4 外套につつまれて
ミスティアとスキアは求婚の嵐から逃れるため、人気の少ないバルコニーへと足を運んでいた。扉が閉められると急に静かになり、二人だけの空間が広がる。気の抜けたミスティアがはあ、と大きくため息を吐いた。
「はぁ……こうもいろんな方に詰め寄られると困ってしまいますね。先ほど陛下は断ってもいいと仰いましたが、もし気が変わられたら……」
俯くミスティアを、突如として大きい影が覆った。
――背後から抱きしめられている。
ふわりと、白百合の花の噎せ返るような香りが濃い。スキアの青い外套が、飾られている花の香りを吸ったのだろう。
「滅多なことを考えるべきではない」
ミスティアの耳元でスキアが小さく囁いた。ミスティアは白い肌を赤くして、彼の腕の中で縮こまってしまう。
「スキア、人前ですよ」
ミスティアが恥じらう。通りがかりで二人の姿を見た使用人が、気を利かしてカーテンを閉めた。するとシャンデリアの光が遮られ暗くなる。やがて目が慣れて、月影と星の光が辺りを浮かび上がらせた。
これでは言い逃れが出来ない。ミスティアは、ドキドキと高鳴る胸の音が彼に聞こえてしまうのではと気が気でなくなった。そんな彼女へスキアが低く囁く。
「愛しいあなた。あなたの望みなら命をなげうってでも全て叶えて差し上げたいよ。……だが、誰かのものになるのだけは叶えてあげられないな」
「そそそれは……! 私だって、他の方と結婚するのは嫌です。でも政治的に強要されれば……」
怯え切ったミスティアにスキアが優しくフ、と笑う。
「この髪も爪も肌も唇も、全て俺だけのもの。もしあなたが嫁ぐことを強要されることがあれば、俺は国を滅ぼそう。いっそ二人きりになるまで世界を焼こうか。そうすれば誰もあなたに強いることが出来なくなる。……これが俺の愛だ。あなたなら、分かるだろう?」
つい、と髪を一房掬われる。
髪に触覚はないのに、まるで触れられたようにミスティアは身体がゾクゾクと熱くなった。抱き締める力が強くなる。
「優しいあなた。もし救国の英雄が他国へと渡れば、アステリアは瞬く間に戦火に巻き込まれるぞ。今この地の価値は高い。であれば奪いたくなるのが人間というもの。今の力関係が丁度いい。幸い王は戦に消極的で他国を侵略する野心もない。あれもそれを承知だろう、ゆえに断れと言ったのだ。……あなたはただ、ここで俺に愛されていればいい」
そう言い切ったものの、スキアは頭の片隅で考えた。
もしミスティアが跪き、彼へ泣いて懇願すれば――。恐らく、最後には許してしまう。口ではこう脅しつつも、愛しい彼女に願われればきっと、スキアの意志など藁を曲げるよう簡単に折れてしまうだろう。悲しいかな、それが惚れた弱みなのだ。
しかしミスティアが誰かを求める姿を想像しただけで、スキアは死にたくなった。
「ごめんなさい、余計なことを考えて貴方を不安にさせてしまいました」
スキアの腕の中で、ミスティアがくるりと回転し二人が向き合った。互いの息が触れ合う距離。
「私は誰とも結婚するつもりはありません。……スキア以外とは」
尻すぼみにミスティアが呟く。そして頬を赤く染めスキアから目を逸らした。その可愛らしい様にスキアの胸が高鳴る。
「俺の機嫌の取り方が随分と上手になった」
月影の下、スキアが上機嫌に笑った。
どこまでも美しい笑み。ミスティアは、スキアが笑うと心が満たされる。
けれど彼があまりに美しいものだから、ときおり謎の罪悪感に駆られてしまう。
まるで、汚してはいけない聖域に足を踏み入れているような。およそ人間が触れてはいけないものに触れてしまっているような――。
スキアはそれくらい完璧な美丈夫なのだ。
「……ソルム様ですが、そろそろお目覚めになられるかと」
ふつふつと胸に沸いた小さな憂いを払うため、ミスティアは話題を変えることにした。
「そうだな。あのズタボロ状態で人目に晒すのは不憫だ。救国の英雄としての責務は果たしたのだし、そろそろ屋敷へ帰るか」
「はい。丁度人目もありませんし瞬間移動で帰っても良いですか?」
「わかった」
瞬間移動は本当に便利な魔法である。
ミスティアは馬車に乗っているとお尻が痛くなってしまうため、この魔法を重用していた。スキアが魔法を発動させ、バルコニーから二人の姿がふっと消える。
しばらく後、そろりとカーテンを開けた使用人は目を瞬かせた。
「あ、あれ。確かに誰か居たと思ったんだが……」
使用人は頭を掻いて気のせいかと独り言ちると、カーテンをタッセルで留めたのであった。





