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18 ベルは考えるのを止めた

黒い霧(ダーク・フォグ)


 ミスティアが呟き、スキアも呪文を唱え手をかざす。すると空中に黒いもやが現れた。彼女の顔ほどの大きさで、ふよふよとその場を漂いだす。ミスティアはホッと息をついた。――どうやらきちんと読めて、魔法も使えるようだ。


「な……!」


 ベルは金色の瞳を丸くさせた。

 黒い霧(ダーク・フォグ)は、闇の初級魔法である。戦っている相手の視界を奪う、単純ながら使い勝手のいい魔法だ。


 これは紛れもない闇魔法。ベルは魔法を使ってはいない。つまり目の前にいるミスティアが書を読んだことになる。本来なら契約者以外が書を見ても、何も読めないはずだ。しかし精霊語を理解していれば話は別である。


「まさかこんなことがあるなんて。驚いた。なるほど、類稀なる才能。でも才能だけじゃこの境地までたどり着けないでしょう。たゆまぬ努力――それも、気が遠くなるほどの」


 ベルは今までただの小娘だと、ミスティアのことを軽んじていた。彼女の生きた年数からすれば当然ともいえる。しかし彼女は自然と、目を丸くするミスティアへと頭を垂れた。それは、心からの尊敬。


「今までの態度をお詫びします」


 ミスティアはひゅっと息を呑んだ。


「ベル様! 顔をお上げください! 貴方様のような気高い精霊が私に頭を下げる必要はございません。敬語も必要ありませんわ。それより、貴重な書を見せていただきありがとうございます。……このまま読み進めてもよろしいでしょうか?」


「……ええ、かまわないわ。これだけの知識を持ちながら謙虚なのね。入れ込むのもわかるわ。私もメアリーのそういう所に惚れ込んだもの」


「わかっていただけるか」


 ベルとスキアが視線を交わし頷きあう。生ぬるい空気が流れるが、ミスティアはベルの許可を得るや否や、本の世界に没入していた。


(早く、早く見つけなきゃ!)


 忙しなく目を動かし、ミスティアの指が凄まじいスピードで頁をめくる。終章まで読み進めるがなかなか目当ての呪文が見つからない。ミスティアは焦るが、ある呪文が目に入る。


(あった! 最上位魔法の頁……。痕跡もなしに思い描くだけで失せ人を探せるの? かなり便利で高度な魔法だわ)


「見つけました」


 ミスティアは焦った表情でスキアを仰ぎ見た。頼れる相棒パートナーは、視線だけで彼女の願いを読み取ってくれる。


「いつでも使える」


「お願いします。ベル様、書をお返しいたします。本当にありがとうございました」


「私が良いって言ったのだから良いのよ。でも次見せてって言うなら貸してあげないかもね。もう少しゆっくり見て、他の魔法を覚えても構わないわよ? その位の時間はあるでしょう。これから役に立つ魔法もあるかもしれないわ」


 精霊の書はおいそれと契約者以外に触れさせるのははばかられるものだ。この機会にと、ベルは良かれと思ってミスティアにそう提案したが、彼女はきょとんとした顔でこう答えた。


「ええと、もう全部、覚え……ました」


 なんともばつが悪そうな様子。ベルの目が点になる。


「……はあっ!? いや……もういいわ。貴方が規格外すぎてもう色々と考えるのは止める。目的が済んだのなら、アイリーン嬢を助けてあげなさい」


 ベルは盛大にため息をつきつつ、ミスティアから書を受け取った。ミスティアは微笑んでベルに一礼する。


「はい。ではスキア、お願いします」


「承った、我が主」


「こう唱えてください――」





 アイリーン・ベンバートンは絶望していた。元々裕福な家ではなかったが、まさか破産してしまうなんて。


「――というわけで、お前にはドーン商会の次男に嫁いでもらう。我が家が助かるにはこれしかないのだ。わかってくれ」


 彼女の父が言っている『助かる』とは、妻と幼い長男を含めた3人のことである。彼らが借金取りから逃げおおせるには、アイリーンを売るでもして資金繰りするしかなかった。すべてを差し押さえられて、もう売れるものは何一つないのだから。


 長男さえ居れば、別の地でベンバートン家を再興できると考えているのであろう。ゆえにトカゲの尻尾を切るように、両親はアイリーンを見捨てた。奴隷落ちして泥水をすする生活を送りたくなかったのである。


「先方は私の火傷痕をご存知なのですか? だとしたらなぜ……厄介者の私を拾い上げるのでしょうか。そんな甘い話、にわかには信じられません」


 アイリーンは自らの手元を見た。指先から手首にかけて、その皮膚は醜くただれている。誰が見ても思わず眉をひそめてしまうだろう。


 だがアイリーンはこの火傷痕を憎んではいない。むしろ勲章とさえ思っていた。


 敬愛する小さなレディのお役に立てたのだから――。火傷痕を見ると、かつての美しい記憶を思い出す。


「もちろん伝えた! それでもお前がいいと言ってくださったんだ、その優しさを蔑ろにするというのか!? 恩知らずな……」


 語気を荒らげたアイリーンの父が、小さく『恩知らずな』と尻すぼみに吐き捨てる。この上ない良い話をつっぱねる、親にとっても恩知らずな娘に映っているのだろう。だが娘を嫁がせることで、金を得る罪悪感もあった。声色からそれが手に取るように伝わってくる。


 頭が悪い。目の前に人参を下げられ、狼の群れに飛び込むウサギだ。ドーン商会は名の通った名家。没落寸前の娘に縁談を持ち掛けるはずがない。


 アイリーンは吐き気がした。これは詐欺に違いない。けれど――。


「わかり、ました。お話をお受けします」


 そう返事をしたのが昨日。満面の笑みを浮かべた父の表情を思い出す。縁談の話し合いがあるからと、一人さびれた宿の個室に呼び出されたかと思えば。突然後ろから羽交い締めにされて――そこからの記憶がない。


(これ、猿轡? よだれが気持ち悪い。頭がガンガンする……。何か薬を盛られたのかも)


 ゴトゴト、と揺れる音と振動。麻袋を被せられてはいるが、馬車で移動しているのがわかる。後ろ手と両足が粗悪な縄で縛られていて、ジクジクと痛い。何も見えないが、たまに女性の呻き声が聞こえてくる。それも複数人。麻袋から腐った芋の匂いがして、アイリーンは吐きそうになった。


(人さらい、ね。なるほど……。ドーン商会の名を騙って、美味しい話を持ちかけたってわけ。追い詰められた者なら飛びつく話だわ)


 アイリーン含むベンバートン家は、まんまと奴隷商人の詐欺師に騙されてしまったのであった。


(馬鹿みたい。あーあ、これで人生終わりか。お父様たちもお金、貰えなかっただろうし。ベンバートン家は本当に終わりね。……そうよね、私みたいに醜い火傷痕がある娘なんか、だれも娶ってくれないわよね。助けてくれる人の当てもない。――これから、どうなるんだろう。死ぬより、もっと辛いことがあるのかな。だとしたら、嫌。まだ、まだ……。やりたいことが、沢山あったわ)


 アイリーンは惨めに涙を流した。止めたいのに止めれなくて、やがてそれはすすり泣きに変わった。その声を聞いて、周囲の女性たちもおいおいと泣き始める。誰もが自分の不幸を呪った。


(汚されて、ただ地獄を生きていくしかないのなら、いっそ)


 アイリーン含む誰しもがそう考えた瞬間、突然馬車が大きく揺れた。


「――!!」


 声を出せず衝撃に目を瞑る。暫くすると、しゃがれた男の声が聞こえた。


「な、なんだお前らは!? 大事な荷を運んでいる途中だぞ! そこをどけ!」


「その大事な荷に用があります。荷台を見せてくださる?」


「なぜ見せなきゃならない、許可があるのか!?」


「二度は言わない。我が主が荷をご所望だ。さっさと開けろ」


 外で何やら揉めている様子だ。2人の男の声と、年若い少女の声。アイリーンはその少女の声に聞き覚えがあった。だがありえないと彼女は首を振る。そんな夢みたいな話があるわけがない。


 しかしこれは好機だ。だれかが荷を改めようとしてくれている。アイリーンは必死に、うぞうぞと芋虫のように動き、縛られた両足を壁側に向けた。そしてその壁を思いっきり両足で蹴った。ドン、ドンという音が響き始める。周囲の女性もそれにならい、音を立て始めた。


「随分騒がしい荷ね? ……説得は無駄なようだから、勝手に検めさせてもらうわ」


「チッ! おいこのアマ――ぐああっ!」


 短い悲鳴。辺りはしんと静まり返る。一体何があったのだろうと、馬車に乗っていた女性たちは不安を抱く。すると麻袋のわずかな隙間から、強い陽の光が差し込んだ。


(温かい)


 アイリーンは、その光を求めて必死に手を伸ばした。


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