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24 あなたの全てが愛おしい

「俺は戦いから逃れるためあなたを利用した。虐げられているあなたを助けようともせずに。それなのに、いつしかあなたへ焦がれ俺だけを愛して欲しいと願ってしまった」


 学園の長い廊下に、スキアの悲し気な声が響き渡る。


 その声を聞きながら、ミスティアはひとり胸を撫で下ろしていた。


(正直……拍子抜けした。スキアが大精霊様だというのは薄々気づいていたし。契約破棄をお願いされるんじゃないかと心配したけれど……)


 ミスティアは、自分を見下ろす美しいコバルトブルーの瞳をじっと見つめた。水晶から生まれたと言われ、彼女はしみじみ納得してしまう。どこをとっても完璧に美しい彼は正に鉱物のよう。


(それにしても、守護水晶の破壊はスキアのせいじゃないのに。ずっと戦わされてきたなんて酷い話だわ)


「甘い夢だった。幕引きだな……愛している」


 全てを諦めた声色。スキアはそう言うと、ミスティアの白い頬に手を添えぐっと体を近づけた。スキアの整った唇が、彼女のそれに重なりそうになる。


(あ、口づけされる――)


 ミスティアはぎゅっと目を瞑る。だが唇が重なりそうになった寸前、スキアの動きがピタリと止まった。おそるおそる目を開くと、苦悩に満ちたスキアの瞳が目に入った。このように悩ましい視線を向けられたら、鈍いミスティアでも察してしまう。


(愛というのは主人へ向ける愛ではなく……)


 ミスティアはくらくらした。


 きっと今自分は、耳まで真っ赤だ。愛を告げられて心がふわふわとおぼつかない。ミスティアの心は浮き立っていたが、反対にスキアは悲し気に顔をゆがめていた。乱暴に唇を奪おうとした張本人なのに、まるで被害者のようである。


(スキアに泣いて欲しくないな。できればこの先ずっと)


 そう思ったらすとんと何かが腑に落ちた。ミスティアは、やっとのことで喉から声を絞り出す。


「貴方が何を考えているか、わかってしまいました」


 呟いて、ミスティアは泣きそうな表情を浮かべるスキアへ、そっと唇を重ねた。


 彼の唇は日陰の岩肌に触れたように冷たかった。やっぱり水晶から生まれたからなのかしら、と頭の片隅で思いながらミスティアは微笑む。

 思い人から口づけを送られたスキアは、目を見開いたまま固まってしまっている。ミスティアは言葉を続けた。


「私に正体を明かせば、このままで居られなくなる――。でも後ろ暗い気持ちでいるのに耐えられなかった。だから最後に口づけして、いい思い出だけ残して、もし契約破棄を言い渡されたら甘んじて受け入れよう……とかでしょうか。出来なかったようですけれど」


「っ」


 スキアの肩が揺れる。

 本当に、精霊と言うものは勝手だなとミスティアは心の中で毒づいた。真っすぐで、激しく、しかし何よりも貴い。


 ――ゆえに愛さずにはいられないのだ。


「私がスキアを愛しているとは、少しも考えなかったのですか?」


 こてん、とミスティアが首を傾げる。

 しばしの沈黙。やがて話の内容を理解したスキアの顔が、ぼぼぼ、と真っ赤に染まっていった。


「な…………あなたが、俺を、愛し……!?」


「――はい、愛しています」


 臆病な自分から信じられないほど素直な言葉が出る。

 

 あの星の見えない夜に、彼がミスティアを死の淵から救ってくれた時から或いは――惹かれていたのかもしれない。


 精霊達に裏切られ不安を抱える彼女に、スキアはいつだって優しかった。主従というには甘く、婚約者というには気安くない――。そんな距離感が、心地よくて。

 スキアの愛が重すぎる部類であるのは分かっていたが、ミスティアはそれを受け入れた。


 信じられないとスキアが口をぱくぱくとさせる。初めて見る彼の素振りに、ミスティアは思わずくすりと息を漏らしてしまう。男性に対して失礼だが、その様子はなんとも可愛らしく映った。


「だがっ、あなたが俺に笑いかけるのは、最初にそう約束したからだと……。もしや律儀なあなたのことだ。俺を愛していると言うのも、俺に優しくするためにではないのか? というかこれは都合のいい夢なのでは」


 手で顔を覆い、ぶつぶつと何かを呟き始めるスキア。


(思ったよりも疑り深い!)


 どうやら彼は目の前の現実を受け入れられないようだった。

 見かねたミスティアは頭を抱える彼に、そっと耳打ちする。


「あの、スキア。これは現実です。それにちゃんと貴方の事を愛しています」


「……っ」


 甘い耳打ちの破壊力に、スキアは勢い良く顔を上げた。見つめ合う二人ともが真っ赤に頬を染めていて、なんとも言えない空気が流れる。


「すまない、もう一度言ってくれないか」


「これは現実です」

 

 この期に及んで鈍い。


「……その後だ」


「スキアを、愛しています」


 ミスティアがそう言うと、スキアはぎゅっと彼女を抱きしめた。突然の事にミスティアは驚くが、やがてそうっと彼の背に自らの手を回した。銀鎧が当たってひんやりと頬の熱を奪う。


「ミスティア。俺もあなたを愛している……おそらくあなたが想像しているよりもずっと深く」


「嬉しいです」


「分かっていないな。俺はあなたのためなら文字通り何でもする男だ。そして本当は恐ろしく嫉妬深く醜い。かつての舞踏会だって、あなたに触れた男の指先を切り落としたかったくらいだ」


「それは、止めてほしいです。でも……そういう所も含めて、愛おしいと思っていますよ」


 体が離れ、ミスティアの細い両腕にスキアの大きな手が添えられた。

 

(またその目……)


 まるでこの世で一番自分が尊い存在だと、錯覚させられそうになる視線。その温かい視線が、かつての虐げられていたミスティアを抱きしめた。


 寒い部屋で震えながら、死にかけていた少女の白い吐息ごと。


「俺もあなたの全てが愛おしい」


 ミスティアが彼へ返事をする前に、二人の唇が重なった。

 壊れ物を扱うように触れられて、ミスティアは泣きそうになる。幸せすぎて悲しいなんてとても贅沢だな、と内心独り言ちながら。


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