21 追いすがる手
「そろそろ授業が始まる時間だわ」
「では、ティーセットは授業の後にお持ちします。ミスティア様、本当にありがとうございました」
「こちらこそありがとう。では、失礼するわ」
「はい」
柔らかくミスティアがアイリーンへ微笑む。その笑みを見て、アイリーンは胸がきゅんと高鳴った。
(私の主が美しくて愛らしすぎる……!)
以前も美少女だったが、今は大人の女性へ近づき更に美しさに磨きがかかったと思う。それに中身も純粋で優しく、何より放っておけない魅力があった。滑らかになった肌を撫でつつ、アイリーンは敬愛する主を見送ったのだった。
ミスティアは教室へと向かう。復学後、授業についていけるか心配だった彼女だがそれは杞憂に済んだ。というのも、火・水・風・光・闇の五属性を最上位魔法までマスターしているのだから当然ともいえる。
「――であるからして、精霊使いは貴重な存在です。魔力を持っていても殆ど、精霊と契約できず魔法使いとなります。魔法使いは、杖を媒介し魔法を出力しますが、精霊使いは違う。彼らは精霊が杖代わりなのです。当然、木の枝よりも魔法に長けた精霊が魔法を出力するほうが、威力は何倍にも跳ね上がります」
現在、ミスティアが受けているのは魔法学の授業だ。今まで精霊学一本を勉強してきたミスティアにとって、魔法学は新鮮である。彼女は目をキラキラと輝かさせて、ノートへ書き込んでいく。
「ここにその貴重な精霊使いがちょうど居られますので、少し実験してみましょう」
教授の発言により、生徒たちの視線がミスティアとアリーシャへ一気に集まった。
「さあ、お二方は前へ」
「はい」
ミスティアが応じ席を立つと、スキアが傍に現れた。女子生徒たちの熱い視線が肌に刺さる。
(授業を受けている以上仕方ないけれど、元精霊達の姿はあまり見たくはないわね……)
アリーシャが精霊を呼び出し、ミスティアの元精霊達が教壇に現れた。ミスティアはできるだけ彼らを見ないように顔を背けつつ、教壇へ立つ。アリエルはそんなミスティアへじりじりとした視線を送るが、彼女は気づかないふりをした。
「ではまず私が水の初級魔法を発動させます。――水よ」
教授が呪文を唱えると、掌に拳大ほどの水の玉が現れた。この魔法は攻撃魔法ではなく生活魔法である。水のない所で使っても出現させられる、便利のよい魔法だ。
「そして、この魔法を精霊使いが使えばどうなるか。さあまずはアリーシャ嬢、魔法を唱えてみてください」
「かしこまりました。アリエル様、お願いいたします」
「分かった。水よ」
アリエルが呪文を唱えると、スイカ玉ほどの大きさの水が彼の掌に出現した。生徒たちがおお、と声を出しざわめく。さきほど教授が発現させたものより何倍も大きい。アリーシャとアリエルは誇らしげに微笑みあった。
「わかりましたか? このようにただの初級魔法でも大きな差が生まれます。魔力消費も精霊使いの方が少なく優れています。さあ、次はミスティア嬢」
「はい。ではスキア、お願いします」
「承った。水よ」
スキアが呪文を唱えた瞬間、辺りがズン、と暗くなった。
(え? 間違って闇魔法を使っちゃ――)
バシャーーーーン!
「キャーッ!」
「うわああああああ!」
阿鼻叫喚である。突然教室に現れた大量の水が、生徒たちの頭上に降りかかったのだ。窓は割れ、ドアが乱暴に開き水があふれ出す。何人かの生徒が危うく転びかけたが、スキアがすかさずそれを阻止した。
「…………」
一体何が起こったのか、と水が去った教室は静まり返る。ちなみに守護魔法が継続していたミスティアは1人だけ被害を受けずに済んだ。なんとも気まずい。ちらりと隣を見れば、シャイターンにしがみついて難を逃れたアリーシャが、びっしょりと濡れて顔を真っ青にしていた。
「と、このように精霊使いは、その者の魔力量と精霊の位によって威力が大きく左右されます。その点、魔法使いはどれだけ魔力量があっても威力が変わりません。勉強になりましたね」
授業は続いている様である。
教授のとんがり帽子からぽたりと雫が落ちた。ミスティアは勢いよく腰を折り、深く深く頭を下げた。
「も、申し訳ございません! ただちにすべてを元に戻します!」
ミスティアはスキアに頼み、乾燥魔法を使ってもらった。乾燥魔法は火と水を掛け合わせた複合魔法で、衣類がすぐ乾くたいへん便利な魔法である。あっという間に教室は元の整然さを取り戻した。生徒たちは魔法の暴走には慣れたもので、ミスティアの失敗をあっけらかんと許してくれた。
だが、顔を曇らせる者がただ一人。アリーシャは唇をわなわなと震わせながら、席に戻ろうとするミスティアへ向かって叫んだ。
「酷いです、お姉様! なぜわざと私を辱めたのですか?! 私が悪いのですか!? 私が、お姉様の精霊様をお助けしたから……! しかし見て居られなかったのです! 精霊様にひどい仕打ちをするお姉様を……っ」
ミスティアは突然叫び出したアリーシャを見て固まった。
(と、突然何なの!? 脈絡がなさ過ぎて理解が追い付かない……。ああ、水魔法の威力が私とアリーシャで全然違ったから、それをわざとやったと思われてる? というか後で二人の時に言えばいいのに、なぜ皆の前で言うのかしら……貴族令嬢としての矜持は無いの? はあ……噂の発生源はやっぱりアリーシャなのかしら)
「ごめんなさい。でも貴女を辱めようだなんてつもりはなかったわ。初めてあの呪文を唱えたから、こうなってしまって。皆様に迷惑をかけたのは申し訳ないと思っているわ。でも……私が元精霊達にひどい仕打ちをしたというのは聞き捨てならないわね」
ミスティアが腕を組んでため息を吐く。それは美人が怒ると怖いという姿を体現していた。もとよりミスティアは、可愛らしいよりも冷たく見える美人である。アリーシャは少しだけたじろいだ。そして、主を悪く言われて黙っていられない者がひとり。
「主を役立たずだと言って鞍替えしたのは元精霊殿たちだろう。なぜずっと黙っている? 妹君はそれを唆していた。妹君が言っていることは全くのでたらめなのだが。この学園に来てからただならぬ悪評を流され、我が主はお困りだ」
声は毅然としていて説得力がある。『ミスティア嬢は人さらいを捕らえた正義の方だしねえ』と生徒たちがひそひそ話し始める。軍配はミスティアの方にあがっているようだ。立場を脅かされたアリーシャが、声を張り上げる。
「嘘よ! ねえ、アリエル様! お姉様に虐げられていましたよね!?」
「あ、ああ……」
煮え切らない態度のアリエルに、アリーシャは小さく舌打ちした。
「な――」
アリーシャが再び声を上げようとすると、パン! と手を鳴らす音が響いた。魔法学の教授である。
「はい! 喧嘩はここまでにしてください。まだ授業中ですのでお二人とも席に戻って」
アリーシャはまだ何か言いたげだったが、やがてその口を閉じた。なお食い下がれば、自らの愚かさを露呈するだけだろう。アリーシャは、自分の立ち位置が変化しつつあるのをひりひりと肌に感じた。
(お姉様――ミスティアが私より上だって言うの!? 見た目も、才能もすべて私が上のはずだった! なんであの精霊は私のものにならないの? 譲り受けた3体とも役立たずだし、シャイターン達のせいでとんだ恥をかいたじゃない……っ)
怒りの矛先がゆっくりと精霊達へ向かっていく。そのアリーシャの醜い顔を、隣に居たシシャだけが静かに見つめていた。
*
「ミスティア!」
授業が終わり、自室へ戻ろうとするミスティアとスキアに、背後から声がかかった。振り返ると、透ける水色の髪。アリーシャの精霊アリエルだ。ミスティアはその顔を見ただけで胃の底がムカムカとした。
「二人だけで話せないか?」
アリエルはスキアへちらりと目配せする。ミスティアはため息を吐いた。シシャはともかく、アリエルと二人きりにはなりたくない。彼はすぐにかんしゃくを起こすからだ。
「申し訳ありませんが、貴方様と話すことはございません。これにて失礼します」
一礼し踵を返そうとするミスティアの腕を、アリエルが必死な表情で掴む。強い力で掴んだために、ミスティアが痛みに顔をゆがめた。ミシ、と骨の軋む音がする。
「待ってくれ! 私は君のために身を引いたんだ……! どうかもう一度私と契約を――」
アリエルが追い縋るその時だった。
「――彼女に触るな、薄汚い裏切者」
雪山の狼が低く唸るような声。
声がしたかと思えば、ひゅっと一陣の風が吹いた。するとミスティアとアリエルの距離が離れ、アリエルがその場に尻餅を吐く。スキアが剣を抜いたのだ。
「ぐああっ!」
アリエルは右腕を抱え、うずくまる。何事かとミスティアが振り返りアリエルを見ようとするが、背後からそっと抱きしめられ、手で視界を覆われた。アリエルのうめき声がその場に響き渡る。
スキアはミスティアを掴んだ彼の腕を切り落としたのだ。
正気の沙汰じゃないとアリエルはスキアを睨みつける。
「私の腕が! くそっ、貴様……! いきなり斬りかかるなど、普通ではないぞっ」
「なに……精霊は人間とは違う。主の魔力をたんまりと吸えばすぐ元に戻るさ。お前の主にその余力があればの話だが」
「スキア、一体彼に何を」
ミスティアはスキアの目隠しを手で外そうとするが、硬くて解けない。アリエルに強く掴まれた場所に回復魔法がかけられ、痛みがひいていく。するとスキアが耳元でささやいた。
「……彼の瞳を見てはいけない。あれはあなたに恋い焦がれている男の瞳だ。もしあなたがそれに焼かれてしまえば、俺は彼を消さなければならなくなる」
静かな声。いつもいつも、たまにスキアは過激な冗談を言うことがあった。だが――ミスティアは息を呑む。
(冗談じゃ、ない……?)
つ、と彼女の頬に汗が伝った。一触即発な雰囲気に口の中が乾く。発言を間違えたら、もっと状況がひどくなるだろう。スキアはためらいなく彼を消滅させるかもしれない。ミスティアは不思議に思った。なぜスキアはこんなにも自分への忠義が篤いのだろう。
いや、これは忠義と言えるのか。
「アリーシャの精霊様。もう貴方様は私の精霊ではございません。どうか金輪際、私に一切かかわらないでください。……それでは」
「我が主がこう仰せだ。今後一切、彼女の視界に入るな」
ミスティアとスキアは今度こそ踵を返しその場を離れた。
ミスティアは内心独り言ちた。冷酷な対応だったと思う。彼らの言う冷徹女そのものだ。だが優しい言葉をかけてアリエルを介抱すれば、彼の命が危うい気がした。もしそうなればスキアもただではすまない。精霊殺しはあってはならない罪。
ミスティアは自分の手をきつく握りしめ前を歩くスキアを、不安に揺れる目で見つめ続けたのだった。





