13 ギルバートの誤算
国王の寝室。全ての窓は締め切られ、部屋はうっすらと煙でかすんでいる。吸うと痛みが和らぐ特殊な香を絶え間なく焚いているためだ。
テーレの国王ドランはもう長い事、病に臥せっていた。
「ギルバートはまだか……?」
喉をヒューヒュー鳴らしながら、ドランが傍に居た宰相トマスへと尋ねる。
「もうすぐこちらに参られるかと」
「ふう……。あれはアステリアで上手くやれただろうか……心配だったが、ワシの命も風前の灯火だ。あれには王位を継いでもらわねばならん。癇癪持ちだが精霊使いの素質があるのだから」
ドランが寝台で身を捩ると、傍に控えていた侍女がすぐさま彼の口へ吸い飲みをあてがった。
その時である。
締め切られた寝室の扉がバン! と音を立て勢いよく開かれた。ドランはぎょっとして大きく咳き込んでしまう。
「ゴホッ、ゴホッ!」
「今参りましたぞ父上! お加減はいかがですか?」
「ッ、ギルバート……」
品性の欠片もない登場にドランは頭が痛くなった。だがこれはいつものことで、ドランは寝台へギルバートの接近を許す。宰相がドランとギルバートへ一礼し、その場を離れていった。すれ違いざま、ギルバートがドランをひと睨みする。
「お前が立派に務めを果たしたと聞けば、この痛みも少しはマシになると思うんだが。それで、アステリアの『救国の英雄』殿はどんな者だった?」
「ああ……あの女。皆が褒めそやかすので期待して会ってみれば、なんら大したことはありませんでした。あんな棒切れのような女に、国一つ吹き飛ばすような力があるとは到底思えません。あれに付き従っている精霊もたかが知れている」
「なに……?」
ドランがギルバートの報告に眉をひそめる。冷えていく空気に気づかないギルバートはさらにぺらぺらと喋りだす。
「しかしあの女の鼻を明かしてやりました! ずっとお荷物だった土精霊を押し付けてやったんです。父上、これは好機ですよ。ソルムが女の足を引っ張っている間に、アステリアへ攻め入りましょう。どうぞご決断を――」
「この痴れ者がッ!!」
その場に雷が落ちたかのような大声が響いた。
侍女がびくりと身を揺らし、青ざめた顔で俯く。ギルバートは何が起こったのか理解できず笑顔のまま固まってしまった。
ゼェゼェと肩で息をしながら、ドランが視線でギルバートをなじる。
「今、お前はなんと言った!? 貴い精霊をいとも簡単に他国へ譲るなど信じられんっ! それに、ワシはお前に『アステリアと親交を結べ』と命じたのだ。攻め入るためではないっ。やはりお前をアステリアへ派遣するのは失敗だったようだ。精霊使いでもないお前に、この国を統べる資格はもうない!」
「な、えっ、ち、父上……?」
「父上と呼ぶな、『陛下』と呼べ」
氷のような冷たい声色がギルバートの胸に突き刺さる。心臓がじわじわ冷えていくような感覚が彼を襲った。
(私に、この国を統べる資格がない、だって!?)
正妃を母に持ち、尊ばれ育った彼は、自らが王太子であることを疑ったことがなかった。彼にとって国王の第一継承者であるという立場は当然で、その誉れは魂の一部と言えた。
それを、父は今更『資格がない』と言う。
「ふざけるな……! その言葉、取り消していただきたい! ついに耄碌されたか」
子犬が噛みつくようなギルバートの侮辱を、ドランがハッと鼻で嗤い一蹴する。
「間抜けなのはお前の方よ。欲望が見え透いておるわ、愚か者め。ただアステリアを力のまま滅ぼしたいだけだろう」
「そ、それの何がいけないのですっ! 戦を避ける逃げ腰の王にはなりたくありません。民に畏れられる王にならなければ! 陛下はなぜそのように戦に消極的なのですか!?」
「戦になれば大勢が死ぬからだ」
「……っ」
「だがお前をこのような愚か者に育ててしまったワシにも罪はある。追放まではせぬゆえここで大人しくしておれ。そのうち良い縁談を持って来てやる。……はあ。疲れた、もう下がれ」
ドランは深くため息を吐き、しっしっと獣を払うような仕草で彼に退出を促す。
ギルバートはなおドランへ追いすがろうと口を開きかけたが、止めた。そして無言で踵を返し、王の寝室を後にしたのだった。
扉を背にギルバートは眉間へ皺を寄せる。先ほどのドランの口ぶりといえば、まるで彼の継承権を剥奪するような物言いだった。
(そんなことがあってたまるか……!)
ドランの発言を許せないギルバートは、拳をぎゅっと握りしめる。
(俺が王であれば即アステリアを攻めるのに! 守護水晶で守られたあの土地を奪取できれば、我が国は多大な利益を得られる。弱腰な愚王め、人死にを恐れて歴史に名を残せるか! 救国の英雄など風が吹けば飛んでいきそうなみすぼらしい小娘だ。クソ、俺に軍を動かす力があれば……)
すると突然、イライラと歯ぎしりしていたギルバートへ声がかけられた。





