7 凶作の知らせ
明朝、一人で身支度を済ませたミスティアは手ごわい寝癖と戦っていた。すると扉からコンコンと控えめなノック音が鳴る。ミスティアが櫛を置き目を向けると、扉越しにアイリーンのくぐもった声がした。
「お嬢様、お目覚めになられましたか? お嬢様宛てに手紙が届きましたので急ぎ持ってまいりました」
「わざわざありがとう、今開けるわ」
ミスティアは寝台で一つ伸びをした後、扉へ向かう。開けると、そこには早朝にも関わらずメイド服をピシッと着こなしたアイリーンが居た。アイリーンは既にドレスへ着替えているミスティアを見て半眼になる。
「お嬢様ったら、ベルを鳴らしていただければ私がお仕度しますのに!」
「ふふふ、ごめんなさい。でも習慣になってしまって。一人で身支度すると気も引き締まるし」
「さようでございますか……。もっと私を頼って欲しいのですけれどね。さて、こちらが手紙です」
ミスティアが手紙を受け取ると、アイリーンは一礼し仕事へ戻っていった。
――封蝋には公爵家の紋章が押されている。ミスティアはぎょっと目を見開いた。
「これ、アーシエン公爵家からの手紙だわ」
アーシエン公爵家は、救国の英雄となったミスティアの後ろ盾を買ってくれた由緒正しき家門だ。公爵家がレッドフィールド領の大まかな管理をしてくれているため、ミスティアは以前のように学生生活を送ることが出来ている。
そのアーシエン公爵家から手紙とは、恐らくただ事ではない。ミスティアは不安に胸をざわつかせ眉をひそめた。
「舞踏会の招待状って雰囲気の華美な封筒ではないし……。取り敢えず開けてみるしかないかしら」
ミスティアがぶつぶつ独り言をつぶやいていると、彼女の背後で声がした。
「そうだな」
「スキア」
「おはよう、我が主」
ミスティアはサッと直しきれなかった寝癖を整える。スキアはにこりと微笑むと、指先をついっと横一文字に動かした。
するとミスティアの手元にある封筒の端が床へ切れ落ちた。どうやらペーパーナイフを探すよりも先に、スキアが風魔法で開封してくれたようだ。彼女の手と手紙を切らずに封筒だけを切るのは至難の業である。才能の無駄遣いとはこのことだろう。
「また手を切られたらかなわないからな」
ふっと笑うスキアにミスティアは困ったように眉を下げ微笑み返した。
(か、過保護)
と思いつつもミスティアは口に出さない。
「ありがとうございます。さて……」
手紙を開くと、やはりその便せんは一切の装飾が無かった。ミスティアが内容に目を通す。
「……大変だわ」
ミスティアは顔を青ざめさせた。
「以下の嘆願を至急確認されたし。レッドフィールド領北部フーラ村にて凶作の報告有り。それに伴う飢饉発生の恐れ有り……なんてこと」
ミスティアは思わず口に手を当てる。今まで不作ということは多々あったが、『凶作』という報告は初めての事だ。何が原因かは分からないが、当主として領民の危機は放っておけない。ミスティアは居ても立っても居られなくなった。
「すぐにフーラ村へ向かいましょう。村人たちの現状を確かめなければ」
「わかった。以前遠征でその村には行ったことがあるから、瞬間移動で移動できる」
「……! ありがとうございます」
瞬間移動は一度訪れたことがある場所のみ行き来することが出来る。フーラ村はここから馬車で三日はかかる場所。ミスティアは助かったと表情を緩ませた。
「出発の前に土精霊に一声かけた方が良い」
「そうですね、お一人で待っていただくのは心配ですが」
病み上がりとも言えるソルムをあちこち連れまわすのは酷というもの。ミスティアは頷いて、再びソルムが休む部屋に足を運ぶことにした。
ミスティアは扉をノックする。だがしばらく待っても返事はない。どうしたものかと彼女が頭を悩ませていると、脇からスキアの手が伸びた。そしてそのまま乱暴にガチャリと音を立てて扉を開ける。つくづく、スキアはミスティア以外に遠慮というものを持ち合わせていない。
「入るぞ」
スキアがそう言うと、寝台で上体のみを起こしていたソルムがむっと眉をひそめて見せた。
「まだ返事をしていないのですが、随分礼儀正しいことですね」
「なに、湿っぽいから換気してやろうと思ってな」
嫌味の応酬が交わされる。
「はぁ……それで今度は何の御用でしょう」
これ以上は無益とソルムがため息を吐いた。傷が治ったせいなのか、彼の態度は昨日よりもいくらか柔らかい。顔色も血色を取り戻しており、ズタボロという状態は脱しているように思えた。ボロボロのローブも脱ぎ捨てられ、ミスティアが用意していた簡素な服に着替えている。
「今から私たちは急用のためにここを離れます。ソルム様はまだ回復したばかりですし、こちらでお待ちいただけますでしょうか?」
その言葉に、ソルムは前髪の隙間から覗く瞳を大きくゆがめ、強い動揺を示した。
「まさかあの者に会いに行くつもりですか? 残念ですがあの者が私を再び受け入れるとは到底思えません」
どうやらソルムは、ミスティア達がギルバートの元へ行くと思い込んでいる様だ。ミスティアはソルムを安心させるために、極めて穏やかな声で言い聞かせる。
「貴方様は確かに私の精霊です。むしろ殿下に『返せ』と言われたとしても、決して受け入れませんわ。ご不安でしたら、そうですね。ソルム様が宜しければなのですが……共にフーラ村へ参りますか?」
「フーラ村?」
ソルムがきょと、と瞳を瞬かせてミスティアを伺い見る。
「はい、フーラ村は我が領の村です。そこで農作物が全滅したとの報告を受けました。ゆえに原因を確かめるべく今すぐにでも出立するつもりです」
「……なるほど。しかしこの目で確かめなければ信じることは出来ません。私もあなた方に同行します」
「お体はもうよろしいのですか?」
「問題ありません」
「……かしこまりました、しかし無理はなさらないでくださいね。スキア、彼も一緒にお願いします」
「わかった、瞬間移動」
スキアが手をかざすとソルムが目を白黒させた。
「ちょっと待ってください、それは一体何の魔法――」
彼が焦って止めようとするも虚しく魔法が発動される。その場から三人の姿がふっと消え、後には静寂のみが取り残されたのだった。





