25 裏切り
「ハアッ……! ハアッ……! くそっ」
早く、早く主の下へ向かわなければ。
アリエルは足を引きずりつつ、やっとのことでアリーシャが居る部屋へとたどり着いた。ノックをする暇はなく、ガチャリと大きな音を立てながら乱暴に扉を開く。アリエルはたどり着いた安心で体から力が抜け、そのまま床へと倒れ込んでしまった。
ドサリという鈍い音に、部屋の主は大きく肩を揺らした。
「キャッ、何!?」
「アリーシャ……助けてくれ」
「ア、アリエル様!?」
普通ではない彼女の精霊の様子に、ベッドで寝ころんでいたアリーシャが駆け寄る。顔を青ざめさせ床に臥す彼を見て、アリーシャは思わず口元を抑えた。
――右腕がない。アリーシャはアリエルの腕に手を添える。
「これはどうされたのです? 待っていてください、いまお医者様を――」
「精霊に医者は不要だ。それより、君の魔力を私に分けてくれないか……そうすれば、右腕は元に戻る」
「えっ」
アリエルの言葉を聞き、アリーシャは肩をこわばらせた。彼女は最近、謎の体調不良に悩まされている。原因を探ろうと医者に診てもらったところ、なんと診断名は『魔力の枯渇』。そのアリーシャに、彼女の精霊は『魔力を分けてくれ』と言う。わかりやすくアリーシャは顔を曇らせた。
「あのう、他の方法ってあったりしませんか?」
「……?」
息も絶え絶えなアリエルは、主の言葉を一瞬理解することが出来なかった。
「どういうことだい……? 他に方法はない。早く、君の魔力を――」
「っ、なんで私が魔力をあげなきゃいけないのよ! 自分で何とかして!」
突然豹変したアリーシャに、アリエルは目を見開いた。いま、彼女は何と言っただろう。――精霊契約は聖なる契りだ。契約した以上、主は精霊を慈しんでしかるべきである。アリエルは当たり前にそう考えてきた。そうだ、ミスティアだって、身を削って自分に尽くしてくれてきた。だからアリーシャが自分に傅くのは当然のことなのである。――なのに。
「どういうつもりだい……? 君は主としての責務を放棄すると?」
「あんた達のせいで苦しんでるのに、なんで私が身を削ってまで助けなきゃいけないのよ!? ……ああ! ひらめいたわ。このままアリエル様が消えて下されば、私の負担がきっと減りますわね」
赤い唇を歪ませて、アリーシャがにっこりと笑う。
「……っ!?」
「良かったあ。ミスティアが契約は『一度きり』なんて誓約をつけるから、どうしようかと思っていたのです。肩の荷が降りましたわ」
目の前の女は、一体何を言っている?
アリエルはカタカタと身を震わせた。理解したくない、したくないが――。彼が主と仰いでいるアリーシャは、アリエルを見殺しにしようとしている。それどころか、彼の来る死を喜んでさえいないか。
悔しくて、アリエルは斬られていない方の腕で拳を握る。
「貴様……! 自分の言っていることが分かっているのか!?」
「きゃ、怖いです。――お願いだから、早く消えて?」
可愛らしく小首を傾げるアリーシャ。それを見て、アリエルは背筋が凍り付いた。
(この、女は)
罪悪感を全く感じさせない振る舞いに、アリエルは押し黙る。そして自らの消滅を覚悟した。薄れゆく景色の中、脳裏に浮かぶのはただひとり。薄い菫色の愛しい瞳。あの眼差しだけが、彼を満たしてくれた。
(ミスティア――すまなかった)
その時、突然強い風が吹いた。アリーシャとアリエルは驚いて身構える。すると2人だけのはずの部屋に、ある者が現れた。
「シ、シシャ様!?」
「……やっと本性を現してくれて嬉しいぞ、我が主殿。風魔法で今のやり取りの声を保存させていただいた」
「なっ」
アリーシャの顔からさっと血色が失せる。正に形勢逆転という事態に、アリエルはほっと息をついた。虫の息の彼を見下げてシシャが再び口を開く。
「この魔力回復薬を飲んで彼を治してやれ」
そう言うと、シシャは懐から小瓶を取り出し、アリーシャの方へと放った。しかし受け取られなかった小瓶が、ゴトリと音を立て地に落ちる。足元に転がる小瓶を横目に、アリーシャはシシャを睨みつけた。
「お断りするわ。本当に回復薬かどうかわからないですもの」
「……言っておくが貴方に選択肢はない。やらなければ先ほどの会話を学長へ報告させていただく。しかれば速やかに貴方は拘束され、精霊を消滅させようとした罪で投獄されるだろう。故意の精霊殺しは死罪だが、それでも宜しいか?」
淡々と事務口調で話すシシャに、アリーシャは怒りで顔を赤くさせる。
「貴方……! それが主に対する態度!? こんな得体の知れないものを飲むなんて絶対に嫌よ!」
「安心してほしい、毒ではない。貴方が死ねば困るのは精霊である俺たちだからな。少し考えれば分かる事……時間がない。飲まないと言うのであれば、残念ながらこの件を告発させていただく」
「ま、待って!」
シシャが踵を返すそぶりを見せると、アリーシャはその場に膝をついた。シシャが振り返ると、そこには顔面蒼白の主の姿。しかし彼の瞳には一切の慈悲がない。
アリーシャは恨みがましい視線をシシャに送りつつ、床に転がっているポーションをおもむろに拾い上げた。蓋を開け、一瞬ためらうが瓶の中身を一気に煽る。
彼女は生きた心地がしなかった。だがしばらくすると体にある変化がおきたことに気づく。
「体が軽い……本当に回復薬だったのね。折角体調が良くなったのに魔力を使わないといけないなんて……。ねえ、アリエル様を治したらさっきの魔法は消してくれるんでしょう?」
「先ほども言ったが貴方に交渉できる余地はない。早くしてくれ」
彼女の媚びへつらう声色に、シシャは顔色一つ変えない。アリーシャは小さく舌打ちして、アリエルの腕に手を添えた。そして先ほど回復した魔力を彼へ送り込む。それは彼女にとって本意ではない行いではあったが仕方ない。
するとどこからともなく水が現れ、アリエルの腕の形をかたどった。更に魔力が送り込まれれば、あっという間にアリエルの腕が元に戻っていく。顔色も血色を取りもどし、なんとか消滅は免れたようだった。
「はあ、はあ……これでいいんでしょう」
「ああご苦労様。――さて我が主、いち段落したところでだが。今から貴方にはあることに協力していただきたい」
その言葉を聞いたアリーシャが、びくりと肩を揺らす。
「これ以上、私に一体何をさせるつもり?」
不安げな彼女にシシャは初めて微笑んだ。そして暫くの沈黙の後、ゆっくりと口を開く。
「貴方の父であるミハエル・レッドフィールド卿の断罪だ。……彼が犯した罪を認めさせる。さて貴方の父は、自分の命と娘の命……どちらへ天秤を傾けるかな」





