14 いざ舞踏会へ
「これが、私ですか……!?」
小説のような台詞を、まさか自分が言うとは思わなかった。とミスティアは思った。
だが、本当に自分が自分でないみたいなのだ。鏡台の前に立ちながら、ドレスをくるりと翻す。ボサボサだった髪は切り揃えられ、胡桃油で艶めいている。
ガサついていた手指は軟膏を塗られ、丁寧に爪さえもやすりで磨かれた。灰色のつぎはぎなドレスはクローゼットに押し込まれ、新しいドレスに。
そのドレスの美しい事は。淡い菫色のミスティアの瞳に合わせ、薄い藍色のグラデーションの生地。その上には、何層ものチュールが折り重なっていた。そして、所々に真珠が縫い留められている。
元々肌の白いミスティアがそのドレスを纏えば、まるで銀妖精が人の世に迷い込んだのかという風情だった。店主は頬を上気させ、誇らしげにミスティアと同じ鏡に映り込んだ。
「王都で一等美しいご令嬢ですわ。こんなに素晴らしい原石が隠れていたなんて! きっとこのドレスも素晴らしい噂に――ゴホン。早く皆様に披露されたいですわね。その前に、2人きりであの美しい聖騎士様に御披露なさっては? 勿論私共は退散いたしますので」
美しい聖騎士様、はスキアの事を指していた。ミスティアは恥じらって顔を伏せる。肯定するのははばかられた。
「ウォルターズ夫人、ありがとうございます。これで安心して舞踏会で踊れますわ」
「私も嬉しく思っています。さて、こちらは仮のドレスですので、完成品は仕上げに少々お時間を頂きます。完成しましたらお届けしますわ。今着てらっしゃるドレスは差し上げます」
「よろしいのですか?」
「ええ勿論。それでは、ミスティア嬢」
「ウォルターズ夫人」
ミスティアは心を込めて一礼した。店主も礼を返す。ミスティアの部屋は洋服や物でぎゅうぎゅうだったが、彼女たちが去るとあっという間に殺風景な部屋に戻ったのだった。
(夫人には見透かされていた。前は感情なんて絶対悟られなかったのに。なぜかしら? もし、スキアにも伝わっていたらどうしよう)
鏡に不安そうな少女が映っている。前より、不安になる事が増えた。驚きや、喜びも。冬の海を裸足で歩くくらいに心細いのに、それをどこか楽しんでいる自分が居る。
(自由になるって、こんな感覚なのね)
「もう、現れていただいて大丈夫です。スキア」
ミスティアが言うと背後で温かい風が吹いた。彼女はゆっくりと振り返る。そこには、ミスティアの姿を目にして驚きの表情を浮かべるスキアが居た。
彼はうろたえた様子で視線を左右に動かす。ミスティアの視線に気づくと、口を手で覆い顔を逸らした。
「――綺麗、だ」
それ以上言葉が出てこないと言った様子だ。ミスティアは、彼の優しさで世辞を言っているのだろうと一瞬考えた。だが、その卑屈な考えに首を振る。ウォルターズ夫人らが折角着飾ってくれたのだから、素直に喜ぼうと思った。
「ありがとうございます」
スキアの目を見てまっすぐお礼を言うミスティア。それを見て、スキアはふっと息をついた。
「正直、寂しいくらいだ。この姿のあなたを他の者に見られたくないと思ってしまう」
(だから勘違いしそうになるって。こんな気障な台詞、他の女の子にも言うのかしら?)
いつもの、過剰に甘くて優しい彼の物言い。すべてうのみにし続ければ、沼にはまってしまいそうだった。故にミスティアはスキアの言葉を受け流す。
「戦装束が手に入りましたね」
「これを戦装束と。あなたらしいな」
硬い鎧を纏っているわけでもないのになぜか勇気が湧く。
着飾れば、強くなれる気がした。
*
「アリーシャ・レッドフィールド嬢のご入場!」
名を呼ばれたアリーシャが、自信満々の笑顔で舞踏会へと入場する。この日のために仕立てた晴れ着。美しい顔立ちを際立たせる薄化粧。けれど口紅だけは真っ赤に。準備はすべて万端だった。カツ、と大理石を踏む音が鳴り響く。
まあ……とざわめきが上がった。
アリーシャは、紛うことなき美少女。
白皙の肌、海を閉じ込めたような、大きな青い瞳。太陽を思わせる艶やかな金髪。顔のパーツは完璧に整い、誰もがアリーシャの笑みに心を奪われた。
アリーシャは、胸元の赤い薔薇を両手で包み、ふうっと息を吹いた。
すると、薔薇の花びらが舞うとともに、アリーシャの精霊たちが現れる。3体もの上位精霊を一度に顕現させることは、かなりの魔力量を必要とする。
愛らしく美しい演出と共に、自らの力量をアピールしたアリーシャは流石と言えた。
華やかに登場したアリーシャは、一躍その場の主役となる。沢山の殿方たちがアリーシャを囲みダンスへと誘った。彼女は美しく微笑んでいるが、目はギラギラと輝き醜い欲望に満ちている。殿方を値踏みしているのだ。
(魔法学校はレッドフィールド領の芋くさい男たちとは違うわね! こちらは子爵……。チョロそうだけど、やっぱり侯爵以上じゃなきゃ)
アリーシャの美しさに、1人の子爵令息が彼女へ口を開く。
「アリーシャ嬢、お噂はかねがね。なんと3体の上位精霊と契約を交わされたとか! 並大抵の使い手では動くのもままならないはず。我が学園に素晴らしい才女がいらっしゃったこと、大変喜ばしく思います」
「うふふ、ありがとうございます――」
その時であった。
「ミスティア・レッドフィールド嬢のご入場!」
可憐な才女、アリーシャ・レッドフィールド嬢の決闘の相手。誰もが興味を持ち、ミスティアの登場へ視線を向けた。アリーシャは、群衆に囲まれながらほくそ笑む。
(やってきたわね、お姉様。さて、どんなみすぼらしい姿で恥をさらすのかしら?)
金目の物を何も持たずに家を出たことをアリーシャは知っていた。いつものぼろきれを纏うミスティアを想像し、一目見てやろうと群衆の隙間にミスティアを探す。だがアリーシャが目にしたのは、彼女の想像した通りのミスティアではなかった。
「…………!?」
アリーシャは息を飲む。シャンデリアの灯の下、月の粉を被ったような煌めく銀髪。長かった前髪は短く切り揃えられ、彼女の整った顔立ちをさらけ出している。気だるげな菫色の瞳は蠱惑的に伏せられて。
ウォルターズ・テーラー渾身のドレスが、彼女の繊細な美しさを際立たせていた。儚げなのは、ミスティアがすらりと細すぎるためである。
ミスティアが何もない空に手を差し伸べた。思わず、見惚れていた貴族令息がその手を取ろうとする。だが彼女の手を取ったのは彼ではなかった。
さらさらとした金の粒子と共に、スキアが現れる。手を差し伸べた令息はぽかんと口を開けた。そして、スキアは彼に向かって冷たく嗤う。馬鹿にされたというのに、スキアがあまりに美しかったため令息は顔を真っ赤に染め上げた。
黄色い悲鳴が上がる。
目の覚めるような青い外套が翻った。先ほどまではアリーシャの独擅場だったというのに、あっという間に人々の興味はミスティアとスキアに移っていく。
「レッドフィールド家にあんな可憐な令嬢がいらしたなんて! 従えている精霊も麗しいわ」
「噂だと、浮浪者のような変わった令嬢だと聞いたが……。噂は当てにならないな」
「あんな精霊、ご覧になったことあって? なんて美しいの」
アリーシャの耳元で様々な囁きが飛び交う。どれも好意的な言葉ばかりだ。
(は!? はあああああああっ!? 何なのあれは!? 何でミスティアの分際で私より目立っているのよ! 許せない……っ。あのドレスを仕立てられるお金は一体どこで手に入れたっていうの? 盗んだのよ、そうに違いないわ、なんて汚らわしい!)
アリーシャは鬼の形相で、ドレスをぎゅっと握りしめた。そして、何とかして彼女を貶めようと考えをぐるぐる巡らせる。そうだ、いくら着飾ったって、彼女は魔法を使えない。
(せいぜい今を楽しみなさい。決闘で魔法が使えないことがばれたら、みな指をさして笑うわよ)
「アリーシャ、大丈夫か?」
凄まじい表情をしていたアリーシャに、心配したシャイターンが声をかける。アリーシャはハッとして表情を緩めた。その横ではシシャも居て彼女を見つめていた。その視線の冷たさにアリーシャはびくりと肩を震わせてしまう。だがその凍てつく目つきは一瞬で、すぐに視線が逸らされ元のシシャに戻る。
(気のせいだったのかしら?)
気を取り直して、アリーシャはシャイターンを安心させるために微笑んだ。
「問題ありませんわ。少し驚いてしまって」
「ああ、俺も驚いた。あんな顔をしていたんだな、ミスティアは……」
シャイターンは複雑そうな表情を浮かべる。
「よくもまあ堂々としていられるものだ。新しい精霊を引き連れて。当てつけのつもりかな」
突然アリエルが不機嫌な声色で口を開いた。苦虫を嚙み潰したような表情。それを聞いたシシャがため息を吐いた。
「そうやっかむな。もう過ぎたことだろう」
「やっかむだって!? 私は決して……そんなつもりじゃない。ただ」
ただ、身を引いてミスティアを助けたんだ。
という言葉を、アリエルは飲み込んだ。アリーシャが傍に居たからである。だが彼の中では相反する感情がせめぎ合う。身を引けばミスティアに振り向いてもらえると思った。もっと彼女が惨めになると期待していたのだ。
だが、自分が崖から手を離した彼女は、どんどん美しく輝いていく。
「皆さま」
アリーシャが低く、呟いた。
「お姉様をお助けするためにも、決闘には必ず勝利いたしましょう」
「あ、ああ。そうだね」
アリエルが気まずそうに微笑む。ミスティアには、身の程を知ってもらわねばならない。





