6 土魔法は超有能です
「土の精霊、ソルム様」
ミスティアが呟くと、寝台の上に砂埃のような粒子が舞った。それらはどこからともなく現れ、やがて消えていく。
そして彼――土の精霊ソルムはベッドに横たわる形で現れた。大地に愛される土精霊らしい現れ方だ。そんな彼の身体は、未だ治療されていない傷であちこちボロボロである。
「くっ……」
ソルムがうめく。彼はミスティアを認めて、体を起こそうと身を捩った。だが痛みでままならないのか再びドサリとベッドに横たわってしまう。
「どうか無理なさらないでください」
彼女が跪いて寝台に手を添えると、ソルムの前髪の隙間から彼の瞳が覗いた。ミスティアはその瞳の美しさに思わず息を止めてしまう。
(なんて綺麗な瞳)
彼の瞳の色を例えるならば、初夏に芽吹く新緑。
そしてまるで、翠玉がそのまま嵌め込まれたかというような輝きがあった。ソルムの顔の上半分は長い前髪で覆われているが、それでも顔立ちの美しさは隠しきれていない。
薄い唇に高い鼻筋。腰まで伸びた長髪は金茶色で、大地の色を彷彿とさせた。ミスティアが見惚れていると、ソルムは顔を背け、サッと瞳を前髪で隠した。
「私はミスティア・レッドフィールドと申します。今貴方様がいらっしゃるのは、レッドフィールド男爵領の邸宅です。しばらくはこちらでお体を休めてくださいませ」
「……貴女が私の新しい主ですか」
「はい。ですがお話をさせていただく前に、貴方様の傷をどうか私に癒させてはいただけないでしょうか?」
それまで大人しかったソルムが、『治療』と聞いた途端に突然ミスティアをギロリと睨みつけた。
「止めてください。治療と称して一体何をするつもりですか……!」
「ソルム様」
大声を出すのも辛いのかソルムがハァハァと息切れする。眉尻を下げるミスティアに、みかねたスキアが口を開いた。
「俺は精霊で貴殿と同類だ。そちらの事情は分かるが落ち着いて欲しい。我が主は信頼できるお方だ、悪いようにはしない」
「……っ、私と貴方は同類ではありません、そこをどいてください」
ソルムは顔を歪めると、ぶるぶる震えながら身を起こした。寝台に寄り添うミスティアを腕で押しのけ、ソルムは床に足を着ける。
「そのお身体で何処に行かれるおつもりですか?」
「私がどこへ行こうと貴女には関係ないでしょう」
額に脂汗を滲ませながらソルムが立つ。そして彼がミスティアの制止を振り切り、歩き出そうとしたその時。
「いいえ関係あります。貴方様は私に名前を教えてくださいました」
ミスティアがソルムの羽織っているボロボロのローブを引っ張り、彼を寝台に引き戻した。ボフンと音が鳴り、ソルムは再び寝台に背中を預ける。驚いたソルムが目を丸くしミスティアを見つめる。
「すみませんが、勝手に傷を回復させていただきますわ」
そう言うとミスティアは胸に両手を当て、目を閉じた。
「な、なにを」
思わず出た声は弱々しい。
ミスティアがソルムに魔力を送る。すると彼の傷ついた体を金の光が柔らかく包みだした。白い肌に浮かんでいた青あざや切り傷がみるみるうちに消えていく。彼女の魔力の温かさに、ソルムは少しばかり固めていた身を緩ませた。
体に痛みがないのは一体いつぶりだろう。感謝を伝えるべきなのに、彼の口からは黒い感情がこぼれ出てしまう。
「無能精霊を回復するなんて無意味なことを。礼は言いませんよ」
ソルムがふいっと顔を背けると、ミスティアが言った。
「ソルム様、貴方様にお願いがございます。私にソルム様の『精霊の書』を見せていただけないでしょうか?」
「……精霊の書を?」
ソルムが訝しげにミスティアを仰ぎ見る。断っても良かったが、彼女には傷を癒してもらった借りがある。
「……わかりました、これで貸し借りなしです。しかし大した魔法は載っていませんよ」
ソルムは掌を差し出し精霊の書を出現させた。書が独りでにミスティアの手元へと収まる。受け取ったミスティアは、花が咲くように微笑んだ。
「ありがとうございます、ソルム様」
「い、いえ……」
笑みを向けられたソルムはどこかむず痒くなる。どこか冷たい印象を与えるミスティアだが、笑顔は温かい。
(私なんかを気にかけるなんて、変わった方だ)
自分をじっと見つめるソルムに気づかず、ミスティアは興味津々といった様子で書の表紙に手を掛ける。
「では早速読ませていただきますね。ええと、これは……!」
書の頁を捲って目を輝かせていくミスティアを見て、スキアが本を覗き込む。
「何と書いてある?」
「素晴らしいですよ、想像以上です。土壌を豊かにし、植物の成長を促す魔法が載っています。最上級魔法では更に威力が上がり、一瞬で種から収穫まで植物を成長させられるようです。まるで夢みたいな魔法……! そのほかにも土や植物を操作する魔法が沢山ありますよ!」
興奮でミスティアの瞳がキラキラと輝く。
「それは凄いな、かなり有能だ」
ほう、と感嘆の息をこぼすスキアへソルムが信じられないと口を開いた。
「ち、ちょっと待ってください、ギルバートは私の魔法を『無能』だといつも蔑んでいました。それが『有能』ですって……?」
彼の言葉を聞き、ミスティアとスキアは思わず顔を見合わせる。どうやらソルムの矜持はギルバートに極限まで踏みにじられてしまっているらしい。
ソルムは自分の事『無能精霊』だと蔑んでいるが、それは彼の大きな思い違いである。土魔法には、暮らしを豊かにするための魔法が沢山載っている。――無限の可能性を秘めているのだ。
(どうにかしてソルム様に自信を取り戻していただきたいわ)
ミスティアは嘘偽りない心でソルムに訴えかけた。
「はい、とても有能です! 実りをもたらす魔法なんて唯一無二ではありませんか」
彼女の真っ直ぐな言葉と眼差しに、ソルムは面食らい押し黙った。
(彼女はそう言うが……やはり信じられない。またギルバートと同じく私に失望するに決まっている)
「少し、一人で考えさせてくれませんか。もう勝手に出て行ったりはしませんので」
ソルムの暗い声にミスティアは気づかわしい視線を送った。
「……わかりました、お疲れでしょうからゆっくり休まれていてください。お着換えはこちらに置いておきますわ、私たちはこれにて失礼いたします」
そう声をかけるも、ソルムは無視を決め込んでいる。彼女はふぅと息を吐いてその場を後にすることにしたのだった。





