27 眼差しの先に
(何だか、ものすごく見つめられている気がする……)
ここは学園の大図書館。ミスティアとスキアは心を通わせ合って以来、特にこれといった進展はなく日々を過ごしていた。椅子に座って魔術書を読むミスティアと、それを見守るスキア。ただただ穏やかな時間が流れる。
『愛はね、眼差しに宿るものなのよ』
ふと、ミスティアは懐かしい声を思い出した。
かつて母が恋物語を読み聞かせてくれたある夜。もう一度本を読んで欲しくて、部屋から出て行こうとした母のドレスを握る。すると母は何を思ったか、ミスティアの髪を撫でてこう言ったのだ。
『恋をするとね、自然とその方を見てしまうの。そしてそのうち、その方が居ない時も心で見つめてしまうようになる。愛はね、眼差しに宿るものなのよ。ミスティアにもきっとそんな方が現れるわ』
ふーん、そうなの。
ミスティアはいまいちピンとこなかった。だって誰かの事をずっと見ていたら本だって満足に読めないだろうし、道を歩いていても上の空できっと転んでしまう。幼いミスティアは、恋って不便だなと心で悪態をついた。
でも、そういえばお母様はお父様とよく見つめ合っているなあ。
いつか訪れる恋がそんな風に温かいものであれば、恋も悪くないのかも。
夏の嵐みたいに激しくなくていい、ただ穏やかな。
過去に思いを馳せていたミスティアは、手元の本をパタンと閉じた。そもそもスキアの事ばかり考えてしまって内容が全然入ってこない。ふと顔を上げ、スキアの方へ目を向けた。
「――っ」
目が、合う。
優しく目元を細められて、ミスティアはドキリと胸を高鳴らせた。
(もしかして、ずっと見られてた……?)
「今日はもう終いか?」
「ひゃ、はい」
かんでしまう。顔を赤くして挙動不審なミスティアに、スキアは眉をひそめた。
「様子がおかしいが、体調が悪いのか? そうであれば光魔法で――」
「いえ、すこぶる健康です。お気遣いなく」
「……そうか、なら良いのだが」
しばしの沈黙。すると、スキアがミスティアへ歩み寄った。磨りガラスから差し込む柔らかい陽の光が、彫刻めいた彼の輪郭を浮かび上がらせる。
睫毛が金色にキラキラと反射した。白皙の肌はなめらかで傷一つなく、顔のパーツは完全に左右対称。総てが完璧に美しい。絶世の美丈夫である。
(こんなに綺麗な精霊が私の事を愛してくれているなんて……信じられない)
「あなたに、触れても良いだろうか」
声には緊張が含まれていた。それとわずかな気後れも。この美しい恋人は、どうやら本当にミスティアを愛してくれているらしい。ミスティアは声を出せず、こくんとひとつ頷いて見せた。
するとスキアはパアっと花が咲いたように喜色をあらわにする。
(か、可愛い。綺麗なのに可愛いって……ずるいわ)
彼の、普段はカッチリと嵌められている籠手が金の粒子を纏い霧散した。
スキアの長い指が、ミスティアの頬にゆっくりと触れる。
「夢みたいだ」
頬を染めながらそう呟くスキアに、ミスティアの心臓がドクドクと音を立てた。彼女は心が蕩けて思わず、すり、とスキアの掌に頬を寄せてしまう。
スキアは固まった。
「――あなた、は。狡い。ああ、可笑しくなりそうだ。我慢できなくなる」
三度目の口づけがミスティアへ落される。
「愛しいあなたに触れることが出来て、見つめてもらうことが出来て、あまつさえ愛を賜ることが出来るなんて。こんなに幸せなことがあってもいいのだろうか」
どろどろに煮詰めた糖蜜のような眼差し。ミスティアはスキアの甘すぎる言葉に視線を彷徨わせた。同じ事を彼女も思ったが、到底口に出すことは出来ない。
(心臓がもたないのだけれど)
固まっているが内心激しくあわてふためいているミスティアに、スキアがぷっと噴き出した。ミスティアはきょとんと彼を見返す。
「考えていることがずいぶん表情に出るようになったな」
「へ……顔に出ていましたか?」
恥ずかしくてミスティアは頬に手を当てた。そんな幼子のような可愛い仕草に、スキアは再び胸を打たれる。
(可愛らしいと言えば、ミスティアはまた照れてしまうだろうか)
愛しい思い人を困らせまいと、スキアは言葉を飲み込んだ。彼にとってミスティアは平和そのものだ。忌むべき戦場の醜さとはかけ離れた存在。
(あなたを永遠にお守りしたい。たとえ何があっても)
絶対にミスティアを傷つけたくない。かつて自分が身を置いていた残酷な世界には、彼女を関わらせてはいけない。そんな強い思いがスキアを支配した。
だが、顕現し続けていればいつかは彼の正体は露見してしまうだろう。光の大精霊だと指をさされるのは時間の問題だった。しかしこの穏やかな時を今しばらく享受したい。スキアの心に切なさがいっぱいに広がる。
(あなたとの幸せなときは、いつまで続いてくれるのだろうな……)





