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1 『粗悪品』

「土の精霊ソルムよ、お前は王太子である俺に相応しくない! お前との契約を破棄させてもらうっ!」


 夕日に染まる薔薇園で、金髪金眼の男が居丈高に叫ぶ。


 彼は、アステリアの隣国テーレの王太子、ギルバート・フォン・テーレ。端正な顔立ちを際立たせる、立派な純白の軍服を身に纏っている。ギルバートは前髪をうっとうしそうに払った後、目の前のせいれいを睨みつけた。


 その精霊は、一言で言えばズタボロ。


 金色がかった茶色の長いざんばら髪。瞳の色は長い前髪によって隠されていた。パリッとした、染み一つない王太子の服装とは相反し、灰色の薄汚れたローブを羽織っている。ズボンは裾が擦り切れ、あちこち破れてしまっていた。


 彼の名はソルム。――歴とした土の上位精霊である。本来であれば貴ばれるべき彼は、前髪の隙間から胡乱な瞳で王太子を見返した。


「何だその目は、気に入らん! 無能精霊のくせに俺に盾突くつもりか!?」


「……人間の勝手な理由で契約破棄するのは、大罪ではありませんでしたか?」


 ソルムがふっと嘲笑すると、ギルバートは怒りに頬を赤らませた。


「っ! お前が同意すればいい話だろう!」


 ここは、王都アステリアの広大な庭園にある薔薇園。ギルバートはとある理由により王都アステリアへと国賓として招かれていた。現在は夕刻で、もうすぐ王宮のホールで大舞踏会が開かれる予定となっている。

 だが主賓であるギルバートは会場へと向かうことなく、この人気の少ない薔薇園でひっそりと身を隠していた。


「私の姿を衆目に晒すのが恥ずかしいのなら、今からでも見れるように着飾らせれば良いでしょう? 舞踏会の間だけです。そんなに私と契約していることを皆に知られたくないのですか?」


「そうだっ! 見た目だけの話ではない、お前のせいで俺がどれほど恥をかいてきたか分かっているのか!? お前は存在しているだけで、この世の害なのだっ!」


 ギルバートはそう叫ぶと、力任せにソルムの頬を殴りつけた。

 ゴッという鈍い音と共に、ソルムはよろけて地に尻餅をつく。殴られた拍子に裂けた唇から血が滴り落ち、ソルムは乱暴にその血を拭った。

 ギルバートは握りしめた拳を震わせながら、再びソルムを罵りだす。


「今の今まで我慢してきたが限界だ! テーレでならともかく、他国でお前を晒し恥をかくのは耐えられん! こう言えばいいのか? ああ、彼は私と契約している土の精霊ソルムです。得意技は草を生やすこと。すると国王は当然聞き返すだろうな、『それ以外に何が出来る?』と。俺はこう答えるしかない、『私が知りたいです』……ってなぁ! 良い笑い者になるぞ。俺は中級魔法まで読める魔力量を持っているのに、とんだ粗悪品ハズレを掴まされたものだ!」


 粗悪品ハズレという言葉にソルムは表情を歪ませた。


 土の精霊ソルムは、戦闘向きの精霊ではない。


 テーレでは光の精霊もおらず、魔物を遠ざけてくれる守護水晶は存在しない。ゆえに求められるのは戦闘向きである火・水、風といった精霊であった。


 しかし土の精霊は珍しい。未知なる属性の精霊に、召喚された当初は国を挙げて歓迎されたものだ。彼の脳裏には、誇らしげに胸を張るギルバートの笑顔がいまだ焼き付いている。


 しかしいざ蓋を開けてみれば、土魔法は全く戦闘に向いていなかった。土壁は子供が跨げるくらいの高さしか作れず、石つぶてを放つ魔法も魔物に届く前に崩れてしまう。そのすべてが中途半端なものだった。


 つまるところソルムは、ギルバートの期待に応えることが出来なかったのである。


 ギルバートはかつて神童だと持て囃されていた。文武両道、眉目秀麗でしかも精霊使い。素晴らしい王となるに違いないと皆が口をそろえた。

 そんな彼が人生で初めて味わった屈辱。神童と称えられていたがゆえ、周囲は余計に彼をあざ嗤った。


「お前が現れるまで俺は完璧な王太子だった! 全てを持って生まれてきた神童だと誰もが俺を称えたのに。今では『精霊を上手く使いこなせない残念な王太子』だなどと言って皆が俺を蔑む! 残念だと? 残念なのは無能なお前の方だろうが。お前に俺の気持ちがわかるか? 『あのギルバート殿下がねぇ』と陰でクスクス笑われる俺の気持ちが! お前のせいで、俺の人生は全て台無しだっ!」


 ギルバートが怒りそのままに片足を持ち上げ、ありったけの力でソルムを蹴りだす。ソルムは暴力に耐えるため身体を縮こまらせぎゅっと目を瞑った。蹴られるたびに身体が揺れる。彼は心の中で呪文を唱えた。


(早く終われ、早く終われ、早く終われ)


 いつもの癇癪だ。


 ソルムはギルバートの気が済むのを待ち、降って来る痛みに耐え続ける。そうすればいつかは疲れて止めてくれるはずだ。しかし体のあらゆるところが軋んで痛む。そういえばもうずっと、傷を治療してもらっていない。


(痛い、苦しい、もう止めてくれ……)


 ソルムが気を失いかけたその時、声がした。



「――何をなされているのですか?」



 リンと鈴が鳴ったような声。

 その瞬間、ピタリと暴力が止んだ。


 何ごとかと、ソルムは瞑っていた瞼をゆっくりと開く。すると、霞んだ彼の視界に一人の女性の姿が飛び込んできた。ソルムは思わず目を見開く。


(光っている……?)


 彼女の姿が暗闇にぼうっと浮かび上がって見える。まるで淡く発光しているかのように。だが実際に光っているわけではなく、夕暮れ時の中真っ白いドレスを着ているためそう見えるのだ。しかしソルムは彼女から目を離すことができなかった。


 エルフが紡いだ糸のような、しなやかな銀髪。幻惑的な菫色の瞳。肌は陶器で出来ているように滑らかで、人形の様に整った顔立ちをしている。そんな美少女が淡く光っているものだから、ソルムは幻覚を見ているのだろうかと自分を疑った。


(天使? いや現世に迷い込んだ銀妖精か)


 ソルムはぼうっとしながら彼女の美しさに魅入る。

 

「誰だ貴様はっ、なぜここに居る?」


 精霊を虐待していた場面を見られたギルバートは、声色に焦りを滲ませた。この薔薇園は庭園の中でも奥まった場所にある。どうやって自分を探し当てたのかと彼が思案するうち、名を問われた彼女が口を開いた。


「テーレの王太子殿下におかれましてはご機嫌麗しゅう。私はミスティア・レッドフィールドと申す者、どうぞよしなに。……それで、何をなされておられるのです?」


「ミ、ミスティア・レッドフィールド嬢!? は、ハハ……舞踏会の主役である貴女がなぜこちらへ? 夜の風は冷たい、私が会場まで送って差し上げましょう」


 話を逸らしたギルバートがぎこちなく笑う。主役という単語にソルムの眉がピクリと動いた。どうやら彼女は幻覚ではなく、実体を持つ人間だったようだ。

 

(そうか、彼女が守護水晶を復活させた『救国の英雄』なのか)


 そう、今夜開かれる大舞踏会の目的は『救国の英雄』ミスティア・レッドフィールド嬢のお披露目。守護水晶を復活させ、王都アステリアへ平和をもたらした彼女の功績は偉大である。そのため現在、様々な国の重役が王都アステリアを訪れていた。


 どの国も魔物の対策には頭を抱えている。しかしアステリアは守護水晶と大精霊に守られその平和は盤石だ。他国は羨ましいと思いつつも、どうにか恩恵に与れないかとゴマをすっているのである。


 そしてテーレの王太子ギルバートもその一人。『アステリアとの親交を深めよ』という国王の命を果たすため、どうにかして彼女に取り入る必要があった。


 だがこんな場面を見られては、彼のもくろみも台無しだ。ギルバートが目に見えてうろたえる。よりによって救国の英雄がこんな場所へ来るとは思ってもみなかったのだ。


「話を逸らさないでください。彼は精霊ですね? なぜこのような仕打ちを?」


「いえいえ誤解です! この者が粗相をしたゆえ折檻していたのでございます。従僕のくせに主に盾突くとは、当然の報いですよ」


「従、僕……?」


 ミスティアの眉間にしわが寄った。慌てたギルバートがミスティアへと近寄ろうとする。すると、行く手を阻むように彼の目の前へ金の粒子が舞いだした。


「な、なんだこれはっ!?」


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