16 新たな特待生
「っ、シャイターン様が戻った今、その分の魔力が使えます! アリエル様、シシャ様。ありったけの魔法で彼を倒してください!」
騎士道精神を捨ててアリーシャが叫んだ。なりふり構ってはいられない。役立たずに膝をつかされるなんてあってはならないのだ。いつものたおやかな演技を忘れ、アリーシャは髪をかき乱す。
(何なのよっ! 一体どういうことよ!? ミスティアは魔法が使えなかったはず。もしかしてこの精霊が特別なの?)
「分かった、必ず君に勝利をもたらそう」
アリエルがアリーシャへ安心させるように笑った。シシャもまた無言で前に歩み出る。
「皆さま、信じております」
まるで魔王に立ち向かう勇者一行。ただし、彼らは最初の村を出発したばかりの未熟な勇者たちだ。陳腐な寸劇を観た後のようにスキアはクスリと鼻を鳴らした。スキアの、金色の睫毛が伏せられる。
「ミスティアに頼り切ってばかりだったお前たちに、俺が負けるはずがない」
スキアの口から発せられた『ミスティア』という名前に、アリエルが眉をひそめた。黒い嫉妬心がぐつぐつと煮えたぎる。
「軽々しく彼女の名を呼ぶなっ! ウォーター!」
「ウィンド」
どちらも水と風の初級魔法。ありったけの魔法とはいったが、アリーシャは初級魔法しか読むことが出来ない。ゆえにアリエルとシシャは、大量の魔力を使い複数の魔法をスキアに向けて放った。それが、今の彼らにできる最大限の攻撃なのだ。シャイターンが簡単に倒されるのを見て、力を出し惜しみするほど愚かではない。
「少し驚いたよ。精霊なのに剣術に優れているなんてね。だが、これだけの連携魔法を受けて立っていられるかな?」
着弾と同時に凄まじい水蒸気が立ち込め、スノードームが霧状に濁る。アリエルはほくそ笑んだ。ミスティアには少し気の毒だったかな、と内心独りごちる。スキアを倒し、ミスティアの力不足を露呈させ、二人の間に亀裂が入れば――。甘い妄想に、彼の心が躍った。
「残念だ」
静かな声が響いた。
アリエルはハッと目を見開く。まさか。アリーシャの魔力を殆ど吸い尽くす程、魔法を浴びせたはずだ。魔法が最近まで使えなかった、未熟なミスティアに防げるはずがない。
「裏切者とはいえ、ミスティアの元精霊がこんなに弱いとは。ああ、主が弱いせいか」
一陣の風が吹き、スノードームに立ち込めていた霧が晴れていく。そこには無傷で立つスキアが居た。これには、無表情を貫いていたシシャも動揺した様子を見せた。
「水牢」
スキアが再び魔法を唱える。するとアリエルの足元からどこからともなく水が現れ、球状に彼を覆った。まるで水の牢に閉じ込められたように身動きが取れない。
(息は出来るが、魔法も使えない! くそ……! 水魔法で私がやられるなんて)
アリエルは水の精霊。ゆえに水の中で呼吸ができるため死ぬことはない。だが、いくら暴れてもスキアの魔法から逃れることは叶わなかった。戦線離脱である。
「風付与」
スキアは剣に指をかざし、刀身をなぞった。激しい嵐を凝縮したような風が、刀身を囲んで速さを増していく。生身の人間があの剣を受けたらと思えば背筋が凍るが、果たして風の精霊であれば。
「さて、試したことはないが……。この魔法を受けた風精霊は、無事でいられるかな?」
暗黒微笑。
(ひええっ……!)
後ろでただスキアの背を眺めているだけのミスティアは内心悲鳴を上げた。さっきから、自分の精霊がやっていることが割とえげつない。それぞれ火、水、風の上位精霊である彼らの矜持を、ズタズタに引き裂いている。自らの属性でない魔法を易々とつかいこなすスキアは、周囲の注目を大きく集めた。
ミスティアは心で汗を流しながら戦いの様子を見守る。するとシシャが前に出て、両手を上げた。
「……る」
彼が、小さく何かを呟く。スキアは眉を上げた。風音を避けるため剣を下に降ろす。
「何か言ったか? 聞こえないぞ」
「降参、する」
しん、と辺りが静まり返った。シシャが降参する――ということは。スノードームを観戦していたメアリーが、にっと口の端を吊り上げた。
「アリーシャ・レッドフィールド嬢、貴女の精霊がこういっているけれど、よろしい?」
呆然としたアリーシャが声をかけられて膝をつく。そして、俯きながらぶつぶつと何かを呟き出した。
「降参、だなんて、ありえない。この私が……」
アリーシャはシシャの背をギッと睨みつけた。拳をぎゅっと握り唇を震わせる。
「……シシャ様! なにゆえ降参だなどと! 私に恥をかかせるおつもりですかっ?」
「力の差は歴然だ。それにもしあの風魔法を受ければ、貴女もただではすまないぞ」
「そんなっ! なら魔法で私をお守りくださればよいではないですか!」
「あれは中級魔法だ。貴女の実力では守護魔法は使えない」
「私に全部押し付けるおつもり? 上位精霊なら、それくらい使えないの!?」
はっきりと『実力不足』だと告げたシシャに、敬語も忘れてアリーシャがいら立ちを見せる。もめ出した両者に、観戦者らが騒めき始めた。メアリーはその様子に肩をすくめる。
それはスキアも同様で、行き場を失くした風魔法をスノードームの天井へと放った。激しい風が結界に打ち付けられ、霧散していく。すると、キラキラと光が舞いだした。
「――ああ確かに、強く振った後は煌めきますものね」
誰ともつかない声。子供の悪戯のような微笑ましい演出に、混乱していた生徒たちが気を抜かれて静まっていく。見事に場を鎮めたスキアに、ミスティアは内心感心した。
(なにもかもが上手というか、人心を得ているというか。スキアには敵わないわ)
「アリーシャ嬢。貴女の精霊に戦う意思がないなら仕方ないわ。それとも、あなたが剣を取って戦う?」
「……」
「沈黙は戦意喪失と受け取るわ。この勝負、ミスティア・レッドフィールド嬢の勝利とします!」
わっと声が上がる。
それは、まぎれもなく勝者を歓迎するもの。ミスティアは目を瞬かせた。今まで耳が腐るような悪口や、罵倒しか聞いてこなかった。こんなに大勢に、ミスティアの勝利を喜ばれたことはない。ゆっくりとスキアが振り向く。そして剣を収め、ミスティアの正面に跪いた。
「あなたの勝利だ」
悲しくないのに、その声を聞いた瞬間ミスティアの目から熱い涙がこぼれた。胸がいっぱいになり、すぐに声が出ない。聖騎士が姫に跪くような様を見て、令嬢たちが羨望のまなざしを向ける。ミスティアはいくらか冷静さを取り戻し、目元を乱暴にぐっとぬぐった。
「全てスキアのおかげです」
ミスティアが細く白い手を差し伸べる。その指先を見て、スキアは顔を上げた。目の前には柔らかく微笑むミスティア。その清らかな笑顔に誘われて、差し伸べられた手を取る。
その日、アステリア王立魔法学園に新たな特待生が誕生した。





