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第八話 片割れず奮う

 数日で死ぬ。雲一つない晴天のもと告げられた宣告に、真っ先に絵が浮かぶ。

 死を目の前にして思うことがそれなのだ。

 本当に自分は狂っているのかもしれない。ひきつって薄い笑みがはりつく。


「天狗殿、何卒タキイチを救ってくれないか。伽藍には多くの物の怪がいるという、一人ぐらいはそのような術を持つ者もいるのではないか」

「以前も申したはず。命の流れを操ることはただごとではない。シセイ殿がしたことは結界を張るに近く(ささ)やかであったからだいじに至らなかったのだ。天命を(くつがえ)すことがどういう意味か、おわかりか」


 天の定めた命に抗う。本来生き死にとは自然にあるもの。

 それを破ろうとすることがどれほど恐ろしいことか、シセイには本能でわかっていた。

 わかっていても、何か、と望んでしまう。


「そう歯噛みするな、シセイ。なに、逆に言えば数日あるんだろう」


 安心させようと思ったのに、喉が震えてしまっていた。

 先程から何度も視界がぼやけている。

 背中から常に刃を突きつけられているような心地がする。

 理屈ではない。わかるのだ。それは死である。

 たかが一存在では抗いようのない、いずれ行きつくどこかなのだ。


「何か、見えそうなんだよ」


 死の脅威は外ではなく、内にある。手足を奪う必要もない。

 脈動を刻む心臓の隣ですやすや眠って寝返りをうつ。

 もはや生死は一体のもの、いずれも極めて身近で叫ぶ。

 叫びは輪となり合唱となり、タキイチの感覚を鋭敏に染め上げる。

 恐怖が爪の一片までを磨く。生きる喜び、苦痛の歌、断絶の恐怖と死の安寧。

 全てがひとつとなって、意味をつけることすらいらない何かがタキイチの感情と血管を紡いであらわれでようとしていた。


「これを描くまで死ねねえ。あと数日ある、数日あれば、いや、この数日でやってやる」


 最期に描くものは決まっている。どうしても描かねばならぬ絵があるのだ。

 迷う必要はなかった。


「お前さんの絵を描こう、シセイ」

「タキイチ……」

「俺たちが出会ったあの日のような、生にしがみつき死に抱かれるような。余計なものが全て削げ落ちて、俺たちのなかにあるものがすべて満たされたあの瞬間を」


 ただ『ある』というだけで、そのなかで溶けてしまえる。

 偽り、果て、理、区別――余計なものは何もいらない。


「タキイチ……ああ、まったく本当に、お前さまという奴は」


 彼女はしばらく呆然として、やがてとろりと微笑む。

 気を強く持ってもどうしても震えてしまう手を優しく握る。

 冷たい手のひらが心地よかった。

 シセイは大きく冷涼な空気を吸い込み、天狗に向き合って居住まいを正す。


「天狗殿」


 覚悟を決め、芯に鋼が通ったような声だった。


「天狗殿はあの川で邪気を集め、流しておられた。つまりある程度、ちからの流れを操るすべに長けている?」

「そうともいえるが」

「ならば、このシセイの命をタキイチにわけることはできますのか?」

「――――」


 あの天狗が絶句する。

 しばらく地を這う魚のように口をぱくぱくとさせ、なんとか問いをしぼりだす。


「できなくは、ないだろう」

「では」

「いや待て、待て。それはつまり手前(シセイ)の寿命を縮めるということだぞ。手前ども……このカルラも内側にまで手出ししたことはない。


 炭の作り方を知っているか。原木のすべてが炭に変わるだろうか。否。いくらかは燃えて無くなって、およそ三分の一だけが炭になる。このカルラの手ではそうなってしまうだろう」

 シセイの命をタキイチに移す際、その半分以上が無為に失われる。

 そういってもシセイは力強く頷く。


「それでタキイチが絵を描けるというのなら、そうしてくだされ」

「おい、シセイ」

「黙っておくれ、お前さま。その震える手であてをどう描こうというのか。あてはお前さまの研がれた魂ひとつに至るまで、全力で描いてほしいのよ」


 タキイチは、それならば、と思ってしまった。

 想ってしまったならばもう逃げられない。タキイチは描くだけだ。

 天狗はなおも言い募る。


「だが、シセイ殿」

「天狗殿」

「……手前、孕んでいるぞ。腹に芽生えたばかりの種が見える」


 今度は二人が言葉を失う番だった。


「命を等しく移せば、お二人が天にむかわれる日を次の冬まではもたせよう。しかし御子を産んでわずかな月日で離れることになる。よろしいのか」


 流石のシセイも迷う。タキイチもうろたえた。

 これが今でなかったら、シセイを抱きしめて感謝と喜びを伝えられただろうに。

 普通の(・・・)親であれば、片親だけでもそばにいてやるべきだ。

 かよわい子を育て守り、愛するべきだ。

 だが、タキイチは絵師なのだ。

 描かずに終わることは、親であれても、タキイチの子の親には成れぬのだ。

 タキイチという男が己の魂を殺すようなもの。

 ゆえに口をつぐむ。シセイは伴侶の顔をみやり、悟るように伏せた瞳にすべて理解した。


「……天狗殿」

如何(いかが)する」

「それでも伏してお頼み申す」

「よいのか」

「只人であれば育み()でることは至高であろう。しかし我らが育むものは命だけではない。あてが心寄せる男はそういう男なのだ」

「子より男をとるのか」

「否。あてはあてとして最後まで生きる。タキイチはもはやあての肉と魂の一部のようなもの。彼の者が潰える時が我が終わり。蜘蛛は頭を失おうともいきるが、それはもうあてではない」


 女として、母として、シセイという誇り高き蜘蛛として彼女にも譲れぬものがある。


「親となるならばなおのこと! 子に死を恐れ魂を失うような生き様は見せられない。タキイチを見捨てることもできない。不実のもとに大願を果たせば不実のもとに子を育てることになる。命を願うならば、命をもって願う」


 (うやうや)しく頭を垂れるシセイの隣に立ち、タキイチもまた伏して頼む。

 二人はひとつの命、ひとつの魂だった。

 天狗はそれを静かに眺め、門のうえから二人の前に降り立つ。


「承知した」


 錫杖で土を叩き、しゃんと音を鳴らす。

 呼応するように木々が鳴く。

 世界がひととき泡立ち膨らむような一斉のさざめきは、伽藍が二人を祝福する歓声のようでもあった。


「お二方の(ともしび)、預からせていただく。このカルラの名にかけて子を育み念願が成就するまでお守り致す」


 もう一度錫杖を鳴らすと、シセイの着物の合わせから光が漏れだした。

 何事かと考える前に、天狗のかざした手のひらの上に小さな火の玉が現れた。


「これがシセイ殿の命の玉、その一部。病毒を焼き払い、か弱い火を炎にする。しかし尽きては継ぐ瞬間、存在を焼きつける痛みが苛むだろう。それでもよろしいか」

「……ああ」


 天狗は頷き、玉がタキイチのなかにいれた。

 収まった途端、日輪をのみこんだような錯覚を覚える。

 体中の液体が蒸発するかと思われた。

 己の襟を握りしめ、全力で耐える。

 タキイチは一生をかけて絵を描かねばならない。それが彼という存在なのだから。

          

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