20 笑えない冗談
「ミ、ミスティア様。先日は失礼な態度を取ってしまい申し訳ございませんでした! 助けていただいた者に、私の親縁がおりまして……。変な噂をうのみにしてしまい、恥じ入っております。どうかお許しを……!」
ミスティアの目の前に居るのは、かつて中庭で彼女の悪口を噂していたレベッカ嬢である。
謝っているというのに、スキアが虫けらを見るような目でレベッカを見下ろすので、ミスティアは内心汗をかいた。レベッカといえば、スキアの圧に顔を青ざめさせ今にも卒倒しそうな勢いである。あまりにも可哀そうで、ミスティアは彼女を安心させるために優しく声をかけた。
「いいえ、気にしていませんわ。貴方様に近しい方をお助け出来て良かったです」
ミスティアがそっと微笑むとレベッカは頬を真っ赤に染めた。返事もなく思っていた反応と違い、ミスティアは首をかしげる。なにか間違っていただろうか。
(うん? ちゃんと笑えた気がしたのだけど)
レベッカが固まっていた理由は、ミスティアの微笑に見惚れたからである。しばらくした後ミスティアが戸惑っている雰囲気を察すると、レベッカはやっと口を開いた。
「ハッ……! ええと、本当にお優しいのですね! ありがとうございます」
レベッカの明るい微笑にふたりの中のわだかまりもやがて溶けていった。その後二、三言世間話をしたのち、レベッカは丁寧なカーテシーを披露しその場を去っていった。
(レベッカ嬢に信じてもらえて良かった。アイリーン達を助けてから、学園での厳しい視線が減った気がするわ)
ここは学園の図書館。復学後、ミスティアは授業以外の殆どの時間をここで過ごしていた。
(前よりかは睨まれることは減ったけれど、注目されていることには変わらないのよね……。本当はどんな奴なんだっていう興味の視線というか。目立たないように過ごしたいのだけれど)
「ミスティアは優しいな」
「優しいと言うか……本当に気にしていませんので」
「俺は気になる。あなたを悪く言う者すべての口を縫い付けたいとさえ思うぞ」
「うふふ」
スキアが物騒な冗談を言っている、とミスティアは笑った。しかし例のごとくスキアは至って本気の発言である。
とにかくミスティアが笑ってくれたことに気を良くして、スキアはうっとりと主へ微笑んだ。見慣れていいはずのスキアの美貌ではあるが、その破壊的なきれいさにミスティアは固まった。
(相変わらず、私の精霊が美しすぎる)
その笑みを見て、遠巻きに彼女たちをチラチラ見ていた令嬢たちが、きゃあと声を上げた。姫と聖騎士よ! という声が耳に刺さる。
(ひ、姫と聖騎士ぃ……? なんか図書館も居づらくなってきたわ……。とにかく、本来の目的を達成しないと)
ミスティアは恥ずかしくて蹲りたくなるのを堪えた。
「スキア。書を見せていただけますか」
「ああ、もちろん構わないが。どうした」
「少し確認したい呪文があるのです。――傷跡を完璧に消せる魔法を探していて」
「完璧に、か。……さあ」
金の粒子とともに光の書が現れる。そう、完璧にでないとだめだ。
ミスティアの脳裏に、アイリーンのただれた火傷痕がよみがえる。ミスティアのためにつけられた傷跡だ。あれのせいで、アイリーンはきっとしなくてもいい苦労をしてきたに違いない。せめてもの償いに痕を消してあげたいと考えたのだ。
(修復魔法……あった! 魔力さえあれば切断された腕も元に戻せるのね。すごいけれど、時間が経ったアイリーンの傷跡にも有効かしら?)
「まだ次の授業まで時間があるし、アイリーンの部屋まで行きましょうか」
「ああ。助けになると良いな」
「そうですね」
スキアは、修復魔法を見つけたことにさして驚いていない様子だ。有って当然という態度である。
(前にそんな魔法を見たことがあったとかかしら?)
少し気になったミスティアだったが、話題にするほどでもないとスキアと共に侍女の控室へと足を運んだ。
一行はアイリーンの部屋に着き、ノックをしようとしたところ扉が開く。アイリーンのツンと跳ねたくせ毛が見えた。
「まあミスティア様! どうかされましたか?」
「アイリーン。突然ごめんなさい。良ければ少し時間を貰ってもいい?」
「勿論でございます! さあどうぞお入りください」
アイリーンが敬愛する主の訪問に頬を上気させる。中に入ると紅茶の茶葉のさわやかな香りがした。午後のティータイムに向け、茶葉を選んでいたらしい。簡素なテーブルの上には、三段のティースタンド。つい手に取りたくなりそうな可愛らしい菓子が並べられていた。
「わざわざ用意してくれたのね。こんなに凝らなくてもいいのに」
「ミスティア様に喜んでいただきたくて!」
酷い目に遭いまだ日が経たないというのに、気丈に振る舞うアイリーン。その様子を見て、ミスティアは眉を下げた。
「ありがとう、アイリーン。――あのね、突然で。嫌なことを思い出させてしまうけれど……。その手の痕……どうか私に治させてもらえないかしら」
「……!」
その言葉を聞き、アイリーンは前で組んでいた両手をぎゅっと握った。――助けてもらった上に、この火傷痕も治してくださるの? アイリーンは喜んでいるような、泣き顔のような、曖昧な表情を浮かべた。そしてミスティアも。
「それは、願ってもないお話です。しかしミスティア様、私はこの痕を恨んだことはございませんよ。それだけはどうか覚えていてくださいませ」
「……ごめん、なさい」
あの時なぜ、アイリーンを助けられなかったのだろう――。
ミスティアは何度も何度も後悔してきた。きっとアイリーンは自分を恨んでいるに違いないと、ずっと気がかりだったのだ。だがどうだろう、目の前の彼女はそんなミスティアの心情を読み取って、優しい笑みを浮かべている。
ミスティアの頬につ、と涙が伝った。
「ミスティア」
彼女の涙を見たスキアが、アイリーンより先にミスティアへ寄り添う。見上げた彼もまた泣き出しそうな表情を浮かべていた。ミスティアは首を振る。泣きたいのは自分ではなくアイリーンのはずだ。
「ごめんなさいスキア、大丈夫。アイリーン……傷ついた貴方の時間を取り戻すことはできないけれど、せめてもの償いよ。腕を出してもらえるかしら?」
「わかりました」
アイリーンは袖をたくし上げる。指先から手首まで、ただれて皮膚が硬くなっている。スキアは彼女の火傷痕に手をかざし、慎重に呪文を呟いた。
「修復」
細かい金の粒子が、アイリーンの手を包み込む。この魔法は発動主の魔力量により、仕上がりが左右される。ミスティアはごくりと喉を鳴らした。どうかこの優しい彼女の腕を、元の滑らかな肌にもどしてあげたい。ミスティアは両手をぎゅっときつく握り、目を瞑り祈った。
「ミスティア様、目を開けてください」
ミスティアは、ゆっくりと瞼を開く。そこには涙を流すアイリーンと、火傷痕のなくなったなめらかな肌が見えた。――成功したのだ。
「良かっ、た」
ミスティアは胸を撫で下ろす。すると突然アイリーンがミスティアをぎゅっと抱きしめた。ミスティアは驚きで目を瞬かせる。
「何も、お返しできません……! 救っていただいて希望を下さり、その上に傷跡も治していただけるなんて。この感謝を、ご恩をどうお返しすればよいのか!」
「アイリーン、恩なんて感じなくていいのよ。私がしたくてしたのだから。でも望んで良いのなら、あなたには幸せで笑っていてほしいわ」
その時、ミスティアはハッとした。
以前にも、同じ感情に触れたことが有る。それはミスティアがスキアへ抱いている感情だった。身に余るほどの助けと希望をもらって、感謝であふれる気持ち。それにどうにかして報いたい気持ち。
いざ同じ立場になってみれば、何も要らないから、アイリーンにただ笑っていてほしいと――そう思った。
(スキアも、同じ気持ちだったのかしら……?)
胸の中に何か温かいものが広がる。自然と頬が緩んだ。
(これからも、もっと笑えたらいいな)
するとえぐえぐと泣いていたアイリーンが、突然ミスティアから離れた。眉を吊り上がらせた真剣な表情。彼女の神妙な面持ちに、ミスティアは何事かと目を見開いた。
「ミスティア様。このような火傷痕を完璧に治せる魔法など聞いたことがありませんわ。この間の瞬間移動もです。……くれぐれもお気を付けください。ミスティア様のお力は素晴らしいですが、ゆえに利用しようと企む者がいるかもしれません」
もっともな心配である。だがそんなアイリーンの憂いに、凪ぐ水面へぽたりと雫が落ちるような、静かな声がした。
「……心配いらない、そんな輩が居れば俺がことごとく首を刎ねるから」
アイリーンは返事をした彼の方を見て、そして固まった。ミスティアの肩越しに見える彼女の精霊はとんでもなく美しい。――だが。
彼の完璧な唇の端がゆっくりと弧を描く。
「ひっ」
美人が怒ると怖いと言うが、スキアのそれは背筋が凍る程だった。
――目に、光がない。見てはいけないものを見てしまった気がする。アイリーンはガタガタと震え出した。
「ふふ、スキアったらたまに笑えないような冗談を言うのです。ね、スキア」
ミスティアが振り返ると、スキアはさっと表情を変えた。先ほどの氷のように冷たい目とは真逆の温かい瞳。
(いやいやいやっ……。冗談じゃなかったと思いますけれど、お嬢様!?)
はたから見れば、スキアはミスティアに忠実で優しい完璧な聖騎士だ。だがアイリーンはこの時強く思った。
(この精霊様は、お嬢様にただならぬ思いをいだいていらっしゃるのでは。煮凝りを更に凝縮したような……淡い恋心なんかじゃない。もっとずっと、どろどろとした黒いもの……)
和やかに語り合う二人を見て、アイリーンはごくりと喉を鳴らした。先ほどの剣呑な雰囲気が嘘のよう。
(機嫌を損ねないように気を付けよう。もし殺されでもしたら、お嬢様の傍に居られないもの)
スキアもたいがいだが、自分の命よりミスティアの傍に居られない方が嫌だと思うアイリーンも、たいがいなのであった。





