招待客たちが次々に賞賛の言葉を口にしだす。
「なんて美しい魔法なの」
「この広い大庭園すべてに魔法をかけられるなんて、すごい力だ!」
「テーレに一足早い春が来たようですわ」
皆、ギルバートへのおべっかを忘れソルムの魔法を褒め称え出す。盛り上がる会場を眺めながら、ミスティアは優雅にギルバートへ笑いかけた。
「皆様に喜んでいただけたようで嬉しいですわ……いかがです、殿下? 土魔法はこのようなことも出来ますの」
「……っ」
ギルバートはわなわなと身を震わせた。プライドを打ち砕かれた彼は頭がぐらぐらして、目の前が真っ暗になる。だがやっとのことで声を絞り出した。
「な、なんだこのデタラメな魔法は! こんなのが何の役に立つって言うんだ!」
ギルバートの言葉を聞き、ソルムが彼の前へ躍り出た。2人の視線がかち合う。そしてソルムは胸を張り、ギルバートへ諭すように語りかけた。
「ギルバート、私はこの魔法が『役に立たない』とは思えません。こうやって人を笑顔にできるなんて凄いことだ。……ミスティア嬢は私にそれを気づかせてくれました」
そう言ってソルムは哀しそうに、しかし優しく微笑んだ。
ギルバートは呆気に取られて目を見開くのみで何も言い返せない。
「ソルム様……」
ミスティアが気遣わしげに呟く。その声を背に、ソルムはギルバートへ言わなければいけない言葉を伝えることにした。
「今となっては貴方に感謝をしています。このように素晴らしい主に巡り合わせてくれたのですから。さようならギルバート。……私の、初めての主」
掠れた声で囁いたソルムは、そのままくるりと踵を返す。無言でミスティア達の下へ戻ったソルムの背を、スキアがぽんと叩いて労わった。
それを見たギルバートがハッと我に返る。
「お、俺は認めないからな! 人を笑顔にさせる魔法なんてくだらない――」
顔を赤くし、いまだ噛みついてくるギルバート。彼はさらにソルムへ罵声を浴びせようとするが、遮る様にある声がかけられた。
「いったい、なんの騒ぎだ?」
掠れて、しわがれた声。
ミスティア含め、その場に居た一同は声が発せられた方へ振り向いた。
「父上……っ」





