17 悪い噂
ミスティアが華々しい勝利を収めた決闘の後、学園でのミスティアの評価は二分された。
純粋に実力を評価する者。そしてもう一つは、アリーシャが流したある噂を信じミスティアを軽蔑する者たちである。
――その噂とは。
「ミスティア嬢の噂を聞きまして? あの美しい光精霊と契約するために、元より契約していた精霊様を捨てたらしいですわ」
「まあなんて酷いお方! とてもお綺麗な方でしたが、中身は残念ですのね。それで契約していた精霊様はどうなりましたの?」
「それが、アリーシャ嬢が哀れに思いお救いしたとか。突然に3体も引き受けるなんて、だから十分に戦えなかったのですよ」
「なんてお優しいの。自らを犠牲にしてまで……。健気ですわね」
「私もそう思います」
といったものである。
ミスティアはため息を吐いた。彼女がいるのは学園の中庭である。沢山の木々が生い茂ったそこは、身を隠すのにもちょうどいい。復学までの1週間の間、天気もいいので昼食を外でとろうと出てみれば、このざまであった。
それにしても、流れている噂はミスティアの状況とは全く逆だ。そして信じているのは殆ど女子生徒ばかり。噂の説得力を増しているのは、ミスティアが契約しているこの美しい精霊にあった。一目見れば心をとろけさせる美貌は、羨望や嫉妬心を生む。
誰もが、彼に傅かれたいと願ってしまうのは必定。つまるところミスティアは、この学園の女子生徒から嫉妬されているのである。そのさなかで彼女に関する悪い噂があれば、飛びついてしまうのが人情というものだろう。
「場所を変えるか」
「いえ、動いたらばれますし。あ、こちらを召し上がりますか? 厨房をお借りしてサンドイッチを作りました」
「ああ、いただこう」
芝生に敷いていた赤いチェックの布にスキアが腰かける。その様がなんだか不釣り合いで、ミスティアはくすりと笑ってしまった。
「よく、笑うようになった」
「……そうかもしれません」
貴方のお陰で。という言葉を飲み込む。和やかな空気が流れるが、またも先ほどの女子生徒たちの声。
「――それで、ミスティア嬢は捨てるだけにも飽き足らず、精霊様を虐待していたらしいのです! 私、彼女が特待生だなんて納得できませんわ」
「学長は一体なにをお考えなのかしら?」
ミスティアがピクリと肩を震わす。虐待なんてしたことは一切ない。どちらかというとされていたのは、彼女の方である。心に暗雲が立ち込めつつあったその時、突然頭上から声がした。
「ちょっとあなたたち! おしゃべりが過ぎるのでなくて? ミスティア嬢はメアリーが正式に決定した特待生よ。全生徒が憧れるべき特待生に、精霊を虐待するような屑を据えるはずないでしょう? それともなあに、何か不満があるなら私がメアリーに言づけるけど」
「ベ、ベル様」
女子生徒たちがベルとミスティアたちに気づき、顔を青ざめさせた。
「い、いいえ。学長がお決めになったことに、不満は、その」
「貴女たしか、フェルカート家のレベッカ嬢よね。そのお隣は――」
「し、失礼します!」
ミスティアの悪い噂を囁いていた女子生徒たちが、ベルに一礼したあとその場を急いで去っていく。フン、とベルが言うと、彼女の長いしっぽがゆらりと揺れた。
ミスティアは頭上を見上げた。そこには、木の枝に寝そべっているベルの姿。
「ベル様」
「ご機嫌よう、お嬢さん。我が主を助けていただいて感謝する」
スキアが恭しく一礼した。それを見てベルは照れたように顔を背ける。
「勘違いしないでよねっ! 貴方を助けた訳じゃないわ。メアリーを悪く言われるのが耐えられなかっただけ!」
お手本のようなツンデレ具合である。すると頭上の木の枝に居たベルが、ミスティアの目の前にストンと降りた。
「……ところで、復学までもう日がないのではなくって? 前にも伝えたけれど、侍女を雇う目処は立ったのかしら」
「もちろん忘れてはおりません。ただ、どうしても雇いたい方がいるのですが……どこに居られるのかわからなくて」
ミスティアは、パチパチと燃える火の音を思い出す。かつてアリーシャが、母の形見であるペンダントを暖炉に放り投げたことがあった。とっさに暖炉に手を入れてペンダントを拾い上げてくれた侍女のことが忘れられない。彼女は今、どこで何をしているのだろうか。
当時は彼女を助けることができなかった。だが今なら。
「アイリーン・ベンバートン嬢という方です」
「ベンバートン? あら、大変」
ベルの瞳孔がキュウと細まり、ヒゲが興奮によって前に広がっていく。ミスティアはただならぬ雰囲気を感じ取り、考え込むベルへたまらず口を開いた。
「ベンバートン家に何かあったのですか?」
「風の噂だけれど、事業に失敗して没落寸前だと聞いたわ。お嬢さんがいたのね。であれば急いだほうがいいわ。没落した家の令嬢の行く末なんて、どれも悲惨だもの」
「そんな……! ベル様、アイリーン嬢が今どこにいらっしゃるかご存知ではないでしょうか!?」
「……知らないわ。調べられるとは思うけど時間がかかるでしょうね。その間にアイリーン嬢がどうなるかは運命に任せるしかない。――それでも良くって?」
運命に任せる、という言葉にミスティアは体中が冷えていくのを感じた。
もしここで二の足を踏んでしまえば、アイリーンに二度と会えないのではないか。そんな悪い予感がして心を決める。思い浮かんだのは厚かましい願いだが、手段を選んではいられない。ミスティアは恐る恐る口を開いた。
「失礼ですが、ベル様は闇の精霊でしょうか?」
「ええ、そうよ。確かに闇の精霊なら失せ人を探し出せる魔法はあるかもね。でも残念なことにメアリーはその魔法を使えないの」
「いいえ、メアリー様に頼るつもりはございません。――ベル様、どうか私に貴方様の精霊の書を読ませていただけないでしょうか? もちろん精霊の書は大切なものです。簡単に他人へ触れさせたくないとは思いますが、それでも……どうか、どうかお願いします」
ミスティアは深く深く頭を下げる。その横で、スキアが何かを考えるよう腕を組んだ。
「なんですって?」
ベルの声がひりつく。すかさずスキアが助け舟を出した。
「なるほど。確かにミスティアなら、闇魔法が使えるかもしれない。……裏技だな」
「一体何の話をしているの? 私の精霊の書を貴方に見せたって意味ないじゃない、契約していないのだから」
この緊急時になにをふざけたことをいっているんだか、とベルが苛立った声を出す。だが、ミスティアとスキアは神妙な面持ちで彼女をただ見つめ返した。どうやらふざけている訳ではないらしい。
「まさか、貴方」
「そのまさかだ。ミスティアは精霊の書が読める」
ベルは絶句した。長い時を生きてきたが、ただの人間が、それも年ゆかない幼い娘が精霊語を読めるだなんて聞いたことがない。だが彼女は、ミスティアの連れているこの見目麗しい精霊がただの精霊ではないと分かっていた。それにしても信じがたい話。
かつ、ベルはメアリーを愛していた。彼女の許可なしに精霊の書を渡すのは、普段の彼女であれば絶対にしない行為だ。しかしこの時ベルは思った。
『こんな小娘に読めるわけがない。でも、もし読めたら?』と。
強い好奇心が彼女をくすぐる。元来ベルは知りたがりな性質だ。奇しくもその驕りが、ベルの心の紐を解いた。
「あらそうなの? じゃあ読んでみせなさい。できるならね」
そう言って、ベルは暗黒の霧を呼び出しそこから書を取り出した。書に結ばれていた紫のリボンがひとりでに解けて、ミスティアの手もとに収まる。
「感謝いたします、ベル様」
ミスティアは申し訳なさで心が苦しくなった。震える手で表紙を開く。
(もし読めなかったらどうしよう)
そんな不安が彼女を襲う。だが今までの努力が、ありとあらゆる研鑽が、ミスティアの指を動かした。
最初の行、一番簡単な闇魔法をなぞる。





