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29 仮面は剥がされた

 アリーシャとシシャの瞳がかち合う。

 思えば、彼はアリーシャと契約してからもずっと彼女に冷たかった。


(まさか、復讐するために契約したの……!? お前(シシャ)がそのつもりなら、道連れにしてやる……! 私だけが罰せられるなんて絶対に許せない!)


 もう誰にも精霊を押し付けられないなら、契約破棄するまでだ。

 

 アリーシャは心臓に手を当て、許されない呪文を唱えだした。

 精霊が望む場合の契約破棄は罪に問われないが、主の都合で精霊を消滅させるのは大罪である。大罪――つまり極刑だ。だがそれでもアリーシャは契約破棄を実行することを選んだ。


 シシャはその思惑を察し、フッと笑う。

 そして空へ手をかざし、大切にしまっていた風魔法を大衆へと向かいためらわず実行させた。


「やめろっ! やめろおおおっ!」


 アリーシャが髪を振り乱し叫ぶが、時すでに遅し。パチン! と小さな光が弾けて、それ(・・)は始まった。


『っ、なんで私が魔力をあげなきゃいけないのよ! 自分で何とかして!』


 大広間に割れるような大声が響きわたる。これは、紛れもなくアリーシャの声ではないか。彼女は学園の才媛。いつだって穏やかな笑みを浮かべていた淑女であるはず。誰もがそう信じていたし、アリーシャは完璧な淑女のイメージを作るために途方もない努力をしてきた。周囲から羨望の眼差しを受ける事が、彼女のすべてだったと言ってもいい。


 しかしその偽物の仮面は今、端からペリペリと剥がされていく。


「ああっ、あああああ……っ」


 アリーシャは床に頭を臥し、床に拳を打ち付けた。


『あんた達のせいで苦しんでるのに、なんで私が身を削ってまで助けなきゃいけないのよ!? ……ああ! ひらめいたわ。このままアリエル様が消えて下されば、私の負担がきっと減りますわね』


「ううっ、うううう」


 声が響くと同時に、アリーシャのすすり泣く声が混じる。


『良かったあ。ミスティアが契約は一度きりなんて誓約をつけるから、どうしようかと思っていたのです。肩の荷が降りましたわ』


「……うぅ」


『きゃ、怖いです。――お願いだから、早く消えて?』


「…………」


 音が流れ終わると、アリーシャは床に顔を擦りつけたままピクリとも動かなくなった。シシャの身体は、もう半分まで消えてしまっている。すると彼の目にある人物の姿が飛び込んできた。


(ミスティア……)


 彼が愛したセルビアの娘。全く同じ色の紫水晶アメジストの瞳。その瞳に、シシャはセルビアの懐かしい面影を見た。


(すまなかった、ミスティア。俺は憎しみを忘れて貴方を慈しむべきだった。セルビアの最期の言葉を伝えるべきだった。貴方にとって俺は母を守れなかった、いつも難しい顔をしたつまらない精霊だったろうな。だからせめて、貴方の道を阻む邪魔者を地獄へ送ってあげよう。……ミハエルの死にざまをこの目で見れないのは残念だが)


 シシャは今にも泣き出しそうな顔でミスティアへ笑いかけた。そしてついにその髪の一筋は小さな粒子へと変わり、やがて消えた。


「……誰か、誰かあれ! ここに精霊殺しがいるぞっ!」


 とある令息が叫んだ。その高らかな声を皮切りに、ごうごうとした非難がアリーシャへ投げつけられていく。アリーシャとミハエルは後ろ手を掴まれ、人々の怒号の波に埋もれていった。これから彼らが悲惨な結末をたどることは、誰の目から見ても明らかであった。


「行こう」


 その恐ろしい光景から庇うために、スキアはミスティアの肩を抱く。ミスティアは無言で彼の誘導に従った。2人の姿に気づいていたシャイターンが、ミスティアたちに追いすがろうと手を伸ばす。


 だがそんな彼の肩に、そっと手が置かれた。


「これ以上、彼女を苦しめるのは止めないかシャイターン。……私たちは間違えたんだ」


 静かな声に、シャイターンはカッとなり肩の手を振り払った。


「主が罪人になったんだぞ!? 俺たちは一体どうなる!? ミスティアがあんな力を隠していたなんて知らなかったが、好都合だ。今からでも頼んで再契約してもらうべきだろう!」


「……君は、最期までアリーシャと運命を共にするつもりがないと? あんなに仲睦まじかったのに」


「当り前だっ! 俺は猛火の主シャイターン! この大いなる力で全てを薙ぎ払い、人々に傅かれるための尊い存在っ。俺はこんなことで歴史から去るべき存在ではない!」


 俺が、俺が、俺が。

 力に溺れた瞳に、アリエルは言葉を失った。その姿が、ミスティアへの思いに身を焦がしていた自分の姿に重なる。この手の輩はいくら言い聞かせたって無駄だ。自分自身で間違いに気づくしかない。――もちろん、気づく機会が永久に訪れない場合もある。


「だが聞いたはず。契約譲渡は一度きりで、例外はない。もし今後ミスティアに危害を加えようとするならば、私は君を全力で止める。……いいね?」


 火と水の精霊同士が戦えば、もちろん後者が圧倒的有利である。シャイターンは信じられないと目を見開いた後、力なく床に膝をついた。


「くそっ……なんで、こんなことに」


 失意にうな垂れるシャイターンを見つめながら、アリエルは静かに自分の恋へ別れを告げた。もし過去に戻れるならどんなにいいか。だが全ては遅すぎたのだ。であれば、今の主であるアリーシャと運命を共にし、再び不可視の存在へと変わりゆきたい。


(どうか、君の行く先にいつまでも光があらんことを――)


 そう、祈りながら。





 やがて、騒ぎを聞きつけた10人ほどの衛兵たちが大広間へ到着した。

 ミスティアとスキアは、その衛兵たちと次々にすれ違っていく。すると1人の兵士がスキアを見て足を止めた。よく手入れされた戦鎧。観察すれば細かい傷があちこちに見て取れる。その鎧の傷み方から、彼が長く戦って来たであろうことが読み取れた。明らかにじろじろとスキアを見ていた兵士だが、そのまま言葉を発することはなく隊列へ続いていった。


 スキアは嫌な胸騒ぎがして、目を伏せた。


(このような騒ぎがあれば、注目を浴びるのは必至だな。……あの兵、一度戦場で俺の姿を見ていたのかもしれない。そうであれば、まずいことになった)


 チク、タク……。

 時計の秒針の音が聞こえる。ミスティアの傍に居られる時間はあとどれくらいなのだろう。スキアは彼女に悟られぬよう、静かにいつか来る別れを嘆いた。


 喧騒は遠のき体の熱がじわじわと引いていく。そんな重苦しい空気が流れる中、突然、ミスティアが俯いていた顔をパッと上げた。


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