55 多分、すごく恥ずかしいこと
それからのことはよく覚えていない。
複合連係魔法で封印の再構築を手伝ったことで、アリアはすべての魔力を使ってしまっていた。
疲労は限界に達していたから、おそらく気がゆるんでそのまま意識を失ってしまったんだと思う。
目覚めたとき、アリアは聖壁に併設された国境警備隊の宿泊施設にいた。
知らない天井を見上げてから、身体を起こす。
ベッドの脇に置かれた机でリオンくんが眠っていた。
反対側では、ヴィクトリカがベッドに突っ伏して眠っている。
(なんでそんな変なところで寝てるのだろう……?)
絶対寝心地悪いと思うんだけど。
首をかしげつつ、もぞもぞとベッドを出る。
起こさないように気をつけつつ部屋を出て、トイレを済ます。
すっきりして部屋に戻ろうとしていたアリアの視界に映ったのは、長い前髪の男性魔術師――ベルナルドさんだった。
「目覚めたか。よかった」
重く低い声に少しだけあたたかいニュアンスが混じっている。
「危険な目に遭わせてすまなかった。まさか私の弟子が魔人だったとは」
〖どうしてそのことを?〗
「追憶石が教えてくれた。地底湖であったことも一緒に」
ベルナルドさんは言う。
「私は間違っていたようだ。【裏切りの魔術師】が旧王朝の宮殿を破壊し、《反動魔法》を隠した裏にあんな出来事があったとは……」
深く息を吐いてから続ける。
「彼の行いが少しでも正しく評価されるよう、魔法考古学の学者として真実を伝えていこうと思う」
〖でも、簡単に信じてはもらえないんじゃないですか?〗
「反発は大きいだろう。私自身、今まで言っていたことと真逆の意見を言うことになる」
〖ベルナルドさんの立場を考えると、言わないでいる方がいいような気もするんですけど〗
アリアはベルナルドさんのことが少し心配だった。
ただでさえ、学術界からは嫌われているという話だった。
今までと真逆の意見を発表するのは、攻撃できる材料を敵対している人たちに与えることになる。
「たしかに、私個人のことを考えればそうだろう。だが、私は少しでも精度の高い歴史を伝えることで世界に良い影響を与えたいと思っている。私自身、学生時代にある学者の本を読んでこの世界に入りたいと思ったんだ。彼の本は魔法考古学が好きだという気持ちで溢れていた。私もそういう本が書きたいと思っている」
どこか遠くを見ているような目で言ってから続けた。
「逆風には慣れている。私は私のしたいことをするよ」
かっこいいな、と思った。
ベルナルドさんの書く本にはたくさんの愛が詰まっていて、その本のおかげでひとりぼっちじゃないと思うことができる人もいるのだろう。
(わたしも昔、そうだったな)
魔法の本にはたくさんの愛が詰まっていた。
本があったから毎日が楽しかった。
きっと本だけじゃない。
お店の食べ物も、街路の花壇で揺れる花も、当たり前だと見過ごしてしまうものの中にもきっと、抱えきれないくらいの愛があふれている。
ちょっと恥ずかしい考えかもしれないけど。
でも、そうだったらいいなとアリアは思った。
「私の助手――魔人は国境警備隊が捕縛したから安心して欲しい」
ベルナルドさんは言う。
「君の活躍も報告しておいた。大空洞から噴き出す魔素量が減り、各地で起きていた魔物の暴走が収まったのは君のおかげだ、と」
〖いや、それはローレンスさんのおかげで〗
「もちろん彼のことも報告しておいた。自分の命を対価に、封印を修繕して世界を救った英雄だと」
その言葉に、アリアは一瞬息ができなくなる。
心に穴が空いたような感じがしてしまう。
身近な人を失うのは初めてのことだった。
もっと話したいことがあったのに。
聞きたいことがあったのに。
もうローレンスさんに会うことはできないのだ。
視界が歪む。
目頭が熱くなっている。
だけど、アリアは堪えた。
ローレンスさんと《光の聖女》、そしてたくさんの人たちが命をかけて作ってくれた平和な世界。
少しでもお返しできるように、ちゃんと生きないといけないから。
両足でしっかりと身体を支え、氷文字を浮かべた。
〖リオンくんとヴィクトリカもすごく活躍してくれました〗
「もちろん二人についても報告しておいた。君たちは王国から表彰を受けるだろう。どういう形になるかはわからないが」
ベルナルドさんはアリアの肩に手を置いて言った。
「君が成長してどんな魔術師になるか楽しみにしている」
遠ざかる背中を見つめながら、アリアはあんな風にかっこいい大人になりたいな、と思った。
自分が寝ていた救護室に戻る。
扉を開けようとしたとき、声をかけてきたのは白衣を着た男性魔術師さんだった。
「目覚めたんですね。よかった」
アリアをじっと見回して続ける。
「何かおかしなところはないですか?」
〖大丈夫です。元気です〗
白衣の男性魔術師は少しの間、興味深そうな顔で浮かんだ氷文字を見つめてから、言った。
「魔力も戻ってますし問題なさそうですね。念のため、後で診察にうかがうのでそのつもりでお願いします」
男性魔術師は少しだけ開いた扉から、部屋の中を見つめて続ける。
「二人とも、アリアさんをすごく心配してましたよ。仮眠室で眠った方がいいと何度言われても、絶対に救護室を離れようとしなくて」
〖そうなんですか?〗
「ええ。アリアさんを一番近くで見守れる権利を巡って喧嘩までしてました」
いったい何をしているんだ、と思わず笑ってしまう。
しっかりしていてすごく大人な二人なのに。
らしくない姿を想像して微笑むアリアに、白衣の魔術師さんは言った。
「元気な姿を見せてあげてください。二人ともすごく喜ぶと思うので」
〖はい!〗
うなずいてから、救護室の中に入る。
(あ、でも疲れてると思うし起こさない方がいいよね)
静かに扉を閉めてから、音を立てないようにベッドに戻る。
ヴィクトリカはベッドに突っ伏して眠っていた。
丸まった背中が規則正しく上下していた。
(綺麗な寝顔)
さすが名家の最高傑作、と関心しつつ反対側に目を向ける。
眠るリオンくんの顔を見る。
その背中がもぞもぞと動いたのはそのときだった。
金糸の髪が揺れる。
形の良いまぶたが小さくふるえて、力の抜けた瞳がアリアを見つめた。
目が合う。
静かな時間が流れる。
〖おはよ〗
氷文字を浮かべたアリアに、リオンはがばっと身体を起こして距離を取った。
〖どうしたの?〗
「いや、近かったから……」
戸惑った声で言ってから、ぱっと目を見開く。
「目覚めたのか」
前のめりにアリアを覗き込む。
「おかしなところは? 痛むところはないか?」
身を乗り出して、アリアを見つめるリオンくん。
〖元気。さっき先生にも大丈夫って言われた〗
「よかった」
リオンくんはほっと息を吐く。
「本当に心配したんだぞ。お前、一人で行っちゃうし。起きたら全部終わってるし」
〖ごめん〗
「謝っても許さない」
リオンくんは怒っていた。
当然かもしれない。
逆の立場なら自分も同じことをしていたと思うから。
だけど、そんな彼の姿がアリアはうれしかった。
それだけ、自分のことを大切に思ってくれてるんだと感じた。
〖リオンくん、前に言ってたよね〗
アリアは氷文字を浮かべた。
〖偽物じゃない本物のつながりがほしいって〗
「……恥ずかしいことを言ったな。忘れてくれ」
〖わたしも本物のつながりがほしいなって思うよ。本物も偽物も本当はないのかもしれないけど。でも、そういうのいいなって思う〗
アリアは言う。
〖ローレンスさんと最後に話したときに改めて思ったんだ。本物は一緒に作るものだって。噛み合わないこともあるかもしれない。喧嘩しちゃうこともあるかもしれない。それでも力を合わせて、本物にしていくの〗
アリアは氷文字を形にする。
それから、小さく動かしていた指を止める。
魔法式が静止する。
それは言葉にするのが恥ずかしいことで。
変なことを言ってると笑われてしまうかもしれない。
だけど、思いは形にしないと伝えられない。
声が出せないアリアが思いを伝えるのは、他の人たちよりも少しだけ難しくて。
でも、だからこそ丁寧に思いを伝えられる。
勇気を出して、言葉を形にした。
〖わたしは、リオンくんと一緒に本物のつながりを作りたいなって思う〗
リオンは驚いたように息を呑んだ。
見開かれた目が、小さく揺れていた。
部屋に沈黙が降りる。
視界の端で、リオンくんが顔をうつむけたのが見えた。
「俺も、アリアと本物のつながりを作りたい」
リオンくんは恥ずかしそうに握りしめた自分の手元を見ている。
気のせいかもしれないけど。
なんだかすごく喜んでくれてるような気配がした。
うれしくて、照れくさくて、気恥ずかしくて。
目を細めるアリアを見て、リオンくんは顔を背ける。
「やれやれ、なにやってるんだか」
アリアの背後から声がする。
振り向く。
ヴィクトリカが肩をすくめてアリアとリオンを見ていた。
「子供みたいなこと言って。聞いてる私の方が恥ずかしくなるじゃない、まったく」
アリアは身を乗り出して言った。
〖わたしはヴィクトリカとも本物のつながりを一緒に作りたい!〗
ヴィクトリカは驚いた顔で視線を彷徨わせる。
「は? なんで私と」
〖誰よりも頑張り屋さんなヴィクトリカが好きだから〗
「うぐ……!」
〖作りたい作りたい作りたい!〗
「いや、ちょっと! わかった! わかったから、恥ずかしい氷出すの禁止!」
林檎みたいに赤く染まった頬。
アリアは手を伸ばしてヴィクトリカを抱きしめる。
わたしたちは多分、すごく恥ずかしいことをしていて。
大人から見ると、目も当てられないようなことをしているのかもしれない。
だけど、それでいいって思った。
恥ずかしくてもいい。
残念な感じでもいい。
上手にできていない方が、愛おしく思えることもある気がするから。
なんだかどうしようもなく胸があたたかくなって、アリアはヴィクトリカに頬をこすりつけて笑った。




