5 オニオンスープ
レッドフィールド家の邸宅。
その玄関に、突然何もない空間から二人の男女が現れた。足元の落葉が、魔法の余波で起こった風にカサリと音を立てる。スキアはミスティアを腕から放し、扉を開けた。
「ただいま戻りました」
ミスティアが中へ向かって声を張り上げると、奥からパタパタと小さい足音が聞こえて来た。
「お嬢様! お帰りをお待ちしておりました!」
「アイリーン」
ミスティアは彼女の笑顔を見てホッと息を吐いた。緑の瞳に愛嬌のあるそばかす。亜麻色のおさげ髪を揺らしながら駆け寄って来たのは、ミスティアの侍女であるアイリーンだ。
玄関から邸宅の中へ入るとそこは温かい。玉ねぎを炒めた食欲をそそるいい香りがして、ミスティアはアイリーンへ思わず尋ねた。
「もしかして、わざわざ何か作ってくれたの?」
「ええお嬢様の事ですから、緊張してあちらでは何も食べられないのではと思いまして! 簡単ですがオニオンスープを作りました」
「アイリーンってばなにもかもお見通しね、ありがとう。あ、これは貴女に」
ミスティアはそう言うと、胸元に挿していた白百合の花を手に取り、アイリーンの耳に挿した。きょとんとするアイリーンに、ミスティアが小首を傾げて微笑む。
「可愛いわ」
「……もうッ! お嬢様ったら私をときめきで殺すつもりですかッ!」
プンプン! といった様子でアイリーンが身もだえてると、スキアが眉を寄せ腕を組んだ。何となく空気が寒い。
「俺は何を見せられているのかな」
「あっスキア様もお帰りなさいませ。お疲れさまでございました~」
アイリーンがやや適当にスキアをねぎらう。
「……」
扱いの落差が酷い気がする。だがスキアは何も言わず、腕を絡ませ食堂室へ向かう二人の後を、無言で追うのだった。食堂室へ着き、ミスティアはアイリーンへ舞踏会で起こった出来事を打ちあけることにした。
「そうですか……テーレの王太子がそんなことを」
「ええ、普段から酷い暴力を受けていたはずよ。もうすぐ目覚められると思うけれど、緊張するわ」
平たい皿によそわれたスープに、ミスティアの不安な顔が映り込む。そんな彼女へ傍に控えていたアイリーンが静かに口を開いた。
「でも、その精霊様は名を明かされたんですよね?」
「そうね、教えてくださったわ。だけれど正常な判断ができていたのかどうか、今となっては分からない」
「ご不安に思うのは当然の事です。……私は、お嬢様があの日売られそうになった私を助けてくださったこと、とても感謝しております。そんな私ですから、その精霊様を見捨てず契約なさったお嬢様を心から誇りに思いますわ。それにもし過去に戻れたとしても、お嬢様はきっとその方に手を差し伸べなさるはず」
ミスティアはハッと顔を上げ、アイリーンを見つめる。
(そうね、あの場で見捨てることなんてできなかった。ソルム様にとって何が最善だったのかは分からない。ここでうじうじしていたって仕様が無いわ。本人に会って直接彼の望みを聞かなければ)
心を決め、ミスティアはアイリーンが作ってくれたスープを口に含んだ。殆ど何も飲まず食わずだった身体に玉ねぎの美味しさが染み渡る。
優しくて、温かくて、美味しい。ミスティアはこのスープをソルムにも飲んで欲しくなった。アイリーンから受け取った思いが嬉しくて、ミスティアも誰かに優しくしたくなる。
「ありがとう、アイリーン。このスープとっても美味しいわ」
ミスティアが微笑むと、アイリーンはとても嬉しそうに目を細めた。
「ふふ、光栄です。さて、私はソルム様のための寝台を支度して参りますね。すぐ終わりますのでその時はお伝えいたします」
「わかったわ、お願いね」
アイリーンが完全に去ったのを確認した後、スキアはおもむろに口を開いた。
「良い侍女だ」
「ええ、私には勿体ないくらいの」
スキアとミスティアが微笑み合う。彼女がスープを飲み終わってしばらくした後、再びアイリーンがやって来て言った。『寝台の準備が出来ました』と。
ミスティアは覚悟を決め、邸宅の一室に置かれているベッドの傍へ歩み寄る。そして、彼の名を呟いた。
「土の精霊、ソルム様」





