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22 九月の遠雷

「スキア、貴方に聞きたいことがあります」


 ミスティアとスキアは、学園の長い廊下を歩いていた。不思議と誰ともすれ違わない。まるで、きちんと話し合いなさいと建物がふたりを隔絶しているようだった。スキアはミスティアに声をかけられて、ピタリと足を止める。そして振り返った。スキアはなんともばつが悪そうな表情を浮かべている。やりすぎてしまったと反省しているのだろう。


(悲しそうな顔……でも)


 ミスティアは心を決めた。薄々と感じていたことを、今度は逃げずに打ち明けようと。


「貴方は、普通の精霊ではありませんね? 教授は精霊の位によって魔法の威力が上がると仰られていました。シャイターン達との差は歴然でしたが……あまりにも差が大きすぎる。私の魔力量よりもきっと遥かに。貴方は、もしかして――」


「その先は俺から言わせていただきたい」


 スキアは両手でミスティアの手をぎゅっと握った。コバルトブルーの瞳が、悲しげに揺らぐ。言いづらいことを言わせてしまう。けれどミスティアは知りたかった。もう知らないふりをしたままで居られなかったのだ。スキアは彼女にとって、それほど大きな存在になっていた。そして同時に危ういとも。


「あなたの予想通り、俺はかつてこの国で『大精霊』と呼ばれるものだった」


「……!」


 大精霊。


 王都アステリアとその周辺を守護していた大いなる精霊のことだ。かの存在が居たことで、この国は魔物から守られていた。現在ではその役割を冒険者が担っている。しかしレッドフィールド領と同様に、冒険者への報酬はアステリアの財政を圧迫している。つまり、スキアは喉から手が出るほど欲されている存在だろう。彼はミスティアと呑気に学園に居るべき存在ではないのだ。


 スキアの表情に暗い影が差す。ミスティアは不安で心がざわめいた。もっと聞きたい、聞きたくない。 


「……俺はあなたを利用していた」


 美しい唇から発せられた鋭い言葉が、ミスティアの心に深く突き刺さる。なぜこの美しく完璧な精霊が、彼女のような未熟な小娘に今まで優しくしてくれていたのだろうか。ミスティアは苦しくて、心臓をきつく握られた心地がした。


 また裏切られた?


 ショックで、全てが黒く塗りつぶされる感覚が彼女を襲う。


「どういう、ことでしょうか」


 ミスティアの唇がわなわなと震える。それを察してか、スキアが握っている手に力が込められた。彼女はかつて精霊に裏切られた事を思い出す。軽蔑の眼差し、心無い言葉。心から愛しているのに報われない気持ちを。


 しかしなんとも腑に落ちた。彼ほどの精霊がミスティアに尽くしてくれたのには、それ相応の理由があったのだ。


「今からは話すことは、あまり知ってほしくはないことだ。だがあなたが知りたいのなら……話すべきだな」


 金色の長い睫毛が伏せられる。そうして、スキアはゆっくりと語り始めた。


 彼の、理由かこを。







 なにか良くないものが燃えている臭い。湿気と、泥に溺れた草の臭いがする。戦場という場所はいつだって臭い。スキアは、一振りの剣を地面に挿し剣を抱え込むように座っていた。


(生まれたときから戦っている気がするな)


 スキアと言う精霊は、九月の嵐の日に落雷が水晶へ落ちた時に生まれた。


 キラキラと水晶が弾けて、そのとてつもないエネルギーが彼をかたどったのだ。本来精霊はそこらを漂っている不可視の存在だ。それを精霊使いが召喚し、魔力を与えることで初めて容が作られる。しかし彼は、精霊使いを必要としないほどの魔力を自らに秘めていた。


 主が居ずとも、自らの容を作り自由に魔法を使うことが出来たのだ。


 ――落雷が、王都を守護していた特別な水晶を砕いたから。その稀な現象から、彼は生まれながらにして大精霊としての器を持っていた。


 膨大な魔力を持ったスキアの存在は、すぐに王都の魔法使いに察知された。魔力量を抑える術など彼に知る由もない。そして彼は城へ連れていかれ――彼の地獄は始まった。


 人間はスキアに残酷なほど冷たかった。


 守護水晶の破壊により、水晶が防いでいた魔物がそこらをのさばるようになってしまったからだ。勿論スキアが望んでわざとしたことではない。しかし人間側から見ればそうとはいかなかった。


 お前が壊したのだから、お前が責任を取るべきだ。


 そんな人間の勝手な理屈で彼は祭り上げられ――。

 精霊だというのに剣を握らされ、幾日も修練を積まされた。精霊は怪我をしても魔力があれば修復される。故にスキアは休むことなく戦い続けた。


 スキアに選択肢はなかった。


 前線に立ち自らも戦い、兵を鼓舞し、光魔法で彼らを癒す。もがれた兵の手足を修復魔法リカバリーで元通りに戻す。『精霊様万歳!』と持てはやされる。それが彼にとっての普通となった。


 そして応じ続けた彼はいつしか、人とその領土の守護者、王都アステリアの大精霊となった。


(魔物と言うやつは一体どこから湧いて出てくるんだ? 殺めても殺めてもキリがない)


 スキアはひどく疲れていた。


 大精霊に用意された天幕は広い。だが、スキアは端っこの木箱に座り、ただ剣にもたれかかり地面を眺めている。怠慢なのかもしれないが、ここに彼を咎める者は居ない。口うるさい連中は、王都の豪華な部屋でワインを嗜んでいるだろう。


 今回の遠征は大規模だ。王都周辺に大量発生している『猟犬(ハウンド)』と呼ばれる、厄介な魔物の討伐である。猟犬は、名の通り犬のような魔物で、黒い肢体に緑の目をしている。


 この猟犬の厄介な所は、『質より量』で、放っておけばとんでもない速さで増殖する。そして、魔物の心臓である『核』が疫病をまき散らす。ゆえに死体を埋めれば土地は死に、水は汚染される。人々にも蔓延するので、死体を一々焼かねばならないのだ。


 だから、長期の遠征中、スキアはずっとこの『良くないものが燃えている臭い』を嗅がされていた。


(気が滅入る。助けに往った村々は全滅。生き残りが居たと思えば、妻を猟犬に突き出し襲われている間に逃げる夫……。何故だ? 大切なものを裏切って生きていても、人間は平気なのか?)


 理解が出来ない。それ以外にも、とても口では言えないようなおぞましい光景も目にしてきた。役目を放棄して逃げ出そうとした部下も、処刑しなければならなかった。逃げた理由が死ぬ前に娘に会いたいという理由であっても。それが人間の決めた軍律ゆえに。


 彼が守るべき人々は、薄汚れ、裏切り、罵り合っている。


(俺は何のために戦っている? ……わからない、疲れた。溶けて、消えてしまいたい)


 生まれてからというもの安息はない。スキアは心の底から消えてなくなりたいと思った。その時、眩い光が彼を包みだした。驚いたスキアは、木箱から立ち上がる。その拍子に、剣が床に投げ出された。


「体が透けている……? なんだ、これは。――まさか」


 この現象に、彼は覚えがあった。本で読んだことがあったのだ。だが、生涯あり得ない事だと捨て置いていた。確信したスキアは、急いで床に落ちている剣を鞘に収める。持っていかなければ。


「俺が、召喚されるとは」


 精霊は自分以上の魔力を持つ、あるいはその器がある者に召喚される。故に、『大精霊』である彼は自分以上の者は居ないだろうと、自惚れていた。






 瞼越しに、あたたかい陽の光を感じる。


 ゆっくりと目を開くと、そこには一人の少女が居た。


 細い銀の髪。色を付けた砂糖菓子に似た菫色の瞳は、ぼんやりとしている。細い体躯、ボロの布切れを纏い、枯れ枝が人間に化けたようにひどく頼りない。指先はささくれている。頬には煤が付いていた。スキアは周囲を見渡す。緑の壁紙、所々ひび割れた床。簡素なベッドと窓際に置かれた棚。部屋にはそれだけが置かれていた。


(まさか……彼女が俺の主? 随分みすぼらしい娘だ。ここの侍女だろうか)


 目の前にいるが、少女とは目が合わない。彼女は既に3体の上位精霊を召喚し、契約して自らの魔力を分け与えていた。狭い部屋に、ぎゅうぎゅうと男三人がひしめいてなんともむさくるしい。


 詰まるところスキアは出遅れたのだ。彼女の魔力を使い姿を見せても良かった。だが、スキアはふと考える。


(このまま姿をくらましておけば――。安息を得られるのでは?)


 スキアは彼女を利用することにした。


 それに3体もの上位精霊と契約しているとなれば、魔力はかつかつのはずだろう。契約できると嘘をついて魔力を奪い、彼女を殺すこともできた。しかし彼は命を奪う事に疲れていたのだ。彼女を殺して何になる? 自由を得たところで、なんの目的もない。であれば彼女の、例えるならば『幽霊ゴースト』となり漂っているのも悪くないだろう。幽霊でいる間は、きっと誰に見つかることもない。


(王都アステリアの大精霊が、どこぞの侍女に召喚されたとなれば名折れだな)


 ふっとスキアが嘲笑する。少女の青白い頬の輪郭が、陽に照らされている。それを彼は冷たい目で見下ろした。


 彼が少女に初めて抱いた印象は、『風が吹けば飛んでいきそうな娘』であった。


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