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サーの奇妙な体験 48

毎週水曜日、新作投稿少しずれだらごめんなさい。

0時と共に投稿目指します


やっとの思いで井の頭公園に辿り着いたミユ

そこで彼女に待ち受けているのは….…

サー達はこれからどうなっていくのか….…


ミユが井の頭公園の近くまで来た瞬間、突き刺さるような雷鳴が空を裂いた。


以前にも聞いたこの響き

その音が耳に届いた瞬間、胸にやな予感が走る。


「まずい…!」


雷の方角――そこにサーさんがいる、そう確信した。

迷う暇はない。ミユはためらうことなく、全力でその音の方へと駆け出した。

足音が響くたび、心臓の鼓動がさらに速まる。

「サーさんどうか、無事でいて…!」と心の中で祈りながら、彼女はただ走り続けた。




中里は申し訳なさそうな表情を浮かべ、言葉を選びながら静かに口を開いた。


「…もう時間になってしまいました。本当に、心苦しいのですが…これがルールなんです。」


一瞬、彼の瞳に迷いのようなものがよぎる。しかし、すぐにその目は決意を湛えた光を取り戻した。


「でも、どうかご安心ください。ただ時間を少しだけ戻すだけです。それだけです。

雅さんとサーちゃん達が出会う前に戻すだけです。何も失うことはありませんから。」


雷鳴が遠くで再び轟く。中里はその音にわずかに肩を震わせながら、言葉を続けた。


「この雷があと何度か響いたら…全てが終わっています。それだけなんです…本当に。」


彼の声には、規則に従わなければならない者の葛藤と、それでも相手を思いやろうとする優しさが滲んでいた。



サーは涙を流しながら、声を震わせて中里に懇願した。


「…もう少し、時間を下さい。本当に…お願いします…!」


その言葉には、目の前に迫る別れへの恐怖と、これから失うかもしれない大切な記憶への執着が滲み出ていた。


サーの必死の訴えを聞きながら、中里は何も言えず、申し訳なさそうに目を伏せる。それを見た雅が静かにサーの肩を抱き寄せ、優しく囁いた。


「サー、大丈夫。私を信じて。絶対に帰ってくるから。」


雅の声は穏やかで、どこか懐かしい温もりがあった。それでも、サーと恵美の胸に渦巻く不安は拭い去れない。彼女たちは雅の言葉を信じたい一方で、この別れが永遠のものになってしまうかもしれないという恐怖に囚われていた。


雅はサーと恵美を強く抱きしめ、まるでその瞬間だけでも彼女たちの心を安心させようとするかのようだった。


恵美

「…うん、信じるよ………」


そう呟きながら、サーと恵美はそれぞれ雅の肩に顔を埋め、止めどなく流れる涙を堪えられなかった。雅の温もりが今だけのものであるかもしれないと思うと、そのぬくもりを離したくない気持ちが二人の胸を締め付けた。



「やめて~~~! あんた、いったい何やってんのよ~~!」


ミユの鋭い叫び声が雷鳴のように響き渡った。息を切らしながら全速力で駆けつけた彼女の目には、サーたちと中里が向かい合う緊迫した光景が映っていた。その瞬間、ミユの心はただ一つの思いで埋め尽くされた――守らなきゃ。


「待って!」


叫ぶと同時に、ミユは迷うことなくサーたちと中里の間に飛び込んだ。地面を蹴り、土が跳ねるのも構わず、両手を大きく広げて立ちはだかる。彼女の体は震えていたが、その瞳には決意が宿っていた。


「もう、近づかないで! これ以上、もう何もさせない!」


ミユは息を切らしながら叫んだ。自分よりも大きな中里を前にしても一歩も引かない姿は、サーたちを守るという強い意志そのものだった。


サー

「ミユ…… どうして……?」


その背中を見たサーは、ミユの小さな体に宿る勇気と優しさを感じ、胸が締めつけられるような思いにかられた。中里は一瞬目を伏せるが、その表情には複雑な感情が浮かんでいる。


ミユは全身で中里の意図を阻もうとしていた。両腕を広げたその姿は、雨に濡れながらも消えない灯火のように、サーたちの前に揺るぎなく立ちはだかっていた。



中里

「ミユさん? ですよね。もう話は済みました。ミユさんも落ち着いてください。ただ時間を戻すだけです。何も変わらないとお伝えしましたから、安心してください。」


ミユ

「安心? そんなわけあるかっ!」


ミユは息を荒らしながら、中里を睨みつけた。振り返ると、サーの震える肩と涙に濡れた顔が目に飛び込んできた。それを見た瞬間、怒りと悲しみが胸の奥から一気に溢れ出した。


「だったらなんでサーさんが泣いてんのよ! なんでこんなに怯えてんのよ! 何かがあるから、泣いてるんでしょ!」


ミユは一歩中里に詰め寄り、拳を握りしめながら叫んだ。声は震え、涙も滲んでいたが、その目には鋭い光が宿っている。


「だからやめてって言ってんの! お願いだから、もう手を引いてよ! サーさんと雅さんとお母さんを、このままにしてあげてよ!」


必死に訴えるミユの声は雷鳴にかき消されそうになりながらも響き続けた。


中里

「それは……できません。」


中里の声は低く、どこか苦しげだったが、その言葉は揺るぎないものだった。


「ふざけんな!」


ミユは叫びながら、さらに中里の前に一歩踏み出した。自分の小さな体で、どんなに無力に見えても、彼女は全力でサーたちを守ろうとしていた。


「何が『大丈夫』よ! 本当に大丈夫なら、あんたがこんなに悲しそうな顔してるわけないでしょ! サーさんたちに何か起きるって、絶対に分かってるくせに!」


その時雨が降り出して来た

雨に濡れたミユの髪が顔に張り付くのも気にせず、彼女は必死で言葉を投げつけた。その声は、怒りと悲しみ、そしてサーたちへの愛情が入り混じったものだった。



中里

「ミユさん、落ち着いて聞いてください。この時間を戻すことが、全てを正しい形に戻すための最善の方法です。具体的には、あなたたちが雅さんに出会った日――その日に戻します。そこから全てがやり直されるだけです。それ以外は何も変わりません。」


中里の声は静かで穏やかだったが、その言葉には揺るぎない確信が滲んでいた。


ミユ

「出会った日? それで何が正しい形になるって言うんですか⁈」


ミユは大きな声を上げながら、目を見開いた。その顔には困惑と怒りが入り混じり、雨に濡れた髪が頬に張り付いていたが、彼女の視線は鋭かった。


「もしその日に戻ったら、私たちの今までの時間はどうなるんですか? サーさんが雅さんと過ごした大切な時間も、お母さんと向き合ってきた日々も、全部なかったことにするんですか⁈」


中里

「いいえ、そうではありません。ただ、その日から新しい未来を――」


ミユ

「新しい未来なんかいらない!」


ミユは中里の言葉を遮るように叫んだ。その声には必死さが滲み出ていた。


「サーさんと雅さんがどれだけ必死にここまで来たと思ってるんですか⁈ あなたは、簡単に『戻すだけ』なんて言うけど、それってこの人たちの努力や思い出を全部踏みにじることじゃないですか!」


ミユは肩を震わせながら、中里に詰め寄った。その目には涙が滲んでいたが、それでも彼女は後ろに下がらなかった。


「そんなの、誰が許すと思ってるんですか⁈ 私は絶対に認めませんから!」


彼女の声は雨音に負けずに響き渡り、その場にいる全員の胸に深く突き刺さるようだった。




ミユは一瞬、震える息を整え、涙で濡れた目元を腕で拭った。それでも、その瞳には決して揺るがない決意が宿っていた。


ミユ

「中里さん、サーさんがどれだけ苦しんできたか、あなたは分かってない。雅さんが亡くなったと知った日のこと、私、今でも忘れられません。」


ミユの声は少し震えていたが、それでもはっきりと中里を見つめていた。


「雅さんがもういないって知った時、サーさんは一言も泣き言を言わなかったんです。私がショックで泣き崩れた時でさえ、サーさんは私を気遣って――」


ミユは思い出すように目を伏せ、苦しげに唇を噛んだ。


「『これからは一人でできることをやってみる』って、私にそう言ったんです。自分のことなんて後回しで、私を支えようとしてくれた。あんなに辛い状況の中で、です。」


声が詰まりそうになるのを必死に抑えながら、ミユは中里を睨むように見た。


「サーさんがどれだけ耐え抜いてきたか、想像もつかないでしょう? 雅さんがいない日々を、それでも前を向いて進もうと必死に生きてきたんです。そんな人に、また同じ悲しみを味わわせるつもりですか⁈」


彼女の声はだんだんと激しくなり、その場の空気を切り裂くようだった。


「戻すだけって言うけど、サーさんが築いた時間も、思い出も、全て奪うことになるんですよ。それがどうして『大丈夫』なんですか⁈」


ミユは深く息を吸い込み、一歩中里に近づいた。


「私は、サーさんがどれだけ強い人か知ってます。でも、だからこそ、もうこれ以上無理をさせたくないんです。サーさんにとって雅さんは、ただの人じゃない。誰にも代えられない存在なんです。そんな2人を引き離すなんて、絶対に許せません。」


彼女の言葉は痛切で、雨の音に混じって響き渡った。その姿からは、必死に友人を守ろうとするミユの強い思いが溢れていた。



ミユは中里の目をじっと見つめ、絞り出すように声を震わせた。


ミユ

「中里さん…これは悲劇だと思いませんか?」


その一言に込められた切実な思いが、中里の胸に突き刺さるようだった。ミユの目には涙が浮かんでいたが、それでも彼女は真っ直ぐに中里を見据えていた。


「あなたの優しさが、3人をこんな悲劇に導くことになるんですよ。サーさんと恵美さん、そしてマーさん…みんながどれだけ苦しむことになるか、分かりますか?もし、このまま時間を戻せば、サーさんと恵美さんはマーさんと出会った記憶を失ってしまうんです。ただでさえ、マーさんを失った悲しみを耐え抜いてきたサーさんが…また同じように心を引き裂かれることになるんです。」


ミユは言葉を詰まらせ、こらえきれない涙を袖で拭った。


「でも、それだけじゃないんです。全ての始まりは、あなたがマーさんをこの世界に戻したことなんですよね?」


その言葉に、中里の眉がわずかに動いた。ミユは一瞬間を置いてから、さらに深く問いかけるように続けた。


「あなたには責任があると思いますか?それとも、ないと思いますか?私には分かりません。だって、私はあなたが何を考えてそう決断したのか、知ることができないから。でも、もし今、少しでも疑問が生まれたなら…それは、あなたに責任がある証拠なんじゃないですか?」


中里は何も言えず、その場に立ち尽くしていた。ミユの言葉は冷静でありながら、胸に響くような力強さを持っていた。


「中里さん、もう一度考えて下さい。3人のために、あなたができることは他にないんですか?今ここで、サーさんやマーさんがどれだけ大切なものを失うのか、その重さをもう一度考えてあげて下さい。どうかお願いします…」


ミユの声は涙に滲み、最後はかすれながらも届くように響いた。


その瞬間、中里の瞳に揺らぎが生まれた。これまで守ってきたルール、それに従うことが正しいと信じていた自分の信念が、ミユの必死な言葉によって揺さぶられていた。


「…私の責任…」


中里は呟くように繰り返し、視線を地面に落とした。彼の表情には、これまで見せたことのないような迷いと痛みが浮かんでいた。それはまるで、自分自身に問いかけるかのような姿だった。



サーはマーの隣に立ち尽くしたまま、揺れるような足取りでミユの方に向き直った。その瞳は涙でいっぱいで、声を発するのもやっとだった。


サー

「ミユ…ありがとう…本当に…ありがとう…」


その瞬間、サーは一気にミユの胸に飛び込み、力いっぱい抱きついた。ミユも驚いたように目を見開いたが、次の瞬間にはサーをしっかりと抱きしめ返していた。


サーの体は小刻みに震え、嗚咽が止まらなかった。ミユの肩に顔を埋めたまま、泣きじゃくりながら何度も感謝の言葉を繰り返す。


「ありがとう…ミユ…ずっと、ずっと私を守ってくれて…」


ミユの喉も詰まるような感覚に襲われた。いつも冷静で、どんな時でも頑張ろうとするサーが、ここまで感情をあらわにしている姿を見たことがなかった。サーの言葉一つひとつが胸に刺さり、ミユももう堪えることができなくなった。


「サーさん…私の方こそ…ありがとう…!」


そう言って、ミユも声を上げて泣き出した。


抱き合った2人は、まるで子供のように声をあげて泣き続けた。サーの涙はこれまで耐え抜いてきた苦しみや不安が解き放たれるようであり、ミユの涙は親友の痛みを一緒に抱えようとする優しさと愛情そのものだった。


周囲の音は一瞬消え去ったかのように感じられた。ただ、サーとミユの泣き声だけが響いている。サーの肩に縋るようにして泣き続けるミユ、そしてミユの温もりの中で崩れるように泣くサー。


サー

「ミユがいてくれて…本当に良かった…」


ミユ

「サーさんがいてくれたから、私もここまで頑張れたんです…」


2人の涙は止まらず、それでもその抱擁は、互いにとってどれほど大切で、どれほど救いになるものだったか。心の底から湧き上がる感謝と愛情、それが2人を包み込み、しばらくその場の空気を支配していた。


彼女たちの涙の中には、これまでの困難、互いを想う気持ち、そしてこれから進む未来への決意が詰まっていた。



中里は深い息を吐き、視線を静かに落とした。これまで見せたことのない、どこか影のある表情だった。その場にいる全員を見渡しながら、静かに口を開いた。


中里

「本当に申し訳ありません…。皆さんを巻き込み、結果的に傷つけてしまいました。優しさのつもりが、皆さんにこんな形で不幸をもたらしてしまうなんて…」


彼の声は震え、悔恨の念がにじみ出ていた。サーもミユも、そして雅も、その言葉に耳を傾ける中でそれぞれの感情を抱えていた。


中里

「でも、これ以上の混乱を避けるため、皆さんの記憶は消させていただきます。この世界のルールを破ってまで、3人の運命なのか奇跡的に出会ってしまった雅さん、恵美さん、サーさん達の存在が、結果として皆さんの心を乱してしまいました。そのことを心からお詫びします…ミユさん、あなたはすごい人ですね……

これからもサーさんと親友でいて下さい。

2人がすごく羨ましいです……」


中里の目に薄く涙が浮かんでいるようにも見えたが、彼は言葉を紡ぎ続けた。


中里

「ただ、どうか信じていてください。私は雅さんを異世界の、とても重要な方に必ずお会いさせます。この約束だけは、何としても果たします。その後は雅さん次第です。でも、これが私にできる唯一の償いだと思っています。」


雅は一歩前に出て、じっと中里を見つめた。その眼差しには、言葉にならない感情が宿っていたが、何も言わなかった。ただ静かに、彼の言葉を受け止めていた。


中里

「最後に一つだけお願いがあります。雅さんを思う皆さんの気持ち、それだけはどうか忘れないでください。記憶は消えてしまうかもしれませんが、心の奥底には必ず残ります。雅さんを想うその気持ちがあれば、きっとまたどこかで繋がるはずです。」


その言葉に、恵美、サーもミユも雅も、胸が締め付けられるような感覚を覚えた。特にサーは、これまで耐えてきた全ての記憶が消えてしまうことへの恐怖と、それでも雅の未来を信じたいという思いが入り混じり、涙を堪えることができなかった。


サー

「マーさん忘れたくない…だから絶対忘れない!…また会うためなら……絶対に…ねぇ、お父さん………」


雅は微笑みながら、サーの肩に優しく手を置いた。


「大丈夫!サー。たとえ記憶が消えても、私は必ず2人の前に戻ってくるから。

誕生パーティー必ずね


恵美、後を頼む…今日は短かったが次はずうっと一緒だから、信じて待ってて」


恵美

「大丈夫よ…私、何も心配してないから…

昔から、サプライズ好きだもんね……

パーティーは絶対に忘れないでね…マサ……」




中里は静かにうなずき、手を軽く掲げた。その仕草には、彼自身の覚悟と重い責任が込められていた。そして、空に一瞬の稲光が走り、雷鳴が響いた。


その音と共に、彼らの周囲の空間がゆっくりと歪み始める。それはまるで、全てを包み込み、やがて消し去るかのようだった。彼らの時間が、静かに終わりを迎えようとしていた。


雅は最後にもう一度、サーと恵美に目を向け、微笑んだ。そしてその笑顔は、彼女たちにとって永遠に心の中で輝くものであるように感じられた。




3月13日 火曜日


朝の光がカーテンの隙間から差し込む。

サーは目を開け、ぼんやりと天井を見つめた。普段と変わらない自分の部屋の景色が広がっているはずなのに、どこか違和感があった。胸の奥にぽっかりと穴が空いたような感覚。


「…何か変な夢でも見てたのかな…」


彼女はそうつぶやきながらベッドからゆっくり起き上がった。枕のあたりが妙に湿っていることに気づき、指先で触れてみる。涙の跡だった。


「泣いてた…?」


けれど、何が原因で泣いていたのか思い出せない。ただ、心に重たい余韻が残っているような気がした。


気を取り直して、サーは洗面台へ向かう。顔を洗ってスッキリしようと鏡を覗き込むと、自分の顔がひどく浮腫んでいることに気づいた。目は腫れぼったく、頬もむくんでいる。


「えっ、これヤバい…!」


鏡に映る自分の顔を見てサーは焦った。まるで泣きじゃくった後のような腫れ方だった。けれど、泣いた記憶も、夢の内容も何も覚えていない。ただリアルすぎる何かを体験していたような感覚だけが残っている。


「こんなんじゃ外に出られないじゃん…」


サーは急いで冷水を手に取り、顔を洗い始めた。冷たい水が肌に当たると少しだけ気分が落ち着く。タオルで顔を拭いながら、何となく胸に引っかかる感覚を振り払おうとする。


「とりあえず、このむくみをどうにかしないと。」


そう言いながら、サーは急いで冷蔵庫に向かった。冷えたスプーンや氷で応急処置をしようと考えながら、ふと手を止める。夢の内容は思い出せないけれど、心の中に不思議な温かさがほんの少しだけ残っている気がしたのだ。


「…何だったんだろう…」


考えても答えは出ない。それでも、サーはその微かな感覚に救われるような気がしていた。



「そうだ、今日は私の誕生日じゃん!

とうとう24歳になってしまった〜

ときめく話も無しだし、それでこのむくみ…

悲しいバースデー……」


鏡の前で浮腫んだ自分の顔を見つめながら、サーは急に思い出した。今日は会社の同僚たちが自分の誕生日をお祝いしてくれる日だったのだ。


「やばい、この顔のままじゃみんなに笑われる!」


焦りながら、再び冷水で顔を洗い始める。タオルで顔をゴシゴシと拭いたあと、腫れが少しでも引いたかと鏡を確認するが、大して変わらない。


「もう、何でこんな時に限って浮腫むのよ!」


文句を言いながら、次に目を向けたのはクローゼットだった。

「えっと、何着て行こう…」


サーは服を選び始めるが、鏡に映る腫れた顔を見てはため息をつき、服をクローゼットに戻し、また別の服を引っ張り出す。


「このワンピース、かわいいけど…腫れ顔と全然合わないじゃん!」

「スカート?いやいや、この顔でおしゃれに見せるのは無理!」


次から次へと選んでは却下を繰り返す姿は、どこかコメディドラマのワンシーンのようだ。


「どうしよう…もういっそ、顔に注目させない作戦で派手なトップスとか…いや、それ余計目立つか?」


頭を抱えつつ、なんとか選び出したシンプルなブラウスとパンツの組み合わせをベッドに広げる。選んでみたものの、やっぱりこれでいいのかと再び迷いが生じる。


「服だけじゃなくて、髪もどうしよう…あーもう、時間ない!」


服選びに苦戦しつつも、なんだかんだで嬉しそうなサー。今日は自分のために同僚たちが集まってくれる。だから、どんなに浮腫んでいても、その心だけはちょっとだけ弾んでいるのだった。


「よし!顔はともかく、これで行こう!私の誕生日なんだから、堂々としてればいいよね!」


サーは最終的に服を手に取り、気合を入れて鏡に向かう。その表情には少しずついつもの明るさが戻りつつあった。



会社に到着したサーは、いつものようにロッカー室に向かう途中でミユを見つけた。ちょうどコピー機の前で何かをいじっているミユに声をかける。


「おはよう、ミユ。ねえ、今夜の予定ってどんな感じ?」

ミユは振り返りながらニヤリと笑う。

「おはようございます、サーさん!今夜はですね、歌舞伎町のちょっと小洒落た居酒屋さんを予約しておきました。雰囲気もいいし、料理も美味しいって評判なんですよ!」


「歌舞伎町!?なんか派手な感じだけど…小洒落てるなら安心かな?」

サーはほっとした表情を浮かべるが、同時に少し不安げな顔もする。


「もちろんです!怪しいところじゃありませんから大丈夫ですって。でも、サーさん、浮腫んだ顔のままで行くんですか?」

ミユはニヤリと意地悪なことを言う。


「やめてよ!ちゃんと直ったから!」

サーは慌てて頬を両手で触りながら反論する。


「まあまあ、冗談ですって。楽しみにしててくださいね!」

ミユは軽くウインクしながら去っていった。


仕事は、なんだかんだであっという間に終わった。サーは慌ただしく日報を書き上げエントランスに向かう。すでにミユと若菜が待っていた。


「お疲れさまで〜す!」

若菜が明るく手を振る。


「お疲れ!さて、いよいよ新宿だね。」

サーも笑顔で応じる。


ミユ

「今日はサーさんの誕生日ですから、存分に楽しみましょう!」

ミユがにっこり微笑むと、サーはちょっと照れくさそうに笑った。


「でも、誕生日っていうのに歌舞伎町って…なんかちょっと大人の世界じゃない?」

サーは少し不安げに言う。


「大丈夫ですよ。私たちがついてますから!それに、サーさんこそ、ああ見えて意外と楽しめるタイプじゃないですか。」

若菜がさらっと言うと、サーは思わず吹き出した。


「え、どういう意味それ!」

3人でわいわいと笑いながら、新宿行きの電車に乗り込む。


道中も、どこで何を食べるのか、何を飲むのかで盛り上がる3人。サーは「私、誕生日だから特別メニュー頼んでもいいよね?」と無邪気に言い、ミユと若菜に「もちろんです!」と返されてさらに嬉しそうだった。


新宿のネオンが少しずつ近づいてきたころ、サーの胸の中にも期待とわくわくが広がっていく。


新宿に到着した3人は、華やかなネオンが輝く歌舞伎町の通りを歩いていた。サーはキョロキョロと周囲を見回しながら、少し興奮気味に声を上げる。


「いやー、やっぱり歌舞伎町ってすごいね!テレビで見たまんまだ!」


「サーさん、あんまり見渡してると観光客っぽいって思われますよ?」

ミユが笑いながら言うと、サーは慌てて姿勢を正した。


「確かに…地元の人みたいな顔して歩いた方がいいかも。」

若菜も軽く笑いながら言ったが、次の瞬間、前方から派手なギャル男3人組が近づいてくるのが見えた。


「ねえ、あのギャル男たち、こっち見てない?」

若菜が小声でつぶやく。


「ほんとだ…やばい、目が合った!」

サーはぎこちなく視線をそらそうとするが、すでに遅かった。ギャル男たちは楽しげにしゃべりながら、まっすぐ3人の方に向かってきた。


「ねえねえ、お姉さんたち~、どこ行くの~?」

リーダー格らしきギャル男が明るい声で話しかけてくる。


「えっ、いや、その…」

サーがたじたじと答えようとしたその時、奇跡が起きた。反対方向から警察官が2人、ゆっくりと近づいてくるのが見えたのだ。


「あっ、ポリじゃん!」

ギャル男たちは一瞬で顔色を変えると、「じゃあ、またね~!」と手を振りながら、去っていった。警察官の後をついていく様にゆっくり3人は歩いて行きました。


「助かった…!」

サーは思わず胸を押さえてほっと息をつく。


「ほんと、ナンパされるかと思った!」

若菜も肩をすくめる。


「いやー、あの警察官、今日一番のヒーローかもしれないですね。」

ミユが笑いながら言うと、3人ともつられて笑った。


しばらく歩き、目的の居酒屋にたどり着いた時には、3人ともすっかり気持ちを切り替えていた。扉を開けると、落ち着いた照明と洒落たインテリアが広がり、店内には心地よい音楽が流れている。


「わあ、いい感じの雰囲気!」

サーは目を輝かせながら店内を見渡す。


「でしょ?頑張って予約した甲斐がありました。」

ミユが自信満々に言うと、若菜が軽く拍手をする。


「さすが、幹事ミユ!これならサーさんの誕生日祝いにもぴったりだね。」


「ほんとに、ありがとう!ナンパ事件があったけど、無事ここに来られてよかった!」

3人は笑いながら席に着き、まずは乾杯の準備を始めた。賑やかで楽しい夜の始まりを予感しながら、サーの心はすでにお祝いモード全開だった。


居酒屋の美味しい料理と楽しい会話で、3人のテーブルは笑い声に包まれていた。サーが口元にタレがついたまま熱々の唐揚げを頬張り、ミユと若菜がそれを見て大笑いする。


「サーさん、タレついてる!」

ミユが指を差しながら笑うと、サーは慌てて口元を拭いた。


「えっ、本当?全然気づかなかった!」

「豪快すぎるんですよ!」

若菜も笑いながらグラスを持ち上げた。


「それにしても、このお店、ほんと雰囲気いいね~。ミユ、ありがとう!」

サーが言うと、ミユは得意げに胸を張った。


「でしょ?予約してよかった!さあ、次は何頼む?」

メニューを手に取りながら話しているうちに、ふとサーの表情が曇った。


「あれ…?」

「どうしたの?」

ミユがすぐに気づいて聞く。


「いや、なんだか…この感じ、前にも経験したことがある気がするんだよね。」

「前って、どういうこと?」

若菜が首を傾げる。


サーはしばらく考え込むようにテーブルを見つめた後、ゆっくりと口を開いた。

「初めて来たお店のはずなんだけど、なんだか見覚えがあるっていうか…デジャブみたいな感じがして。」


その言葉にミユも若菜も顔を見合わせた。


「言われてみれば…なんか分かるかも。」

ミユが口を挟む。


「この座り心地とか、音楽の感じとか、店員さんの動きとか、全部がちょっとだけ見覚えがある気がするのよね。でも初めて来たお店なのに。」


若菜も小さく頷きながら続けた。

「私も…なんだろう。特にこの席から見える景色がすごく懐かしい気がする。でも思い出そうとすると、何も思い出せないの。」


3人は次第に神妙な面持ちになり、目を合わせた。


「これって、やっぱりデジャブかな?」

サーがぽつりと呟くと、ミユが真剣な表情で答えた。


「でも、普通デジャブって一瞬だけで終わるよね。こんなに長く続くのって変じゃない?」


若菜も腕を組みながら考え込む。

「初めてのはずのお店で、みんなが同じ感じを抱くって…ちょっと不思議すぎない?」


居酒屋の賑やかな雰囲気が、少しだけ静まり返ったような錯覚を覚える。3人はなんとも言えない違和感を胸に抱きながら、しばらく無言で座っていた。やがて、再びミユが軽く笑い飛ばそうと口を開いた。


「ま、考えすぎても仕方ないし、とりあえずデザート頼みませんか?」


その明るい声に少し緊張がほぐれたものの、心のどこかには消えない不安が残ったままだった。



3人が店を出ると、夜の冷たい空気がほてった頬に心地よく触れた。賑やかな通りには笑い声が響き、街の灯りがキラキラと輝いている。


「いやー、楽しかったね!」

ミユが明るい声を上げながら、軽く背伸びをした。


「ほんと。若菜の話、面白すぎてお腹痛くなった!」

サーが微笑みながら振り返ると、若菜が少し照れたように笑った。


「ちょっと!あんな話を真面目に聞かないで下さいよ、笑い話だって言ったじゃないですか〜」


そんなやり取りにまた笑い声が広がる。今夜の食事は、どこか特別だった。何気ない日常の中に潜む、不思議な感覚も含めて。


「デザート、ほんと美味しかったね。あのプリン、家に持ち帰りたかったくらい!」

ミユが手を振りながら話すと、若菜がうなずきながら同意した。


「そうそう!あのカラメルの濃厚さ、最高だったよね。でもミユさん、さっきプリンだけじゃなくて最後はパフェも食べてたじゃないですか〜」


「いや、いいの!人のことは気にしないで!」

ミユが少しだけ赤くなりながら肩をすくめる様子に、再び3人は大笑いする。


そんな軽やかな雰囲気の中で、サーの足がふと止まった。


「…ちょっと寄り道していい?」


彼女の視線の先には、薄暗い公園が広がっていた。街灯の明かりが木々の間からかすかにこぼれ、静寂が漂っている。


「どうしたの、サーさん?」

ミユが首をかしげると、サーは少し困ったように微笑んだ。


「ううん、なんだろう…ただ、気になっただけ。」


若菜が腕を組んで笑いながら続けた。

「気になったって…なんかあるの?幽霊でも出るとか?」


「やめてよ、そういうの。」

ミユが少し怯えたようにサーの肩を掴む。


「大丈夫だよ。少しだけ歩いてみよーよ」

サーがそう言うと、2人もそれに従うように歩き始めた。


公園の中に入ると、街の喧騒が遠のいていく。代わりに、木々のざわめきと自分たちの足音だけが響いた。


サーはどこか懐かしいような、しかし初めて味わう不思議な感覚に包まれていた。何かが胸の奥でざわめいている。


「なんか、静かだね。」

若菜がポツリとつぶやいた。その声に呼応するように、冷たい風が3人の間を抜けていく。


ふと、サーは立ち止まり、目を細めて前を見つめた。


「…あそこ、何かある。」


視線の先に、小さなベンチとその後ろに広がる古びた時計塔が見えた。時計の針は、動いていない。


「どうしたの、サーさん?」

ミユが心配そうに尋ねると、サーは少し考え込んだ後、


「分からない。ただ…涙が次から次へと溢れてくるの…… 何でだろう….」


彼女の声には、普段の明るさとは違う何かが含まれていた。


サーの声は普段の明るさがなく、どこか遠くを見つめるような響きがあった。ミユと若菜は思わず顔を見合わせ、困惑した表情を浮かべる。


「サーさん、大丈夫?」

若菜が一歩近づき、優しく声をかける。けれど、サーはそっと首を横に振り、視線を地面に落としたままだった。


ミユと若菜も、気づけば胸の奥にじわりと広がる違和感を感じていた。この公園に足を踏み入れてから、どこか懐かしいような、それでいて説明のつかない不安が彼女たちを包み込んでいる。


「なんだろう、この感じ……」

若菜がぽつりと呟く。その言葉にミユも頷きながら、周囲を見回した。


「私も……何か思い出しそうな、でも思い出せないような気がする。」


それは、まるで記憶の奥底に閉じ込められた風景が少しずつ姿を現そうとしているかのようだった。


サーは再びゆっくりと歩き始めた。彼女の背中には、何かに引き寄せられるような、不思議な力が働いているように感じていた。ミユと若菜も無言のままついていく。


公園の奥に進むにつれて、夜の静けさがより一層際立っていく。葉擦れの音と足音だけが耳に届き、街の喧騒は遠くに消え去った。


「なんだか、ここに来たことがある気がする……」

若菜が不安げに呟く。


「私も……でも、そんなはずないのに。」

ミユもまた、戸惑いを隠せない様子で言葉を続けた。


サーの肩越しに見える小さな時計塔は、止まった針をそのままに、月明かりの下でひっそりと佇んでいる。その風景は、3人にとって何か特別な意味を持つような気がしてならなかった。



やがて、サーが小さな声でつぶやいた。

「ここで、何かあったのかな……私たちに。」


その声は、夜の静寂に溶け込みながらも、どこか遠くにまで届くような不思議な響きを持っていた。サーはそっと夜空を見上げ、まんまるの月に語りかけるような目をしている。まるで答えを求めているというよりも、ただ月の明るさに自分の想いを預けているかのようだった。


「綺麗なお月様、このお月様私絶対忘れない…

心にしまっとくね」

サーはポツリとつぶやきました。


その一言は、冷たい夜の空気に静かに響き、ミユと若菜の胸にじんわりと染み込んでいった。彼女たちはただ黙ってサーを見つめる。言葉をかけるべきか、それとも黙って寄り添うべきか——迷いながらも、どちらかといえばその場の静けさを壊したくない気持ちが勝っていた。


サーの背中は小さく震えているようにも見えたが、その肩越しに見えるまんまるの月が、どこか力強く、そして優しく彼女を包み込んでいるように思えた。ミユと若菜の胸の中にも、言葉にならない感情がゆっくりと形を成していく。何か大切なものに触れたような、しかしそれが何なのかはまだはっきりとはわからない。ただ、その場に流れる時間が彼女たちの心に深く刻み込まれていくのを、3人とも感じていた。


続く












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