30 羽ばたき
「さっきの兵の一人、スキアを見つめていましたよね」
スキアはハッと息を呑んだ。
(てっきり、泣いているのではと思っていたが……)
だが顔を上げた少女は、涙を流すどころかすっきりと晴れた表情を浮かべている。戸惑いながらも、スキアはミスティアへ返事をした。
「あ、ああ。もしかしたら一度俺の姿を見たことが有った者なのかもしれない」
スキアは正直にミスティアへ打ち明ける。するとミスティアは少し考えた後、あっけらかんとこう言った。
「だったら守護水晶、ちゃっちゃと直しに行きませんか?」
「………………え」
聞き間違いだろうか。スキアは口をぽかんと開けてミスティアを見つめた。先ほどの暗い雰囲気が嘘のようにミスティアが微笑む。スキアは思った。
――彼女は、こんなにも強かな少女だっただろうか?
「正直、先ほどの騒動は堪えました。叔父が両親を事故に見せかけて殺したことも許せない。シシャが復讐のために今まで沈黙を守っていたことも、辛いです。でもそれ以上に私は……今ここに居る貴方を守りたい」
「ミスティア……」
「これだけの衆目にさらされれば、スキアの正体はじき公に広まるでしょう。そうしたら貴方と私は確実に利用されます。であれば、利用するための理由を潰してしまえばいい」
スキアが国から囲われていたのは、アステリアを魔物から守るため。スキアが生まれたときに守護水晶が砕かれてしまい、彼はずっとその責任を取らされてきた。しかしその水晶が修復されれば、彼の義理は無くなる。
「いつかアイリーンの火傷痕を治したことがありましたよね? それでふと思いついたんです。修復は、もしや物体であっても直せるのではと」
「……試したことはない。だがやってみる価値はあるな」
ここでそんなのは無理だ、と口にしないスキアにミスティアは心が軽くなる。
「はい。まあそれだけの事をしたら更につけあがって利用されてしまわれそうですが。人の欲望はキリがないですしね。その時はもう、国外へ逃亡しちゃいましょう!」
口の端を上げて冗談を言うミスティアに、スキアもまた笑みを返す。しかし先ほどの作戦を実行するには、いくつか問題があった。
「でも男爵家の令嬢が国と交渉するなんて、難しいですよね」
「そうかもしれないな、だが……。以前、精霊刀を譲った者につてがあるかもしれない。あれほどの額を出せるのであればただ者ではないはず。学長に尋ねてみてはどうだろう」
「……! スキアって本当に冴えてますね」
なるほど、とミスティアが感心して手を打った。
「でも先生は一体どこにいらっしゃるのか……。ただでさえ今は叔父の騒ぎがありますし」
「ミスティア、人を探すための便利な闇魔法があっただろう?」
そういえば。アイリーンを探すときにベルから闇魔法を習得させてもらったことがあった。やっぱり冴えてるな、とミスティアはスキアへ微笑んだ。
*
闇魔法を発動させメアリーの居所を探ると、学長室へとたどり着いた。
(この騒ぎだからあちこち駆けまわってらっしゃると思ったけれど……。意外ね)
辺りはすでに暗い。昼間は閉じられているドーム状の天窓が、星の光を受け入れるために全て開かれている。月や星の光では心もとないのか、空中に幾つものランプが浮かび辺りを照らしていた。
その幻想的な空間の中、ミスティアはメアリーとベルの姿を見つけた。するとメアリーはロッキングチェアに腰かけたまま、読んでいた本を閉じる。同時に膝の上でまどろんでいたベルが、目を覚まし毛を逆立てながら伸びをした。
「こんばんは、良い夜ね。今夜は貴方が訪ねてくる気がしていたわ」
(あ……。私が訪ねてくるのを予見して、待っていてくださったんだ)
メアリーに感謝しつつ、ミスティアはメアリー達のもとへ近づいた。
「ベルったら寝たふりしちゃって。貴方の事が心配でずっとソワソワしていたのよ」
「メ、メアリー! それは言わない約束でしょ!?」
クスクスと笑うメアリーに、ベルが恥じらってそっぽを向く。そんなベルに、ミスティアは張り詰めていた心がほどけていくような心地がした。悪かったわ、とメアリーが悪戯っぽく笑んでベルの毛を撫でつける。
(ベル様、心配してくださったのね。……本当に、スキアと出会ってから、たくさんの素晴らしい方たちに出会えた……)
「先生、ベル様。本当にありがとうございます。今夜こちらに参ったのは、あるお頼みしたいことがあってのためです」
「ええ、なにかしら」
頼み事と聞いても、メアリーはさして驚いていない様子だ。
「実は……」
ミスティアが口を開きかけると、スキアが前に出でてそれを遮った。
「俺の正体に起因することだ。――光の大精霊スキア。貴方がたなら、すでにご存じではあるだろう。訳あって陛下および宰相殿へ謁見を願いたい。以前精霊刀を譲った者に、頼むことは出来ないだろうか」
スキアがメアリー達に正体を明かすと、メアリーとベルは椅子から腰を上げ丁寧なお辞儀をした。
「アステリアの輝く光、大精霊スキア様。……お隠れになったと存じておりましたが、ご無事でなによりでございます。貴方様でありましたら陛下への謁見に許可など要らぬこととは思いますが……」
「俺ではなく、このミスティア・レッドフィールド嬢の目通りなのだ」
「さようでございましたか。であれば確かに、精霊刀の今の主は公爵家の当主殿です。事情をお伝えすれば取り次いでくださるかと」
「……助かる」
「勿体ないお言葉ですわ。……ミスティア嬢、ご武運を。騒ぎの方はこちらで何とか収めておきますから、心配しないでね」
「先生、何もかも感謝いたします」
メアリーの優しい声色に、ミスティアはなぜだか泣きたくなった。
「ほら」
突然、ベルがミスティアの足元へすり、と身を寄せた。ミスティアはその可愛らしさに目を丸くする。彼女がこんな素振りを見せるのは初めての事だ。
「特別に、撫でられてあげてもいいけど?」
ツンとした声。気恥ずかしそうにしているベルに、ミスティアはますます心をときめかせた。ミスティアはそっと屈み、ベルの美しい艶のある毛並みを丁寧に撫でる。
「ベル様、ありがとうございます。……勇気が湧きました」
「ふ、ふん! こんなことで喜ぶなんてずいぶん簡単なのね」
ツンツンしてはいるが、ベルなりにミスティアを励まそうとしてくれているらしい。ベルの毛並みを十分に堪能した後、ミスティアたちは学長室を後にした。
どちらからともなく、ミスティアとスキアは見つめ合う。
「私たちって、いつも行き当たりばったりですね」
「確かに……だが、今度もうまくいくさ。ミスティア、あなたならきっとできる」
はっきりとそう言われて、ミスティアは背筋がピンと伸びるような心地になった。
スキアはミスティアを信じていた。この道が正しくとも、間違っていても構わなかった。ただミスティアが自分で選び、進む道が最善であると――信じたのだ。
「スキアが信じてくれたから、私も自分を信じることができるようになりました」
(ああ、やはり……)
スキアは、ミスティアの真っ直ぐな透き通る瞳を見つめた。
そして、気が付く。自分が手を引いていたつもりの少女は、すでに巣立っていたのだと。
スキアの耳に、かすかな音が掠めた気がした。一羽の鳥が木の枝を揺らし、大きな翼をしならせ羽ばたいていく音が――。





